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福原正大・小山龍介|AIに経営はできるか ー二律背反のマネジメントと創造的な議論の方法ー

福原正大さんとは、知人を介してお会いしたのですが、ロジカルでありながら情熱的な語り口にすっかり、ファンになってしまいました。

この対談ではまず、フランスの高等教育を経験されてきた福原さんに、フランス流の議論の方法について語ってもらいました。イシューに限定して議論し、創造的に新しい解を見つけ出していく。その根底には哲学があるという。

じゃあ日本には哲学はないのか。実はそこには充実した東洋の身体感覚があって、それこそ次の時代の新しい思想の可能性があるという話に。

さらにそこから、VR時代において、身体性が失われたときに日本人は厳しくなるのではないか、AIの限界は幸福を認識できないからではないか、など刺激的な議論が展開しました。

ぜひご覧ください。

AIで評価や教育の感情的なところを拾う

小山龍介(以下、小山) ちょうどおとといも、営業活動をZoomでやるときのコツという対談をしてたんですが、可能性がけっこうありそうだとわかりました。わざわざ訪問してやりとりしてけっこう時間がかかっていたのが、20分とか30分の短い打ち合わせを積み重ねられます。

今日は「AIに経営はできるか」というテーマのご講演でした。私は福原さんの本がすごい好きです。(『世界のエリートはなぜ哲学を学ぶのか? 桁外れの結果を出す人の思考法』を掲げて見せる)今は、AIを使った人事評価制度を開発されました。

福原正大(以下、福原) 人事と教育ですね。小学校でも使っていただいています。今私たちの足元で異常に伸びているのはやっぱり教育です。生徒が家に籠もってしまうと、テスト結果は見られても生徒の情動や社会性がどうなっているか、先生方はなかなか見られない。そこを見るためのツールが、今非常にニーズがありますね。

小山 福原さんのすごくおもしろいところを勝手に紹介すると、サイエンティスト的な解析や統計の分野で、教育や人の評価における数字やロジック意外の非認知能力というか感情的なところを、AIで拾っていこうという試みです。

結局、数字で出てこないところまで含めて、AIがカバーする。これをそのまま延長させていくと、経営もAIができる可能性もあるし、もちろんそこには限界もあるだろうという話を伺いたいというのが、もともとの話です。

また、福原さんはフランスで学ばれてきて、MBAもフランスで取られていますので、ひとつにはAIと哲学的な話との繋がりも含めて伺いたいと思います。

まずは、福原さんが普段やられていることを、少しご紹介いただけますか。

テクノロジーで多様性のある評価をする

福原 自分自身ずっと金融の世界の中にいて、正直なところあまり幸せを感じられなかったんですね。なぜかというと、評価の基準が「どれぐらい稼いだか」というお金がすべてだったんです。

たとえば学校の生活でも、最後は成績というたったひとつのメトリクスで人間が全部評価されている。もっとすごいいろんな難しいものを持つ人間を、たったひとつの数字で置き換えていくところが、根本的に人間を幸せにしていないという思いがありました。

であれば、テクノロジーで非認知能力を含め多様性のある評価をすることで、強みや弱みを伸ばすということを行いたいんです。子どものころってすごく重要なので。

そして今、人生100年になっていくと、たとえば50歳とか60歳とかになっても自己をアップデートしていかないといけないのに、これができていない。これもやっぱり、評価が足りないというか言葉が足りないところがあります。それを行うために、IGSという会社はAIを使っています。

AI全般とデータを使いながら人の教育部門に役立てていて、先ほどの小学校は、経済産業省の「未来の教室」に大きな補助をいただいていますし、大手企業さんを中心に組織分析やDX変換というテクノロジーを社員に教えています。

もっと重要なのは、先ほど小山さんからもありましたけど感情だったりするわけですよね。そういう感情をどう拾っていくのかということをやっています。

あとは先ほどのフランス絡みでいうと、たとえばアメリカ的なディベートは、ぶつかってどっちが勝ったかじゃないですか。フランスは円をくるくる上に回して、お互いに行ったり来たりする。いい意味での議論をしていく仕組みを学びました。あと、360度評価の重要性をすごく学んだので、そういったものも、今私たちの枠組みの中で提供しています。

誰かのすべてが真理ということはあり得ない

福原 フランス人はとても批判的といいますけれども、ある人が言った何かについて否定するけれどもその人間は否定しない。つまり、彼らはきれいに分けてきます。「これはイシューだけを議論していたわけであって、別に君を非難してたわけじゃないんだ」と。

小山 確かに、日本では個人に向かってしまうところを、フランスではちゃんとイシューでディスカッションしていこうとする。どんな教育をすると、そういうふうにイシューに向かうようになるのか、逆に言うと教育のせいで人に向かってしまうのか。そこの分岐点はあるものなんですか。

福原 僕は、フランスの教育はいいところがいっぱいあると思っていて、そのベースはやっぱり、哲学がしっかりとあるところです。たとえば、カントは(フランス人じゃないですが)、すべての人間に何かしらの真理はあって、誰かのすべてが真理ということはあり得ないといっています。だから、お互いが議論をしていく中で真理を持ち合って、みんなで真理をつくっていこうとするわけです。

カントはすごい哲学者だけれども、それでも彼の言うことが全部正しいわけでもないし、つまり完全な人間なんていないわけですよね。欧米の哲学は、「絶対的なパーフェクトなのは神しかいない。人間というのはパーフェクトではない」というところを前提にしているので、そういう議論になるのかなと思います。

日本の場合、そこの哲学の議論がうまくいかない。それは、パーフェクトな人間なんて誰もいないんだというごく当たり前のことが当たり前として捉えられないから、話が難しくなってしまうというのはありますよね。

日本が伝統として培ってきた身体感覚

福原 最近私がすごく興味を持っている「構成主義的情動理論」という脳科学の非常に新しい分野があります。その分野で、欧米は今さらながら「身体性」ということを言っているわけですよね。

身体性というのは東洋ですごく進んでいて、日本とかアジアにはすごくノウハウがあるんだけれども、欧米はそこを前提にしていなかった。だから、両方が掛け合わせていけるといいなというのは、すごくありますよね。

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