見出し画像

私とT子さんの青春の日々

高校を卒業後、わたしは2年制のミュージカルスクールに通っていた。

月曜日から金曜日まで、ダンスや歌やお芝居のレッスンを受ける。
劇団四季やテーマパークのパフォーマー、演劇へ進むなど芸事を仕事にしたい男女が集まる。

高校卒業以上から、社会人を経て入学してくる人もいるので年齢層はわりと幅広い。
同期は多くて20人程度。
私の同期も、途中減ったりもしつつ15人程度。

その頃わたしは歌が好きで演劇に興味があり、そのスクールはダンスにかなり力を入れていたのでここはひとつダンスの力をつけておいた方が何かと有利だろう、と入学を決めた。

ここで培った、たった2年間のバレエのスキルで「次の場所までさようなら。」に至るのだがその話は今は置いておこう。

高校を卒業したばかりの19才になる私と同い年の子達。
高校を卒業してからお金を貯めて入学してきた子。
短大や大学を卒業した後に入学してきた組。
そのなかでひときわ年上の女性がいた。

T子さん。そのころ34歳。

彼女の詳しい経歴は正直忘れてしまったが、順当に考えて高校卒業後
大学へ行ったとしたら社会人生活約10年を経ての入学。
今ならわかる。
それがものすごい決断だったということが。

しかし当時の私はあまりに幼く、その人生の時間を想像だにせず
「すごいおばさんがいる」としか思っていなかった。
そんな19才の小娘のことを、どうか許してほしい。

T子さんは目がくっきりと大きくて笑うと口が大きくて色黒で筋肉質で、白いレオタードがめちゃくちゃよく似合っていた。
いつも緊張して肩に力が入っていたので肩の筋肉がすごかった。
ピアノが弾けて歌が上手で体がとにかく硬かった。

座って開脚をして上体をたおし、そのまま胸や股関節を床につけたまま足を後ろにぬく。というストレッチでは、T子さんは床についたまま前に行けないので手で上体を支えながら股関節を浮かすかたちになり、その高さを「エベレスト」と呼ばれていた。

19才から柔軟を始めたわたしはみるみる柔らかくなったが、30を過ぎたT子さんはもともとの筋肉質もあいまってか柔軟には大変苦労していた。今思うと19才と同じメニューをこなしていただけでもかなりすごい。
そのスクールでは多いときで1日でトータル5時間ダンスのレッスンがあったりした。

T子さんはいつもちょっと困った眉毛をしていて、若い子たちにまざってどこか遠慮ぎみだった。
それでも何かの決断の時にはズバッと意見を言ってくれる。
その都度「さすが年の功」とやはり何かと年齢ネタにされていた。

二年制だったので、一年上の先輩にはもちろんT子さんより年下の人たちもいた。
それでも先輩だ。
T子さんは自分より一回り以上年下の女の子に名字を呼び捨てにされ、時に説教されていた。
T子さんはそれにも真摯に答えていた。

19才から20才を過ごしたその二年間は本当に怒濤で
小さな世界での優劣に心をすり減らし、若すぎて幼すぎて一生懸命で恥ずかしい思い出ばかりだ。
とにかく泣き虫な私は泣いてばかりいてよく怒られた。
最近知ったことだが、T子さんと比較手年齢の近いジュンちゃんはその二年間のことを「少し遅めの青春」と言っていたそうだ。

髪を引っ詰めてレオタードにジャズパンツ(ピタピタのストレッチパンツ)のT子さんはどこか頼りなく小さく見えたけれど、髪をおろして普段着に着替え街中で見る彼女はずっと素敵で大きく見えた。
母とも姉とも違う年齢の離れたお姉さん。
でも、「同期」という言葉でひと回り以上年下の子達と同等に扱われ、タメ口で話し、同じことを学び同じことで泣いたり笑ったりしていた。

T子さんの当時のことを考えると、眩しいものを見るような彼女の視線を思い出す。
眩しいものを見るようにこちらを見るT子さん。
今ならわかる。
決して戻ることのない時間を過ごす10代から20代に移り行く女の子たちの姿。
社会に揉まれて10年。諦めきれない夢を追って色々なものを捨てて飛び込んだ世界。
遅くなんかない、充分に青春だ。
その風景はどんなに光輝いていたんだろう。

卒業後は何年間かT子さんから年賀状が届いた。
そこにはステージ上でのT子さんの写真が使われていたので、何かしらのパフォーマンスをする仕事をされていたのだろう。
しかし当時は劇団とアルバイトが急がしすぎて年賀状を返したかどうかの記憶がない。
SNSもそこまで広まってはいなかったので、連絡をとることもほとんどなかった。
同期たちも全国各地に散らばってしまったので会うということもなかった。
スクールは私たちが卒業してから生徒数の減少に伴い数年後に拠点を変え、どこかの劇団に吸収されたようなかたちになったが今でもなんとか続いているようだ。

今年の一月の終わり、T子さんが闘病の末亡くなっていたという知らせをもらった。

30代を越えた頃、私も正社員として働くようになった。
近年、年を重ねる毎にT子さんは今の私くらいの年でスクールに入学してきたのか。と考えていた。
全く未経験のダンスを始めたのか。
果たして同じことが今の私にできるだろうか。
T子さん。

一緒にお酒を飲みたかった。

思い出話をしたかった。

「クーが38歳ぃ~!?」とビックリさせたかった。
T子さんと出会った年齢を、とうに追い越したよ。
いずれT子さんが亡くなった年齢も追い越す。
オバサン、オバサン言ってほんとにごめん。
T子さんの行動力がほんとうにすごいこと、今ならわかる。

そんな話がしたかった。

あの頃の日々がT子さんの目にどんなふうに映っていたのか、今思い返すとどんな日々だったのか、あなたの言葉で聞きたかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?