豪雨災害について


2014年8月に丹波市市島町を中心に襲った丹波豪雨災害について紹介します。

発災

平成26年8月15日から18日にかけ、西日本に停滞する前線上を低気圧が東へ進み、また南から暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で前線の活動が活発になり、大気の状態が非常に不安定になったことで、兵庫県では北播磨・丹波を中心に大雨となりました。​​

丹波市内でも地域によって降水状況は異なり、市内北東部にある市島町(いちじまちょう)では24時間最大雨量が400mmを超えました。​​

特に8月16日の夜から深夜にかけては大雨(土砂災害)洪水警報、土砂災害警戒情報、そして避難勧告が次々に発令され、深夜3時ごろには土砂災害が発生しました。土砂災害に加え、河川の水は溢れ、道路や橋が破壊されました。

気象図

画像提供:気象庁

避難行動

避難勧告は、地域ごとの状況を判断し、小学校区単位で発令されました。各戸に設置されている防災行政無線では、市の職員により「避難所への移動が危険な場合は、自治会公民館や近所の建物、自宅2階への垂直避難も検討して下さい」と、具体的な避難行動が提示されました。

​また、住民による率先避難も展開されました。高齢者が住む集落では消防団員が住民を背負ったり、トラックの荷台に載せたりして、川が溢れて濁流となった道路を切り抜け避難を促しました。また、「これまで大きな災害に遭ったことがないから大丈夫」と避難をしぶる住民に対しては、自治会長などが根気強く説得をしました。また、お盆直後で帰省中の若い住民も高齢者を支えたと言われています。

​​被害概要

住家全壊18、大規模半壊9、半壊42件に加え、床上浸水や床下浸水は953件にのぼりました。住家以外にも、林地の崩壊、農地への土砂の流入、河川崩壊、農業用施設の破壊などの痛々しい被害が残りました。

​​電柱の倒壊により電話や電気が不通になり、浄水場が土砂に埋没したため配水ができなくなりました。これにより、住宅の清掃が進まず、風呂や料理のための水の確保もままなりませんでした。

​詳しくは丹波市ホームページ(復興記念誌)にてご覧下さい。

応急復旧

​その後の復旧の進み具合を左右するといっても過言ではない応急復旧において、地域住民が主体となった取組みが各地で見られました。

​例えば
・山から道路に流出した土砂や木々を取り除き、作業車が通りやすくする作業
・市役所が指定する救援物資の受入場所が遠い住民のために、細やかで柔軟な物資受入先の設置
・自治体単位でのボランティアニーズの吸い上げと、ボランティアセンターとの連携
・断水したエリアでは、地域住民だけでなく、ボランティア向けのシャワー設備の設置

これらの取組みは、行政の災害対応の動きをスムーズにするものでした。

​また、
・復旧に数か月かかると言われた給水設備を、1か月で再開
・ボランティア受入に向け、高速道路の無料化
・市職員と復旧建設業者の効率的な配置
・県や他市町村との連携
など、市役所職員による柔軟で的確な判断により、丹波市は類を見ないスピードで応急復旧を進めました。

​まさに市民と行政が一体となって、被災地の復旧に向けた取組みが展開されたのです。

復旧

​丹波市で実施された復旧工事は、災害発生後3年間でほぼ100%完了と、たぐいまれなるスピードで進められました。

その要因として、兵庫県と丹波市が直接復旧ニーズについて協議する連絡調整会議を実施したことや、偶然、災害発生前に地籍調査が進められていたことが挙げられます。特に地籍調査は、土地の所有者に逐一確認をしながら土地の境界を定めていく作業であることから、災害が発生する前に所有権の在りかを把握しておくことは、スピーディーな復旧工事に欠かせないことでした。

​3年間という短い期間で、崩れる危険がある山には治山ダムや砂防ダムが設置され、山から流出した土砂は一部に集められ新たな農地として生まれ変わりました。この事例は、土木や減災の専門家から高く評価され、「丹波市から学べ」と言わせしめました。

画像2

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復興砂防公園

そして復興へ

スピーディーな復旧工事により、丹波市には日常が戻り、災害発生前よりも土地は強くなったかもしれません。しかし、心に刻まれた災害の記憶をプラスのエネルギーに変え、丹波市という社会をより強い場所にしていく復興の取組みは、始まったばかりです。

​復興の第一歩として、丹波市は有識者と地域住民で構成される「丹波市復興プラン策定委員会」を設置し、「丹波市復興プラン」を策定しました。

この復興プランでは、復興の合言葉(キャッチフレーズ)を「心 つなぐ」に決定しています。このキャッチフレーズには、市民と市民、市民とボランティア、時代と時代、農と林、地域同士、被災者と未災者・・・など、さまざまな立場や時間を越えて心をつなぐことで復興を目指していく、という決意が込められています(丹波市復興プランより)。

​また、復興プランの中では「将来の丹波市」として、子どもが森で学ぶ様子や、地域で採れた食材を使ったレストランで訪問者をもてなす様子、林業や農業に従事する新規移住者などを、災害をきっかけに、「地域社会が抱えていた課題に対峙し」目指す丹波市の姿を描いています。

​人口の減少、農林業の衰退など、日本全国各地で見られる地方の課題を抱えた丹波市。今、災害を受けた丹波市の人々は、災害によって衰退を加速させるのではなく、「災害のおかげでよりよい社会づくりが始まった」と胸を張れるよう、さまざまな取組みを実施しています。

​​具体的な復興の取組みはBloom Back Betterをご覧下さい。

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