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種をまく人 安田早苗試論 神保弘多 文筆業

 安田早苗の作品を実際に目にしたのは2020年の1月、神楽坂のギャラリー eitoeiko で開催された安田早苗と五箇公一のコラボ展であった。この展覧会が興味深いのは国立環境研究所に在籍する昆虫学、生態学者の五箇公一と現代美術作家(コンテンポラリー・アーティスト)安田早苗の文字通り異分野、異業種の二人による展覧会である。鷲田めるろ参加によるこの公開鼎談には参加していないので、これについては安田のホームページのアーカイブから推測するしかないが、雑駁に言えば、五箇が外来昆虫の移動で引き起こされる地域における生態の変化について研究者の立場から持論を述べ、一方、安田は、持続性のない花粉の飛散について話す。二人の論点が交差するところに、どうやらテーマは外来種の移動と防疫、あるいは移動と拡散に絞られたようである。それがこの展覧会のタイトル「だれもあのこをとめられない」に暗示されている。このタイトルは忌野清志郎 + 坂本龍一の『い・け・な・いルージュマジック』に収録されている曲名からの引用と聞いて、文化の周縁(サブカルチャー)にまで目配りする安田の感性に驚いた。

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 この展覧会で、まず目を引いたのは密閉のガラス容器に収まった種の展示である。この種はアブラナから自家採取した種だという。衝撃的でさえあった。今までかなりの現代美術作品を目にしてきたつもりでいたが、この小さなガラス容器を前にして目を剥き立ち竦む思いであった。まだこの時は、この作品の前史ともいうべき安田の2001から05年にかけて京都と滋賀を中心に実施した「種をまくプロジェクト」は知らなかった。ヘリウムガスを封入した紙風船に種の袋を括りつけ空に飛ばす。紙風船は見知らぬ土地の人々に種を届ける。それだけではない。偶然に紙風船に結びつけた種の袋を発見した人はメッセージを読み、種を植え育て成長した植物を写生し、絵にした作品を送り返すという遠大なプロジェクトである。郵便物のように封筒に種を入れ特定の誰かに届けるのではない。種の伝播が本来、風媒による自然界の摂理であったことを考えると、このプロジェクトのテーマを読み取ることはできるだろう。

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 リレーショナル・アート

 もちろん、種の移動は風だけではない。馬や牛、昆虫、あるいは海外からの船の積荷に付着して運ばれてくることもある。たが、なぜ安田が「種をまくプロジェクト」を立ち上げたときに、紙風船による種の移動を思いついたのであろうか。現代美術作家として安田を考えた場合、彼女もどこかで書いていたように「リレーショナル・アート」を彼女自身の創作方法、社会観に最も相応しい物語と考えていたのであろう。言い換えるならば、「関係性の芸術」は、あくまでも表現上のスタイルよりも、このプロジェクトの使命、目的たとえテンポラリーな協働のための空間とはいえ、そこに相互依存だけではない、社会が目指す公共性も生まれたはずだ。そして見知らぬ土地の見知らぬ人々に届けられた種は、そこで育まれ成長した植物は写生され絵にしたものを送り返すという応答性は、このプロジェクトの、その先にあるテーマ「〈交歓〉というコミュニケーション」を掲げ、2001から05年にかけて催され、そのテーマを十分に達成したと言えよう。何よりも一回性の祝祭空間のように、ただ消費されるイベントではなく、あるべき公共性を重視した点に「リレーショナル・アート」の雛形として内発的な協働性、公共性は特筆されていい。

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 ところで、新潟駅十日町市で2000年に始まった3年ごとに開催される「大地の芸術祭越後妻有(つまり)アートトリエンナーレ」に2003年に参加した日比野克彦は同市莇平(あざみひら)の集落で「明後日朝顔プロジェクト」を立ち上げ、廃校となった校舎の壁面に地元の人々の協力を得て校舎の屋根から垂らした細引きのロープを張り、朝顔のツルを這わせる準備をした。莇平の集落の人々が遠来の客をもてなすために、学校の花壇に花を植えた話から、日比野はこのプロジェクトの着想を得たという。
 日比野のこのプロジェクトにつけられた「種は船」の惹句には「種は〈時間・場所〉を記憶して運んでくれる」船として記す。この土地で採取された種は全国展開され各地に運ばれる。やはり日比野も「移動」の言葉を使うが、ただし人の手によってである。これは文化人類学の術語を借りれば「贈与」というものであろう。ただ、先行した安田のプロジェクトの方が、一方通行の「贈与」よりも、「応答性」の高い、未来に開かれた社会に視座を据えているように思われる。

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種をまくプロジェクトで帰ってきた作品・記録写真・実際に飛ばした風船

現代美術を楽しもう

 少なくとも近代美術までは表現における視覚的な優劣が価値判断の基準となり、そのまま作品の優劣に反映された。まだまだ近代美術は中世の職能的な、専門的な技量を持つ、例えて言えばギルドの閉鎖的な空気が近代に入っても残っていたのではないか。いずれにしろ、第二次世界大戦後、50年代に入って、ようやく美術作家がこの軛(くびき)から解かれ、知的なアプローチとしてコンセプチュアル・アートの勃興が転換点となり、アイデアやコンセプトが作品の中心的な構成要素となった。
 今でも現代美術作品の多かれ少なかれは美術史のコンテクストに回収されて理解することで、さしあたり鑑賞を楽しむことはできるであろう。これはよくある鑑賞者の振る舞いといえそうだが、しかし、理解に苦しむ作品を前にした途端、これは作家の独りよがりではないのかと冷笑し拒絶しまう態度は現代美術の鑑賞から程遠いと言える。
 現代美術作品を楽しむことは、作品を前にして戸惑うことであり、まずは体感するすることだ。理解は最後の最後でいい。

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2021年3月「ロクの家」での個展「悪夢に咲く」 COVID19せっけん(CMY)


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