母を連れての上京
いよいよ4月9日(土)になりました。
今日、タクシーや電車を乗り継いで母と私の自宅のある東京へ移動します。
前回の帰省時は毎晩誰かが訪ねて来てくれて一緒に夕食を食べました。
今回は都合が合わなかったり、もうすぐ東京に立つ私たちが忙しいだろうと遠慮してくれたりで、割と静かな滞在でしたが、最後の日はやはり親類のおじさんが来てくれました。
いつも私が昼食を用意するのですが、約束すれば私の負担が高くなるだろうと「行けない」と言われていたのですが。
その気遣いに涙が出そうです。
やはり、このおじさんは素敵です。
おじさんと言っても85歳なの車の運転が心配なのですが、いつまでも元気でいてほしいと心から願う人のうちの一人です。
おじさんが持って来てくれたおにぎりやお新香と私が用意していた肉吸い風のおつゆや刺身を食べた後は、私は仕事、おじさんと母は裕次郎の映画鑑賞。
この仕事が終わったら決戦!
母の抵抗する声が今にも聞こえて来そうです。
さて、仕事も一段落しもうすぐ14時です。
家中のあらゆる電源コードを抜きながら「さあ行くよ!」と私が母に投げるように繰り返します。
案の定母は「えっ!」と青ざめ、初めて聞いた、絶対行かないをその都度返して来ます。
しまいにはわんわんと泣き始めました。
おじさんもこれ以上の宥め方を知らないとばかりに畳み掛けます。
母は昔からびっくりするほどの出不精で買い物も旅行も嫌い。
「東京に遊びに行く」なんて言われた日には喜ぶどころかこの世の終わりというかなんというか、死人のような顔を向けられます。
こんなに嫌がるなら無理させたくはない、明日にしようか、とも思いましたが、結局明日になれば今日騒いだことはきっと忘れているので同じことの繰り返しです。「何度も悪いな」という感覚がないのだから気が変わるのを待っても無駄なのです。
泣き叫ぶ声に負けずにタクシーを呼びます。
相手が何を言っているのか聞こえませんが、もうすぐ来るだろうというニュアンスは伝わったのでよろしくと電話を切りました。
もう後には引けない。
おじさんもタクシーに乗り込むまで見送ってくれました
タクシー→新幹線→中央線→タクシー
総額いくらかけたんだろう。
私一人では選択しないルートで移動は続きます。
途中姉から逐一メールが届きます。
大丈夫か?
どうしているか?
「予定通り泣き叫んでます」
「怒ってそっぽ向いています」
「杏仁豆腐を美味しそうに食べ始めました」
と都度私から返します。
母は基本的に損ねた機嫌を長引かせる人でないので助かります。
人に気遣ってばかりいる母らしい言動です。
空気を察してかタクシーの運転手さんが気を晴らすような話題をふってくれます。母はうつ病なのかと思っていましたが、認知症っぽくなってから誰とでもフランクに話すようになっており、おしゃべりに参加して、家に着く頃には機嫌はすっかり直っていました。
家に着くと、こちらはやっと辿り着いた気持ちで安堵しているので、「ようこそ!」という歓迎の空気を味わいたかったのですが、ロボットのような夫と興味のないことにしか反応しない思春期の娘は淡々としています。
晩御飯を終えると、母が東京駅で心奪われたロールケーキを皆で食べました。
とっても美味しい。
今日の疲れを吹き飛ばすかのようなパワー!
グルテンもカゼインも白砂糖もなんだかやっぱすごいぜ。
明日から何が起こるのだろう。
新しい環境に母は馴染んでくれるのだろうか。
突然認知症が進んでしまい、母が母でなくなってしまうのか。
母のトイレに付き合うためにリビングのソファで就寝。
特別な緊張の時間はまだまだ続きそうです。
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