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『無人島に生きる十六人』

私は冒険が好きだ。
といっても、ガチガチに知らない国に行って迷彩服着て洞窟のコウモリと戦って、、みたいな探検のようなものではない(勝手なイメージです💦)。
今のテレビ番組で言うなら、ナスDが出てくる大冒険シリーズや、あばれる君や濱口まさるさんが出てくるようなプチ無人島体験みたいな生活にものすごーく憧れる。ほんとにやってみたい。

なんで(私の勝手なイメージの)「探検」ではなく冒険が好きなのかなーと考えてみると、私の勝手イメージの「探検」は受動的で、環境を全て受け入れていくのに対して、好きな「冒険」は能動的で、その場にあるものをどのように組み合わせて、どのように使うか。
知恵を絞ってその人のオリジナリティを出しながら目の前の課題をクリアしていくところに魅力を感じているのだと思う。
あくまで勝手なイメージだけど。


さて、この本は明治時代に「龍睡丸」と言う連絡船が、通常運行しない冬に漁業調査しに出て、次々とパプニングが起こり漂流してしまう話だ。

そして彼ら16人は無人島へと上陸することになる。

ここでは、数々の知恵が飛び交うが、ベテランの人が「つまらないと思うもの(お椀)が、いざとなると、ほんとうに役に立つのだ。それが世の中だ。」と言うところになるほどなーってうなづくことができた。 

水の集め方を話し合ったり、新しい実を食べるときにはまずは自分が毒見係になりますといったり、みんなが一つになって協力しあった。
アザラシも人懐こく、友達みたいに仲良くなった。

中でも一番素晴らしかったのはやはりメンバーである。「一人一人が、ばらばらの気持ちではいけない。今日からは、げんかくな規律のもとに、十六人が、一つのかたまりとなっていつでも強い心で、しかも愉快に、ほんとうに男らしく、毎日毎日をはずかしくなく、くらしていかなければならない」という言葉で、みんなは気持ちをひとつにした。くさることなく、人の意見をきき、不快なことがあろうとも顔に出さずに頑張った。

苦しいことがあっても、きっといつか数年後?に日本に帰るその日まで、気持ちを強く持ち、笑顔でみんなで頑張っていこうと誓ったのである。
立場は違えど、「十六人は一人であり、一人は十六人である。」と言って、心を磨くことをおこたらなかった。

そのまま十六人全員、無事別の船に見つけてもらえるのだか、無人島での最後の時に船長は感謝の気持ちを述べた。

「一人一人の力はよわい。知恵も足りない。しかし、一人一人の真心と真剣な努力とを、十六集めた一かたまりは、ほんとに強い、はかり知れない底力のあるものだった。それでわれらは、この島で、りっぱに、ほがらかに、ただの一日もいやな思いをしないで、お互いの生活が、少しでも進歩し、少しでも良くなるように、心がけて暮らすことができたのだ。(中略)しんけんに、自分で自分をきたえることができた。そして心をみがき、その心の力が、どんなに強いものであるかを、はっきり知ることができた。十六人が、本当に一つになった心の強さのまえには、不安も心配もなかった。」

この船長の言葉が無人島での全てを物語っており、十六人全員が無事に救出された理由ではないかと思う。

ただ単に、日帰りの無人島体験をしに行ったわけではない。何年も日本に帰ることが出来なかった可能性だってある。そんな過酷な状況の中で、ほがらかに、ただの1日も嫌な思いをしないなんてありうるのだろうか?

これはひとえに、メンバー全員の気持ちがしっかりしていて、船長も皆を不安にさせないように細心の注意をはらっていたからに違いない。
そして、その精神は別の船の船員にも引き継がれることとなる。

どんな状況でも朗らかに。きっとそれは家庭内でも一緒だ。
私がイライラすれば家族にもそのイライラは伝染する。家庭内を心地よい空間にするには、まず自分の気持ちを整えることが一番大事なんだと、なんか変に納得。

でもって、漂流ではなく、プチ無人島体験やっぱりしてみたいなと、あらためて思いました。


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