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一生懸命、死ぬまで頑張る。

そういや婆ちゃんの命日っていつだったかな、とつい無意識にGoogle検索しようとした自分に苦笑した。

20年と少し前、中学生だった頃、あれは1990年代の後半で、自分の世界にはインターネットなどなかった。世界は謎に満ちていて、指先一本で情報を入手できるような手段などなかった。学校で聞いた話、テレビや雑誌で知るニュースや流行、親や兄から得られる情報が、ほとんど世界の全てだった。

幼少期から家は貧乏だったが、小学6年で両親が離婚する前後で状況は悪化した。目は悪いし、服は洗われないし、担任教師は自分のことを本気で潰しに来た。友達は減り、バカにされ、傷つけられ、やがて傷つける側にまわり、結果、たくさんの子供が不幸になった。

心には、屈辱、憎悪、後悔などが日々蓄積されていった。自分を傷つけた奴らを全員ぶっ殺して、自分の人生を終わらせることを空想して暮らした。ノーヒントで高難易度のゲームの中に放り込まれたようで、状況は日々悪化し、厳しくなる一方の現実から目を逸らして、じっと苦しみに耐えていた。そんな90年代も終わりが近い秋のある日、人生が変わった。

寝る前にいろいろ考える中で、ふと考えた。

これから、死ぬまでの間、一生懸命頑張り続けたら、何か変わるだろうか?

どんなに見苦しくても、笑われても、変に思われても、失敗しても、自分の人生を変えるために挑み続けたら。自分だけじゃなく、誰かのためになるようなことを実現できたら。特別な才能はなく、恵まれた環境もない自分だけど、足掻き続けたら、どこかに届くだろうか。少なくとも、今よりはマシな場所へ行けるだろう。

そんな着想はいつしか心に定着し、一つの社会実験のつもりで、実践して生きることにした。

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あれから20年以上経過し、今は医者をやっている。

普通に医者をやっていれば20代で年収は1000万円を超える。だいたい世界中、どこに行っても尊敬される。一目置かれる。女にモテる。様々な語弊があることは重々承知しているが、事実としてはそんな感じだ。

そして、普通に医者をやっているから、毎日病気で苦しむ誰かを助けている。見立てが綺麗にハマった時は、劇的に人が助かる。苦痛に歪んだ顔が、安らいだ笑顔に変わる。本人や家族に感謝される。関わったスタッフも皆うれしくなる。

仕事で特に困っていることはなく順調な方だとは思うが、プライベートでも特に困っていることはない。いや、あるっちゃあるが、問題はだいたい許容範囲に収まる。久しぶりに友人に会って過ごしたりすると、大体は快適だし、誇らしいし、楽しい。日々楽しみはたくさんある。

つまりは、たぶん、幸福なのだ。

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なぜこのような文章を書いたかというと、みんな一生懸命頑張って生きればいいのにな、とよく思うからだ。

私とて、書かないだけで、屈辱や挫折は数えきれないほどあるし、一生後悔したくなるような失敗や、失ったものはたくさんある。嫌な記憶というのは決して消えないらしく、ふとしたきっかけで頻繁にフラッシュバックして、心を蝕み続ける。「思い出し怒り」でイラつくことはよくある。歳を取るにつれ、過去の亡霊に苦しめられることは増えている気がする。

それでも、私は、一生懸命、死ぬまで頑張ると思う。そうやって中学生のときに決めたからだ。毎日そのように生きているから、ついつい習慣で、何事においても一生懸命頑張ってしまう癖がある。不器用で、世間知らずで、いちいち効率が悪いし、恥をかくことも他人に不快感を抱かせることも多い私だが、誰にも掴めないような幸福をたくさん掴んでいる自信がある。

昔バカにされた相手に久しぶりに会うと、泣きそうな顔で機嫌を窺ってくることがよくある。自分が覚えているのは嫌な記憶ばっかりだが、知り合いは自分の良かったことをたくさん覚えてくれている。醜態も多々晒したが、考え、挑み続ける中で、うまくいったことも数多くあったのだ。

少なくとも社会の最底辺に近い位置にいた中学生当時の自分より、はるか高みに昇った景色を見て暮らしているのは間違いない。素晴らしい人たちにたくさん出会い、楽しい思い出をたくさん作った。確実に当時より美味しいものを食べ、屈辱感のない日々を送っている。

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最近クソむかつくことばかり思い出し、頭にこびりついて離れなかったということもあり、こんな文章を書いてみた。当直先で早朝に起こされ、再入眠困難だったという事情もある。秋になるとスイッチが入り、己を見つめ直す癖がある。

引き続き頑張るので、この先もきっといいことがあると思う。

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