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痛みの価値について

「医者の息子に生まれる最大のデメリットは、人の痛みが分からない人間になることだな」と、医学部に入ってから思うことが多かった。

私がいた国立大の医学部では、4分の1くらいは親が医者だったと思う。私は北海道の地方都市の平凡な公立中学校出身であり、親類も高卒ばかりだったので、こんなにも「親が医者の人」に出会うのは初めてだった。

親が医者勢といっても、大部分は常識的で感じのよいナイスガイ(レディ)だが、その中には、思考回路がぶっ飛んだ、他の世界ではまず出会えない特殊な種類の人間が一定数存在する。私立の医学部にいくとその比率はなお高まる(たぶん)。そして、いろんな方向に頭がぶっ飛んだ人がいる中で、信じられないくらい他人の痛みに冷淡な人に出会うのが印象的だった。

人が死んでも笑えるか、女を孕ませて堕胎させた話題で笑えるか、障害者を笑えるか、他人の身体的特徴を馬鹿にして笑えるか、他人の失敗を笑えるか、他人の不幸を笑えるか...etc.  許容できる程度には個人差があるだろうが、学生時代に出会った人々と交流する中で、笑えるライン、笑えないラインの違いを意識することが多かった。若くして亡くなった伯父の葬儀で部活の練習を休む旨を先輩に伝えたところ「不摂生してたんじゃないの〜?」と笑いながら返されてビビったことがある。が、そんなことで怖気付くようでは医者の世界でやっていけない。マジで。

親が医者だと、子供の頃から金に困ることはないし、知識を得る環境に恵まれ、教師や他の親含め周囲からは一目置かれ、大事に育てられることが多いのだと思う。結果、痛い目、つらい目、苦しい目に遭うことがあまりなかったんじゃないか、と思われる、心が無傷のままで大人になった人間が一定数生まれる。勉強が得意なのは間違いないが、人間としての心の有り様に問題がある人が結構いるのである。

そして本題。身体的な痛み、心の痛みというものは、つらいし、苦しいものだが、経験しておくと、他人の痛みに共感できる能力が高くなるのではないか、と思う。経済的な困窮、屈辱的な記憶、劣等感、嫉妬、後悔、孤独、挫折、喪失、など、あらゆる種類の苦しみは、実際、ただの苦しみでしかないが、それを乗り越えると、他の誰かの痛みを想像することができるようになる。その想像力、共感能力は、いつか、誰かを救うための強力な武器になる、かもしれない。

真にクリエイティブな人は、だいたい苦労を経験している。厳しい苦境を生き抜いた個体は、比類ない力を手に入れた本物になる。私は、私が苦しんだ分だけ、優秀な精神科医療者や作家になれると信じて頑張ってきた。艱難汝を玉にす、は生き抜けるならば間違いじゃない。まずは生き抜く必要があるのだが。

昨年から続くコロナ禍に加え、4度目の緊急事態宣言が出ることになり、さらなる経済禍は避けられず不幸になる人が多いだろうと考え、不意に、こんなことを書きたくなった。

痛みには価値があり、苦境を生き抜いた者は、価値ある何かを生み出せるだろう。

だからその日まで、まずは生き抜いてほしい。本当そう願う。

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