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罪は遡及される

東京オリンピックの音楽担当が小山田圭吾氏になることが7月14日に発表されると、同氏が過去に障害者に行った「いじめ」(と表現するにはあまりに惨たらしい内容)の雑誌掲載記事の件でネット炎上が起こった。その内容についてここでは触れないが、海外の主要な新聞社や報道社(英Telegraph, 仏AFP, 米APなど)でも取り上げられ、ついには辞任に至った。音楽家として、本来ならば集大成の晴れ舞台となるはずだった大仕事が、数十年前の過去の行いのせいで、台無しになったことになる。

先日、職場の先輩と雑談していて、過去のパワハラやセクハラで出世を絶たれる研究者が多いという話を聞いた。長年にわたり研鑽を積み、華々しい実績を上げ、大学の教授や、そのほか輝かしいポストに就ける条件が揃っているにもかかわらず、選考の段階で人間性に疑いが生じる問題が見つかり、望みが叶わなくなるケースが多いらしい。偉くなりたいと公言しているその先輩は、看護学生などの若い女性には怖くて近付けない、と冗談混じりに言っていた。

旧約聖書の「伝道者の書」には以下のように書いてある。「若い者よ、あなたの若い時に楽しめ。あなたの若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心の道に歩み、あなたの目の見るところに歩め。ただし、そのすべての事のために、神はあなたをさばかれることを知れ」

キリスト教の最後の審判も、ヒンズー教の輪廻転生も、仏教の因果応報も、中国や日本の伝統的な民間伝承でもなんだってそうだが、悪いことをやると自分の元にその結果が返ってくることを教えている。年単位の時間差で、というのも共通している。つまり、世の中はそんなもんであると、先人たちは学び、繰り返し後進たちに伝えてきた。


罪は遡及される。いっとき大きな問題にならず、バレずに乗り切ったとしても、人生の、より後の段階で報いを受けることになる。学生時代のいじめ、就職後のパワハラ、セクハラ、犯罪、猥褻行為、など、本人も忘れた頃に、大きな意味を持って自分の人生に再び現れる。インターネットにデジタル・タトゥーとして痕跡が半永久的に残る時代になり、その傾向は加速した。気を引くきっかけさえあれば、世界中の不特定多数の人間が過去の傷を探索し、見つかればあっという間に拡散する。

ゆえに最善は、クリーンに生きること、となる。そのあたりの意識が今の50代、60代と、それ以下の世代で異なる傾向にあるように思う。昔は、道徳の圧力に負けずに悪いことをやるのは勲章であり、バレずに乗り切れることが多かったんだろう。だけど、今は違う。

だいたい2010年頃から、ハリウッドスターは人道支援っぽいことをアピールしがちだし、トップアスリートは品行方正な家庭人としての自分をアピールしがちになったように思う。感謝やリスペクトばかり口にするアスリートのインタビューは、正直見ていて退屈だし、もはや不快とも言えるレベルで表層的で軽薄なこともあるが、あれを言わないと袋叩きに遭う世相を反映しているんだろう。調子に乗って軽口を叩き、バカをやるセレブは、インターネットやスマートフォンの普及と逆相関し、加速度的に減っていった。特定の音楽について尋ねられ「あんなもの聴いたら耳が腐る」と答えたデニス・ロッドマンのような勇者はしばらく現れないだろう。

何が言いたいかというと、悪いことはするもんじゃないな、ということ。いじめ、虐待、いやがらせ、猥褻行為などはそれ自体、他人を傷つける行いであり、道義上は糾弾されてしかるべきだが、己の社会生活上の利益の観点からも、将来の自分を不幸にしたくないのであれば、バレそうになくても控えた方がいい時代なのだと思う。誰が見てなくても人に優しく、感じ良く振る舞うのが最適解な時代なのだとつくづく思う。嫌な奴は生きづらい時代なのである。

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