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岸田首相が引用した「アフリカの諺」の起源に関する問答 【「週刊だえん問答 #74」より】

「早く行きたければ、一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」(if you want to go fast, go alone; if you want to go far, go together)。岸田首相が所信表明演説で語った「アフリカの諺」。ウォーレン・バフェットやアル・ゴア、ヒラリー・クリントン、リチャード・ブランソン等が引用するなど、欧米ではつとに知られた一節だが、それは本当にアフリカのものなのか? データサイエンティストにしてエコノミストでもあるアンドリュー・ホイットビーが2020年12月にブログで明らかにした、諺の起源をめぐる自由研究。その内容をサマリーしてみた。

Text by Kei Wakabayashi (Courtesy of Quartz Japan)
Photo by Geran de Klerk on Unsplash

【以下のテキストは、Quartz Japanより毎週日曜日に配信されているニュース時評「週刊だえん問答 #74 ディスコリバイバルの学び」(2021年10月10日配信)からの抜粋です(聞き手も答え手もともに若林恵が務める仮想対談形式のテキストとなっております)】
記事原文は以下より☟(有料)  


*  *  *

──こんにちは。お元気ですか?

そうですね。まあ、いい調子だと思いますよ。

──自民党の総裁も決まって、選挙も近づいていますが。

そういえば、それについて面白いことがあったんでした。

──お。どうしたんですか?

岸田首相が金曜日に行った所信表明演説で、アフリカのことわざを引用したという話がありましたよね。

──「早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」(if you want to go fast, go alone; if you want to go far, go together)というヤツですね。

はい。これ、いま編集作業を進めている翻訳書のなかに出てきて、岸田首相の演説の前日に、たまたまそこを読んでいたんです。

──おー奇遇。なんの本ですか?

それが「B Corp Handbook」という本でして、B Corpというのは、アメリカのB Labというところが認定を行っている企業の認証制度でして、言ってみれば企業における非財務領域のパフォーマンスを測定するものです。本自体は、その認証を取得することのメリットや、取得のための心得や具体的な手順などを明かした参考書なんですが、B Corp認定を取得したオーストラリアの企業のファウンダーのコメントとして、この諺が出てきたんです。

──へえ。

それこそ、B Corp企業になることのメリットを語った章に出て来るのですが、そのメリットのひとつとして本は「先駆的なグローバルコミュニティの一員になれる」ことを挙げているのですが、そこに下記の引用が出てきます。

B Corpになったのは、同じ考え方をもったコミュニティに入り、社会によい変化をもたらすムーブメントの一端を担いたかったからです。アフリカのことわざにこんなものがあります。「早く行きたくば一人で行け。遠くへ行きたくば共に行け」。

──なるほど。この諺、欧米では、わりと有名なんですかね。

有名な諺ではあるようで、ウォーレン・バフェットやニュージャージー州選出の上院議員のコリー・ブッカー、アル・ゴア、ヒラリー・クリントン、リチャード・ブランソンといった人たちが引用していることから広く知られるものとなっているようで、意識高い系の起業家が使用することも多いみたいです。ただ、どの人も「アフリカの諺」であると漠然と語るだけで、その起源については、かなり曖昧です。Jezebelというメディアに掲載された2016年のコラム「よく引用されるある『アフリカの諺』の起源について」(On the Origin of Certain Quotable 'African Proverbs')は、アフリカ起源説をかなり怪しいと断じています。

──あれま。岸田さん、赤っ恥じゃないですか。

ところが、昨年、これについて改めて調査した人がいまして、データサイエンティストでエコノミストでもあり、人口統計に関する著書『 The Sum of the People: How the Census Has Shaped Nations from the Ancient World to the Modern Age』もあるアンドリュー・ホイットビーという人が、コロナのロックダウンのさなかに調査してみた顛末を明かしておりまして、面白いのでご紹介します。

──色んな自由研究をする人がいるもんですね。

自分自身もこれについては「意味のないネットの旅」と呼んでいますから、本当にただヒマだったんですね(笑)。ただ、この人はなかなか行動力のある人で、まずは語源学者に直接聞いてみるということをします。

──おー。

ウォルフガング・ミーダーというリタイアされた教授に連絡を取るのですが、この先生はWikipediaにも項目がありまして、読むと、アメリカン・フォークロア・ソサエティから名誉賞を授与されていたりします。で、問い合わせてみたところ、すぐ返事がきたそうで、2016年に、この諺に関する文章をメーリングリストとして発表していたそうなんです。

──すでに調べてる研究者がいた、と。

はい。その主旨を最も端的に記したのが、以下の部分となります。

近年、アフリカの諺として頻繁に、そして根拠もなく語られてきたことばは、アングロ・アメリカンの古い諺の言い換えを元にしているのではないかと考えられる。それは「ひとりで旅するものが最も早い」(He who travels alone travels fast(est))のバリエーションである「最も早く旅をする者はひとりである」(He who travels fastest travels alone)というものである。

──アフリカ起源ではない、とおっしゃるわけですね。

はい。ミーダー博士は、この「ひとりで旅するものが最も早い」ということばは少なくとも1917年の印刷物のなかに見ることができる、とおっしゃっていまして、その使用例の代表的なものをイギリスの詩人・小説家のラドヤード・キプリングの詩に見つけることができるとしています。

──へえ。キプリングはディズニーが映画化した『ジャングル・ブック』の原作者で、インド生まれで南アフリカに暮らしていたこともありますよね。

そうなんですね。ミーダー博士は、アフリカ起源説はかなり明確に否定していますが、キプリングという人の来歴を考えると、アフリカ起源説はまだ可能性としては残ります。そこでホイットビー氏は、さらにネットを掘ってみた先に、アフリカの諺を研究する組織「afriprov.org」の「週刊アフリカの諺」というサイトを発見します。そして、ここで、スーダンからタンザニアの東アフリカで使用されているルオ語の諺に、「若者はひとりでなら早く走ることができる。年寄りがいると遅くなる。けれども共に行けば遠くに行くことができる」(Alone a youth runs fast, with an elder slow, but together they go far)というものがあること発見するんです。

──ほほう。よく引用される諺と、だいぶ近いニュアンスですね。

はい。ホイットビー氏は早速、この組織で諺の収集などをお手伝いしているというケニア在住の牧師さんに問い合わせます。「早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」はアフリカ起源なんですか?と端的に聞いたところ、こんな答えが返ってきたそうです。

1. この諺はもともとブルキナファソのものです。なので答えは「イエス」です。これはアフリカの諺です。

2. これに似た諺は、東アフリカのルオ語の「若者はひとりでなら早く走ることができる。年寄りがいると遅くなる。けれども共に行けば遠くに行くことができる」のように他の言語にも見ることができる。

3. ラドヤード・キプリングのことばのように、似たようなバリエーションは世界中で見ることができる。

──やっぱりアフリカ起源である、と。

はい。この牧師さんはそう名言していますが、とはいえ、それがいかにして岸田首相の耳にまで届くような一般的な諺になったのかは相変わらずよくわからないところはあるのですが、ミーダー博士が時代を追って調べたところ、この諺の現代的な用法の原型は、1993年に南アフリカの詩人ブレイテン・ブレイテンバッハが「The New York Times」に寄せたコラムに見いだせるそうで、さらに、2004年にエバンジェリストで牧師のビル・ハルという人の『Choose the Life』という本に現れると言います。そして重要なのは、この本で初めて、この諺がアフリカのものであると名言されたことです。

──へえ。

ホイットビー氏は、この諺がアフリカ起源であることが、このハル牧師のでっち上げかもしれないと懸念して、わざわざ本人に問い合わせたそうなんです。

──しつこい(笑)。

そこで得た返事はこういうものです。

誰に聞いたかは覚えていないのですが、教えてくれたのはある宣教師たちで、彼らが暮らし活動していた南アフリカの人びとの言い伝えだと聞きました。

──おお。ここでもアフリカが出てきますね。

ミーダー博士はアフリカ起源説を明確に否定していますが、いたるところにアフリカとのコネクションが見出せることからアフリカ起源を捨て去るにはいたっていない、とホイットビー氏は語り、今後の研究に期待するとブログを締めています。

──面白い自由研究でしたね。

この自由研究を通じてホイットビー氏は、見知らぬ人にメールを送っては調べを進めて行くことが実に効果的であること発見したと語っています。かつ問い合わせた誰もがみな親切であったことに驚いてもいます。

──面白いですね。まさに「遠くまで行きたければ、みんなで進め」を地で行くような取り組みになっていた、と。

ほんとですね。

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