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聖ヒルデガルドの一角獣|小橋陽介画集『花とイルカとユニコーン』に寄せて (文=若林恵)

Text by Kei Wakabayashi
Artwork by Yosuke Kobashi

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上から:
《目に目に目にし55 2021(Pastel on paper 29.7 × 21.0cm)》
《目に目に目にし56 2021(Pastel on paper 29.7 × 21.0cm)》
《ユニコーン 2021(Oil on canvas 22.5 × 16.0cm)》

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『ぼくを探しに』や『おおきな木』などの絵本で知られるアメリカの詩人/シンガーソングライターのシェル・シルヴァスタインは、1962年に「ユニコーン」という歌を吹き込んでいる。ノアの方舟の物語を下敷きにしたものだ。地上で犯された罪に神が激怒し大雨をもって罰を与える以前の世界は、緑に満ち幾多の動物が駆け巡る楽園で、そのうち最も愛らしい生き物こそがユニコーンだった、とシルヴァスタインは歌う。

神の命を受けて方舟をつくりあげ、すべての動物をつがいで乗船させたノアは、ふとユニコーンがいないことに気がつく。あたりを見回してみると、ユニコーンは、大雨のなか飛び跳ねたり隠れんぼをしたり、まだ遊んでいる。ノアは呟く。「おばかなユニコーンたち」。しかし雨は刻一刻と方舟にも入り込んでくる。ノアは決断する。「扉を閉めろ/雨が入り込んでいる/ユニコーンを待ってはいられない」。動きはじめた方舟を見て取り残されたことを悟ったユニコーンは涙を流すが、時すでに遅し、去りゆく方舟を見上げながら洪水にさらわれてしまう。「だからいまもユニコーンを目にすることはない」。歌はそう締めくくられる。

ノアとユニコーンをめぐるこの寓話は、必ずしもシルヴァスタインの創作というわけではない。似たような物語を種村季弘の著書『一角獣物語』のなかに見いだすことができる。

ポーランド民話では一角獣は大洪水以前の動物と目されている。大洪水の起る前にノアが地上のすべての動物の雌雄を一番ずつ方舟に乗せたとき、一角獣も乗り込んできた。ところが一角獣が見境いもなく他の動物たちに突きかかるので、ノアはついに業を煮やしてこの獰猛な獣を海中に放り出してしまった。だからいまでは一角獣はいない。

種村は続けてロシアの民話を紹介するが、ここではユニコーンは、自分たちは洪水を泳いで渡るのだと方舟への乗船を拒んだ挙句に溺れ死んでしまう。優美で清らかな存在としてイメージされる一角獣は、かつては「すこぶる凶暴な、無敵の、それゆえ自らの力に恃む傲慢な野獣だった」と種村は書く。ユニコーンはなによりもひとつの像に留めておくことの難しい多義的な存在だ。凶暴でいて清らかで寡黙でいて奔放。歴史のなかで刻々と姿を変える幻獣は、とりわけキリスト教世界においてダイナミックにそのイメージを変転させてきた。

それにしても紀元前三世紀からルター時代までの千数百年の間に、旧約のなかで一角獣が生れ、生れたばかりではなくしだいに形姿を整えながら成長していったことは意味深長である。この千数百年間こそは西欧キリスト教世界の最盛期に相当していて、それは取りも直さず、一角獣像がキリスト教の西欧社会における消長と運命を共にしたことを意味し、したがって司祭たちは旧約の一角獣の特性描写を引用しながら彼らの伝導活動をおこなったからである。

種村の指摘の通り『旧約聖書』には「一角獣」をめぐる描写が数多く見られる。しかし、これにはちょっとしたいきさつがある。「一角獣」とあてられたヘブライ語の原語は「Reʼem」(レ・エム)だった。本来は「野牛」を意味することばだったが、紀元前3世紀に製作された「七十人訳聖書」の翻訳者たちが、この語に「一角獣」(monoceros)の訳をあてたことから、以後ヨーロッパ世界で読まれるラテン語からドイツ語にいたるまでの『旧約聖書』のなかに「一角獣」は住み続けることになってしまったのだという。言うなれば、ユニコーンは「誤訳」の産物として長らく西洋史を漂い続けてきた。であればこそ、いくら探せども実体は見つからない。20世紀初頭のドイツの詩人ライナー・マリア・リルケは「オルフォイスに捧ぐるソネット 第2の書 Ⅳ」において、不在のユニコーンを、こんなふうに歌ってみせた。

存在はしなかったのに彼女たちに愛でられたために、
純粋な獣となったのだ。彼女たちはいつも空間をあけていた。
浄らかにもその空間のなかで、
あれは軽やかに首を上げた、存在する必要もなくて。
彼女たちはその獣を穀物で養うのではなく、
ひたすらに、それが在るという可能性を糧として養った。

キリスト教は、「可能性」として開かれたユニコーンに歴史を通じてさまざまな意味を与えてきた。悪徳、異教徒、悪魔、死の影。一転して、力の象徴、神の威光、神のひとり子キリスト、受難、信仰の統一、神の国、エデンの園、救済者マリア、処女、貞節等々。攻撃的な悪から楽園の清浄にいたるキリスト教世界の善悪のスペクトラムを、不在の獣は自在に行き来する。それだけではない。一角獣のその馴致しがたい力は、制御できない「欲望」を体現するようになり、そこから催淫薬としての角の用法が生まれ、やがて一角獣は医薬の象徴としても社会のなかに長く住み続ける。例えばドイツではいまなお薬局の名称として見かけることができると、ユニコーン学の大家リュディガー・ロベルト・べーアは著書『一角獣』のなかで述べている。

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《ユニコーン 2018(Acrylic on canvas 80.3 × 116.7cm)》


宗教と医術を橋渡しするユニコーンという、この見立てについては、作曲家としても名を残す12世紀の尼僧院長、ビンゲンの聖ヒルデガルドの見解が異彩を放っている。ベーアは、彼女が語った一角獣にはキリストとの関連が薄く、むしろそこには、名状しがたい聖性、神秘性が表れていると言うが、種村季弘は、「ヒルデガルドの一角獣像にはむしろ魔術的な医薬のそれにも似た救済的な性格が強い」とベーアの見解を補足し、さらにこう述べている。

こと一角獣に関してもこのビンゲンの聖女はマリア主義的であって、専一にキリスト主義的ではなかった。ちなみにビンゲンにあるヒルデガルドの尼僧院にはさまざまの薬草を栽培する薬草園があり、彼女は人びとの魂を救済するだけではなく、肉体の病を治療した。彼女にあっては、魂と肉体の病と治癒は一如のものだったのである。それゆえに右の一角獣解釈もまた、一方で大幻視家たる能力に恵まれていたにも拘らず、観念的な贖罪よりはむしろ自然科学的な救済の実践に関わって、信者たちの病や苦痛を医す医術を開発した人ならではの見解なのである。

地上の生きとし生けるものを構成する元素には、ある「使命」が潜んでいて、「鳥獣虫魚、草木のようなあらゆる被造物のなかにはいわば神の隠された秘密が宿っている」と考えたヒルデガルドの神秘主義的宇宙論のなかに、ユニコーンは、魔術性や神秘だけでなく、いささか間抜けなユーモアも携えて姿を現わす。聖ヒルデガルドの一角獣は、野の花々を摘みながら森を歩いている少女たちの姿に見惚れて動けなくなり、アリストテレスと思しき「動物学者」に、あっさり後ろから生け捕りにされてしまう。

この聖なる神秘性は異教的神秘主義と東方の悦楽の面影をなおふくよかに残しており、西欧中世にあってすらも、インド原産の半獣半人の一角仙説話は、東と西で同じメロディーを奏でていたことになる。
 むろん趨勢としては、西欧では一角獣が脱人間化されて獣性の外見を帯びることによってかえって聖化(キリストへの関連)されてゆくのにひきかえ、東洋では仙境に隔離された異形の者が俗界へと還帰して、ユーモラスに人間化されながら見世物になる。今昔物語におけるように、東洋の一角はそもそものはじめから芸能者的ストレンジャーたる素質を孕んでいるのである。

聖ヒルデガルドが語った逸話の起源は、インドより伝わった一角仙という半獣半人を題材にした歌物語にあるという。ヒルデガルド自身、そのことを知った上でこの逸話を語ったのではないかと種村は推測する。そしてさらに、このインド原産のユニコーン物語が、実は「笑劇=コメディ」だったとも明かす。

元来コメディの主人公だった一角獣は、西へと向かい「ヨーロッパ精神史上最も魅惑的で多価値的な象徴の一つ」にまで成長し、映画などの物語のなかでいまなお生き続けている。一方、東の道をたどって日本にまでたどりついた愛すべき幻獣は、謡曲や歌舞伎といった芸能のなかにその住処を見いだすこととなったというが、その後の消息についてはおそらく、あまり多くは語られていない。

参考文献:
『一角獣』R・R・ベーア、和泉雅人 訳、河出書房新社
『一角獣物語』種村季弘、大和書房
『教会の怪物たち:ロマネスクの図像学』尾形希和子、講談社

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《泳ぐユニコーン 2021(Oil on canvas 22.5 × 16.0cm》

小橋陽介 Yosuke Kobashi

1980年生まれ。2003年大阪芸術大学芸術学部美術学科卒業。2002年より展覧会を中心に作品を発表。主な展覧会に、「自画持参」NADiff Gallery、「目に目に目にし/new boy, new page,」GALLERY MoMo Ryogoku、「ノスタルジー&ファンタジー」国立国際美術館など。2019年に川島小鳥との2人展「飛びます」を開催。

http://www.yosukekobashi.com 
Twitter@yosukekobashi 
Instagram@yosuke_kobashi

【新刊のご案内】

小橋陽介『花とイルカとユニコーン』

Yosuke Kobashi “Category is flowers, dolphins and unicorns”
限定700部

写真家・川島小鳥が主宰する出版レーベル「piyo piyo press」の第1弾として、画家・小橋陽介の作品集「花とイルカとユニコーン」を刊行。

「これまでの作品から、花とイルカとユニコーンが描かれた絵画を選び、それぞれをテーマにした3冊の画集と、両面ポスターによって構成。これは3つのモチーフのシリーズ化を意図したものではなく、分類することで制作年代が広がり、それによる素材や感覚の違いがバラバラに浮かび上がることを目指しました」(小橋)

隣りあう絵と絵が影響し合い、新しい意味を与えたり、あるいはそのままで良いというような無為自然的な感覚が表れたりする。このアンバランスな状態が表す自由さは、小橋陽介がこれまで大事にしてきた感覚です。

著者| 小橋陽介
構成・ブックデザイン|藤田裕美
テキスト| 若林恵
英文対訳|佐久間裕美子/Dylan Kerr

発行人| 川島小鳥
発行| piyo piyo press
定価| 4,200円(税抜)
協力| GALLERY MoMo

判型・仕様|横195mm×縦263mm×背幅18mm
ハードカバーに3冊の本、B3ポスター、テキストの投げ込み
- 花本=A5/32P
- イルカ本=B5変形/32P
- ユニコーン本=B5変形/32P
収録作品点数|84点

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【書店のみなさまへ:注文のご案内】

65%買い切りのみ【卸価格2730円/冊(税抜)】/piyo piyo pressとの直接取引のみ/注文3部より/送料はpiyo piyo pressが負担

[詳細お問い合わせ] piyopiyopress@gmail.com(担当:川島・小橋・藤田)

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【展覧会のご案内】

小橋陽介「花とイルカとユニコーン」
“Category is flowers, dolphins and unicorns”


[東京]
ユトレヒト
東京都渋谷区神宮前5-36-6 ケーリーマンション2C
2021年9月21日 (火) 〜10月3日 (日)
12:00‐19:00 、 月曜休

[大阪]
hitoto
大阪市北区天神橋5-7-12 天五共栄ビル301
2021年10月9日(土)〜10月30日(土)
13:00‐19:00、火曜・水曜休

*画集は展覧会場で先行販売いたします。