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室井さんが亡くなった

(私にとって大切なことなので、今回は、情報としてのわかりやすさ、読みやすさを気にせずに書きます。)

室井さんが亡くなった。
先週の水曜の夜中、その連絡がきて、呆然とした。
相当、具合がわるいことは本人もFacebookで投稿していたし、いつか、そうなることはわかっていたが、ショックだった。
葬儀の日時をかろうじて知ることができ、行くことを考えたが、行くには行けるがその日に帰れない。そうすると次の予定に間に合わない。
呼ばれてもいないし、急に行ってもご迷惑だろうと思い、数時間悩んではみたが、諦めた。

こんなにリアリティのある死は初めてなような気がした。
室井さんが誰かと聞かれたら「恩師」と答える。
大学3年でゼミを選ぶとき、他のゼミは人数が多くて抽選みたいになっていたのに、室井ゼミは3人しかいなくて、シンプルに決まり、驚いた。
私のなかでは、室井さん一択だったから。
歯に衣着せず「お前さー」とふんぞり返って話をしてくれる室井さんは”怖い”人だったのかもしれない。しかし、私はそのダイレクトさが素敵だと思ったし何より信頼していた。

「カラックスは嫌いなのに、お前の卒論のために俺はさー何度も(見たんだ)」
これは卒業してからも何度も言われた。
(私の卒論は”映画「Pola X」を精神分析で読み解く”というものだった)

「お前、なんかずっとクヨクヨしてんな」
卒業後、何かで会いに行き、帰りに、これを言われて、電車のなかで泣き崩れた。誰にもバレてなさそうだったし私も気づいていなかった。突然、ど真ん中を言い当てられ、私は自分のことがわかって、ずっと涙が止まらなかった。

唐さんを国大に招いたのも室井さんだった。大学時代、そのおかげで唐ゼミの演劇を何度も見ることができたし、実際に唐さんの授業を受けることもできた。授業がどうというより、教室を歩き回る唐さんのあの特異な存在感をまずは忘れられない。
後期受検の私は、面接でゴッホの話をし「なんの絵?」と聞かれて、タイトルが思い出せずにいたとき、唐さんがあの声で「君が言ってるのはこういう絵で、星月夜の話かな?」と助けてくれたのも唐さんだった。「いえ、違います」という結論だったんだけど。

バッタプロジェクトには参加しなかったけど(私はなんかもっと生きることに、バイトにも夢中になって、学校で提供されるものや、学業にそんなに熱心ではなかった)、アメリカ ボストンに語学留学に行くために羽田に向かうバスで、インターコンチにひっついてるバッタを見たのを覚えてる。かっこいいことしてるな、って思った。そして、9.11をアメリカで私なりに経験して、またバッタを見て戻ってきた。日本に帰ってきたら同級生が亡くなっていた。
椿昇さんとは、新宿クリエイターズフェスタのPRをしていたときに「室井ゼミ出身です」とお話することができた。

室井ゼミでは、一時期、自由にそれぞれが持ってくるお題を扱っていた。視線だとかエロティシズムとか、SMとか、先生は私達が持ってくるどんなお題にも、真剣に答えてくれた。ゼミが始まる前、机の上には、たまに新しいマカダミアンナッツとアーモンドチョコレートが置いてあった。
先生は、絶対に歯に衣着せないし、タバコを吸いながらふんぞり返って貧乏ゆすりしながら不機嫌そうにあーだこーだ言って、たまに人を決めつけるが、やさしい。

「お前入ってくるときは、すっごく勉強しそうだったのに、全然勉強しなかったな(笑)」ともよく言われた。私は先生の授業とゼミは多分ほぼ出てたよ。でもそのとおり。当時、生きることと勉強がむすびつくのに少し時間がかかったし、生きることについてもっと考えてた。

卒業式のあとの打ち上げにいくのに、私はぐずぐずしていてだいぶ遅れて参加したのだけれど、先生は待っていてくれた。そして「お前のことはわすれないよ」と握手してくれた。(なんでだろう?)と思ったけど、私も先生のことは忘れるはずがない、と思った。

フリーで仕事をしている私を気にかけてくれて、KITANAKAスクールのPR
の仕事で声をかけてくれ、任せてくれたこともあった。その仕事の最中に3.11が起こった。私はKITANAKA BRICKの中にいた。揺れでPCを持って外に出たとき、地面が波打ってるのを見た。

とってもとっても寂しいのはマルチの主要な教授たちの多くが亡くなってしまったこと。みんな、なんでそんなに早死するんだ!!と思ってるマルチ生は多いだろう。でもその理由があることも皆知ってる。
いつか「私達さ、大学のときにいわゆる”立派なオトナ”じゃない人たちをガンガンにみせられて、本当に良かったよね」と、マルチの同級生が言った。
本当にそのとおりだと思う。大人主義のクリシェからは程遠い人たちに囲まれ、対峙させられていたという意味で、私達は真っ向から「人間」くさいインテリ、身体・命を使い実験する人、戦う人たち、をみせられ、その人達から学ぶことができた。世間に縮こまるなんてくそくらえだ。

人の死に対して、他人は何もできない。
今回の知らせに、そうかんじた。
ひとの生き死にだけは、触れられない。もちろん、いろんな励ましや助け、抵抗はできるだろう、でも生死そのものには触れることが絶対にできないのだ。翌日、そういった無力感を感じていた。
なんか様子がおかしいのかもしれないと、心配だけはしていて、昨年末や1月に会いに行こうと、計画を立てようとしていた。でも日程がとれずに行かなかった。室井さんがFacebookで病状を公表した2月に「会いに行きたい」と申し出たが「来るな!」と断られた。

私のなかの室井さんは、まだ弱ってない。
まだ怒ってるし、まだ優しい。
まだこいつは駄目なんだよ、とか、あんなの信じられないよな、とか。
お前のあの話は、面白かったよ、とかいってる。

また授業受けたいな。
やっぱり先生と話すのもいいけどさ、19歳に戻って刺激的な授業をまた受けたい。

素晴らしいお友達にも先生にも会えたし、あのときマルチに入ってよかったって思います。
ご冥福をお祈り申し上げます。

(写真は2019年1月、久しぶりに会いに行ったときのもの)





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