「お金を払う」ということ

子供の頃「お金は汚いからさわったら手を洗いなさい」と言われた人は多いのではないでしょうか。
(ちなみに私は家が商売家だったので、言われたことはありません)

どこかでそんな話を聞くたびに、確かにお金はいろいろな人の手を渡ってきているが、そんなに目くじらをたてるほど汚いものなのか? と長い間疑問に思っていました。(もちろん昨今のコロナ禍では手洗いは必須ですが…)

そんな時、新聞のコラムに、お金を「払う」というのは「祓う」という意味だということが書いてありました。

元ネタは本居宣長の『古事記伝』で、

「今俗に、物を買たる直(アタヒ)を出すを、払ふとも払をするとも云は、祓除の意にあたれり、又これを済(スマ)すと云も、令清(スマス)の意にて、祓の義に通へり」

つまり、支払の「払う」と神社でのお祓いの「祓う」は同じ意味であり、加えて決済の「済」も、澄む(清らかな)状態を指し、禊ぎの意味に通じるということです。


さらに『なぜ日本人は賽銭を投げるのか』という本によれば、

貨幣はケガレの吸引装置であり、神社はケガレの浄化装置であるというのがその結論。
参拝者が賽銭を投げ込む行為は、ケガレがよりついた貨幣を投げ捨て、カミの浄化機能で清めてしまう意味があるとのこと。
お金を投げつける行為は神様に失礼にあたるように思えるが、なぜかそれが許されてしまうのは、お金・貨幣に自分の災禍・罪穢を移し託して、お賽銭として神社に投げ入れることがそのまま祈願行為となるということらしい。

つまり、日本人にとって「お金を払う」というのは「身を清める」ことに
繋がる行為なのでしょうか。 興味深いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?