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過食嘔吐の日々~起業編~

退職&同居&入籍&起業

2012年10月に会社を退職して、そのまま彼の実家に身を寄せました。

そして、2012年11月に不動産会社を起業。

その後、2012年12月末に入籍しました。

今思えば、怒涛の転換期だったように思います。

住む場所も、仕事も、ステータス(未婚→既婚)も全てまるっと変わった時期でした。

毎日が目まぐるしく過ぎていきました。


喧嘩ばかりの日々

起業したと言っても、まだ小さい会社でしたので、

せっまーいオフィスに2人でいると、どうしても喧嘩が起きやすくなっていました。

付き合った当初は、そりゃあお互いにいい顔してますから、

喧嘩にはなりませんでしたけど、一緒に生活しているともう、だめですね。

お互いまだ若かったこともありましたが、ひどい喧嘩が増えていきました。

借りていたオフィスは、区割りでオフィスを貸しているところでしたので、

壁とドアで仕切られていたとしても、まあ薄いので、なかなか響くし聞こえる時もありました。

そんな状態の中、本気で喧嘩しているので周りからしたら大変な迷惑だったことでしょう。

たまに、その区割りオフィスの社員さんが心配で(いや、苦情かも)駆けつけてくれたりしたものです。

それぐらい、激しい喧嘩をしておりました。

お恥ずかしい限りですが。

どうしても、仕事のこととなるとお互い譲れなくて、いつも火種は仕事のことだったように思います。

それでも、対外的には仲の良い夫婦としてうまくやっていたと思います。


会社で過食嘔吐

彼は、物件の査定や営業でよくオフィスを空けることが多くなりました。

私は電話対応をしながら、事務処理をしてオフィスで一人のことが多くなります。

そうすると、喧嘩などでストレスMAXの時には、ついついこっそりコンビニに走り、過食しながら仕事をするようになっていったのでした。


タバコも禁じられる

当時は、タバコも吸っていたのですが、彼にタバコを吸うことも禁止されていたので、本当にこそこそ吸うしかありませんでした。

付き合う前から吸っていたのに、何故禁止に応じていたのか、今になってはもう思い出せません。

喫煙室で吸うと確実に匂いがついてしまうので、少し遠いですが、オフィス棟から離れた外の灰皿まで走り、ささっと吸って帰るという何とも健気なことをしていました。

冬とかすっごい寒いのに、頑張って外で吸ってた私、すごいわ。笑

オフィスに戻る前に必ずトイレで歯磨きと、腕についてしまった匂いも心配だったので、腕をしっかりと洗っていました。

今、書いてきて猛烈に感じていること・・・それは

私、めっちゃ可哀想じゃね?!

という切ない感情。

家では、過食嘔吐も禁止。

いつでもタバコ禁止。笑

たまに匂いでバレて怒られる。

当時の私は、本当にそんな感じでした。

自分に自信がないから、

他人からの支配をそのまま何の疑問もなく受け入れていました。

今の私は、誰にでも言いたいことを言えるようになってきましたが、

当時は、嫌われたくない症候群で何もいえませんでした。

そりゃあストレスもたまるよね。


スタバも禁止

それからある程度会社も大きくなっていって、

お金にはかなり余裕が出てきた時期だったと思います。

彼は、仕事だ接待だと称して、週に何度もキャバクラへ通うようになりました。

領収書は私が管理していたのですが、だいたい1回あたり10万前後だったと思います。

金額について指摘すると、

「いや、これは仕事だから。」

(お前と違って俺は仕事してるんだよ)

みたいな口ぶりで逆ギレしてくるのでした。

それでも、喧嘩するたびに、コンビニのコーヒーでなく、

私がスタバが好きでスタバによく行くので、

なぜスタバに行くんだと、

もったいないだろ!?と。

文句を言われるという珍事件が毎回勃発していました。

お前のキャバクラ代で

一体何杯

スターバックスラテ

飲めるんだよ!って話だよね。笑


社長夫人なんて名前だけ

当時、友人や知り合いには、

「いいなー社長夫人じゃん!」

とよく言われていました。

でも、そんなの社長の奥さんならみんな社長夫人なわけでさ。笑

私は、豪邸ではなく、マンションですらなく、相手の実家に居候でした。

ブランド品なんて買ってもらったこともないし、身に付けたことなんてほぼありません。

スタバに行くだけで文句を言われる生活でした。

だって、夫はドケチだったんだもの。

そういや離婚する1年くらい前まで結婚指輪さえ買ってもらってませんでしたw

慰謝料?もらってないわ!


何なら、働いている給与さえもごまかされてました。自分の旦那にw

離婚の時にようやく未払い給与で支払ってもらいました。

みんな、離婚の時も

「慰謝料、たくさんもらったんでしょ?」

って聞いてきましたが、慰謝料は一銭ももらってません。

自分がもらっていなかった給与を受け取っただけでした。

財産分与はしたくないということで彼は弁護士を立てて争うと言ってきましたので、

さっさと別れたい私は最終的には諦めました。

その際に、離婚調停なるものに巻き込まれたのですが、

その調停員のくそ話はまた別記事で書きたいと思います。


ケチは遺伝する

本来、夫婦が結婚してから築いた財産は、半分ずつ分ける権利があります。

それを財産分与と言います。

逆にいえば、彼の家が大地主でお金持ちだったとしても、

私には一切権利はないのです。

なのに、ずっと義理の母には疑われ続けていたようにも思います。

2時間くらい長話に毎日付き合わせて、それでも信じないって逆にすげえよw

離婚後、彼の実家の健康保険から脱退した際に、役所から脱退届見たいの届くんですが、

そこに彼のお家の収入が記載されていて、なんかも大爆笑しちゃいました。笑

どんだけ私、信じてもらえてなかったんだろ?って。

いつもいつも義理の母の口癖は、

「うちにはお金がないから」

でした。いや、別に、あるとかないとか聞いてないしみたいな。笑

真実としては、

何億か忘れたけど、億単位の収入があったみたいです。

でもね。

でもね?

毎晩、スーパーの割引のお弁当とか、半額のお惣菜がお夕飯でしたw

(え?私が吐くからじゃなですよ?w)

私の実家は、別に億単位のお金なんてぜーんぜんなかったけど、

新鮮な魚や、新鮮な野菜、そして愛情のこもったご飯をきちんとお母さんが作ってくれていたので、

なんかもうほとほとそういう人たちが嫌になりました。

なんかもう、本当、ケチって品がないわね。

みたいな。

離婚してせいせいしたのはそういう理由もあったかもしれません。

価値観が合わない、ただそれだけとも言えますが。

つづく

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