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過食嘔吐の日々〜大学生活編〜④

一人暮らし再開

そんな中、姉が彼氏と同棲することになりました。

姉もわたしとの同居生活に限界だったのかもしれません。

私は、同じ駅の違うワンルームマンションへ引っ越しました。

もう誰も私を監視する人はいないので、文字通りやりたい放題。

昼夜逆転は当たり前。

家はゴミだらけ。

今振り返ってもとんでもない生活をしていました。

夜のバイトも再開

度重なる過食嘔吐により、仕送りと奨学金だけでは生活ができなくなってしまいました。

家賃の支払いが遅れることもしばしば。

かといって、昼間のバイトも続かない。

というかそもそも昼間に起きてない。

ということで、また、夜のバイトを始めることにしました。

生活がかかっているので、もう文句は言えません。

必死になって働きました。

そして、結局頑張りすぎた反動で、過食嘔吐を繰り返していたのでした。

それでも、リタリンを処方されていた時のあの全能感は忘れられませんでした。

あの時のわたしに戻りたい。

わたしはずっとそう思っていたのかもしれません。

元やくざとの出会い

そんな中、夜のバイト先である出会いがありました。

天才

と書かれた、どう間違っても天才ではないであろう人がお店に入ってきたのでした。

30代中盤くらいで、中肉中背の眼鏡をした人でした。

関西弁で自虐ネタを披露してくれるような、とても面白い人でした。

その時は、その人が元やくざとは気づきませんでした。

わたしはだんだんとその人と仲良くなっていきました。

個人的に連絡をとるようになり、個人的にも会うようになりました。

堕ちるところまで堕ちる

やくざ用語で、女性をくすり漬けにすることを「づける」というそうです。

あれからもう10年以上経っておりますが、その言葉だけは忘れられません。

リタリンの話をその彼にしたところ、もっといいものがあると教えてもらったのが、

覚せい剤でした。

私は、またあのきちんとした生活をしたい!

過食しない生活を取り戻したい!

という気持ちから、とうとう手を出してしまったのでした。

結果としては、確かに過食衝動はなくなりました。

というより、食欲がまったくなくなったのでした。

そして、まったく眠れなくなりました。

2日くらいずっと寝れずに起きている・・・なんてことはざらで、

その後丸1日眠りこける、という生活でした。

幻想が見えるのは薬の副作用ではなく、ただひたすらに睡眠不足だからじゃないのか?と実はこっそり思っています。

風もない部屋でカーテンが揺れて見えたことがあります。

となりの部屋の人と戦っていたこともあります。

(※となりの部屋の人は存在しませんでした)

大学に行けるどころの騒ぎではありませんでした。

私の生活は、更にどん底まで堕ちていったのでした。

そうこうしているうちに、身体はどんどん痩せていき、

椅子に座るとお尻の骨が椅子に当たって痛くて座ってられなかったり、

裸になれば、肋骨が浮き上がっていました。

痩せれば、綺麗になる

そう信じて疑わなかった自分が今思えば恐ろしいです。

ですが、当時の私は、そんなガリガリになった状態でも、

痩せていれば、綺麗

だと思っていたのです。

当時の写真を見ると、今なら痛々しい姿だったと思えるのですが、

当時は、そんな自分をきれいだと思い込んでいたのだと思います。

それでも、人生がすこし楽しく見えたのです。

そこまでしてようやく普通の人が感じる 楽しい くらいだったのだと思います。

普通の人のように生きたい。

いつからか私はそう願うようになっていました。

叔母さんによる救済措置

ちょうど人生最大のガリガリ時期に、姉の結婚式が行われました。

人生最大のボロボロコンディションで、人生最高に幸せな瞬間を送っている姉の結婚式というものすごいコントラスト。笑

それでも、わたしの素敵なところってねたまないところだと思う。

ただ単純に、良かったなあと思ったことを覚えています。

そして、逆になぜか(こんな汚い私が姉の結婚式に来てはいけない)症候群に陥って、式中トイレで泣いていました。笑

たぶん今思えば、ちょうどクスリが離脱している状態で情緒不安定だったのだと思います。

そんなこんなで、美味しいコース料理もすべてスキップして、家族写真にも写っておらず(トイレにいたので)。笑

変な妹丸出しでした。

そんな中、叔母さんが私の行動と見た目がヤバイことを察知したのでした。

クスリをやっているとまでは断定されませんでしたが、ちょうど同じ東京に住んでいるということもあり、

その日からほぼ拉致状態で、叔母さんの家に連れていかれたのでした。

今思えば、この拉致事件がなかったら私はもっとクスリ漬けになっていて、

もしかしたら、死んでいたかもしれません。

あの時、神様が叔母さんをよこしてくれたのかもなあ、、、

と最近は思うのでした。
(いや、でももっと早く来てよ、神様)

つづく

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