見出し画像

過食嘔吐の日々~社会人編2~

実家で同棲スタート

わたしは、引っ越しのその日(というか行きついて初めて)に、

住む場所が、アパートではなく、彼の実家だと知らされたのでした。

でも、もう来ちゃったし、どうにもなりません。

もうこの時点でわたしに拒否権はないのです。だってもう住む場所ないし。

幸いなことに、彼の実家は地主にありがちな横に広いタイプの家で、

彼のご両親が活動している部分とわたしたちが住む予定の部分は長い廊下で離れていました。

でも、玄関は一緒。

どこかに出かけるとき、必ず「どこに行くの?」と聞かれるのがストレスでした。

そして、駅までべらぼうに離れているので、外出するにも車が必要、という環境。

私は免許はありますが、身分証明書でしかないので、その当時ひとりでどこかに出かけるのはかなりの難易度でした。

そして、近しい場所に、友達も知り合いもいませんでした。

新しい土地に放り出され、ひとりポツン状態。

”ペットショップから連れられてきた飼い猫ってこういう気持ちなのかもなあ・・・”

と思ったのでした。

頼れる人は彼だけ。

とても不安でいっぱいの新生活スタートでした。


父に突き付けられた2択

当時はまだ麗しいお嬢様(嘘)というかまだ若かったので、

父親としては、まだ嫁にも行ってもない家に住まわされるなんて!

ということで、その後真実を知った父はかなり怒っておりました。

そこで、わたしに突き付けられた二つの選択肢。

それは、

実家に帰る

OR

結婚する

という究極の選択でした。

というより、ほぼほぼ帰ってこい!状態だったように思います。

父からすれば嫁入り前の娘を他人の実家に住まわせるわけにはいかない、そういう気持ちだったのだと思います。

ま、そうだよね~

大事に大事に育ててくれたもの。


入籍

そこまで選択を迫られて、むしろ実家に帰ってこいとまで言われても、

けっして帰らないのが、わたし。笑

実家に帰るくらいなら結婚してやる!!!

となぜか決意し、引っ越して1か月後には入籍してしまったのでした。

本当に後先考えないやばい人だったと思います。


同居=地獄

その時はまだ、家族以外の他人と一緒に住んだことなんてありませんでした。

人と一緒に住む、生活していくということがどういうものなのか、

私にはまったく分かってなかったのです。

ただただ

”辛い”

の一言に尽きました。

そもそも、一人暮らしをしているときでさえ、

彼と長時間居るだけで疲れてしまうので、

すたこらさっさと帰ることさえありました。

私にとって、人と過ごすことって、疲れることなんです。

もうね、ちょっとでいいの。

3時間とかで。笑

でも、当時はそれさえも分かってはいなかったのです。

女性はいつか結婚して、子どもを産んで、育てていくもの

そういうものなんだって、なんの疑いもなく考えていました。

でもね、

その前段階の「一緒に生活する」が超絶辛かった。笑

夫でさえ辛いのに、さらにその夫のご両親と同居とか、

今思えば、

私って本当に馬鹿だわw

更にひどいことに、

当時は、一緒に会社を始めたばかりだったので、

24時間365日一緒でした。

この状況、普通の夫婦でも無理ゲーなんじゃないでしょうか。笑

しかも、お義母さんがお話好きで、2~3時間は部屋に帰らせてもらえません。

3周くらい同じ話聞いてたな。

しかも、3周目でも、

「え~!?そうなんですか!?」

とやってしまう自分が恨めしかった。

まだ、若かったからかもしれないけど、

今思えば、あの時の私は私にとても厳しかったんだと思う。

人に嫌われないようにしなきゃ、

私がここにいる意味を見出してもらわなきゃ

そうやって常に自分を監視し、コントロールしようとしていた。

良い嫁だと思われるように、謎なプレッシャーも感じていた。

朝も起きたくなくて、生きてることさえ嫌になっていった。

生きているという感覚も少しずつなくなっていった。


悪化する過食嘔吐

夫の実家は、私の家というより、他人様の家という認識だった。

だから、吐くときも、なんだか他人の家で吐いているような感覚で、

通常の10倍くらいの罪悪感だった。

しかも、家は広いけど、木造だから音は響く。

夫にも隠れてしていたし、もちろんご両親も私が「過食嘔吐」してるだなんて知らないわけだから、

皆が寝静まったあとに、音を立てないように、慎重に、慎重に、吐くのでした。

常にびくびくしていた。

しかも、毎日お義母さんが夕飯を用意していてくれて、

私には食べないという選択権はなかった

食べろ、食べろ、とせかされて(もちろん本人に悪気はない)、

私は、食べるしか選択肢はなかった。

当時は、過食嘔吐ではなく、通常食嘔吐だった。

もしそういう言葉があるのであれば。

毎晩そうやって吐いていた。

過食するにもコンビニさえも遠すぎて一人ではいけない。

たまに、家から脱出できたときは、ファミレスで大量に食べ、ハシゴしてさらに食べ、

公園のトイレで吐いていた。

なんともみじめな生活だった。


DV・モラハラ

突然ですが、私の結婚した相手は、

モラハラ強めDV系男子(いま思いついた)でした。

付き合う前に、喧嘩中、私が家から出たくないので、

会いに来た彼に対して居留守を使ったことがありました。

その後、その部屋のドアはボコボコにへこんでおりました。

今思えば、普通にやばいやつですよね。笑

そんな人と結婚してしまったのでした。

私が夜な夜な過食嘔吐をしていることに気づかれてしまったわけですが、

喧嘩するたびに、

「もったいねえだろ、ゲロ食えよ」

とか言われます。

で、そのあとに、私が離婚したいというと、泣いて謝ります。

最初の1年間はいつもそういう感じでした。

でも、これって、DV夫と妻のいつものパターンなんですよねw

そうやって負のスパイラルから抜けられなくなっていくのです。

喧嘩は日々、悪化するばかりでした。

つづく

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?