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War of 1812*1811年の日食と地震と戦争

4月8日(日本時間は9日)のアメリカの日食について書いている途中ですが、例のごとく超長い記事になってしまったので、こちらにスピン記事を書きます。

以前から話題になっている、4月8日の日食の経路が2017年8月の日食の軌跡と「X」を作るという話は、陰謀論ではなくNASAも認めています。
(ていうか、NASAこそ陰謀?)


イクリプス・クロスロード・オブ・アメリカ

イリノイ州カーボンデール

上の図で、2017年8月21日の軌跡と2024年4月8日の軌跡が交差しているところは、イリノイ州ジャクソン郡のカーボンデールという都市です。

北緯37度43分35秒、西経89度13分13秒に位置し、2020年の国勢調査では人口2万1857人。
「カーボンデール」という名は、この町が石炭(カーボン)の採掘場として始まったことに由来しているそうです。

1856 年、長老派によってカーボンデール大学が設立され、 1874年に現在の南イリノイ大学キャンパスの前身である南イリノイ師範大学が設立されるなど、学園都市となっています。
日本やアジアの留学生も多く、日本料理店や中華料理店が市内に数多くあるそうです。

カーボンデールの市章がちょっと面白いです。

現在の市章(上)は2017年に変更されました。
カーボンデール市長のマイク・ヘンリー氏は、「このロゴは抽象的な交差点であり、カーボンデールが「アメリカの日食の交差点」であることにふさわしい」と語り、中央は「街ではドアが常に開いていることを示唆している」そうです。

以前の市章(下)はもっと個性的でした。梯子のようにも見える線路の上に魔法のランプが描かれています。

南北戦争(1861年4月12日から1865年4月9日)以前にこの地域への鉄道建設が行われ、カーボンデールは1853年頃から発展していたそうです。

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イリノイ州

リトルエジプト

南イリノイは、非公式に「リトル エジプト」と呼ばれています。
リトルエジプトと呼ばれるようになった理由は、ミシシッピ川とミズーリ川、オハイオ川と接している地の利から、ナイル川に発展したエジプトにあやかったのだろうと推察できます。

1799 年、バプテスト牧師のジョン・バッジリーは、エドワーズビル近くの肥沃な高地と底地を「ゴシェンの地」と名付けました。
これは古代エジプトへの聖書の言及でした。ミシシッピ川やその氾濫原などの地理的特徴は、肥沃なナイル渓谷に似ていました。この地域のインディアンの塚は当時大きく、エジプトのピラミッドのように見えました。このニックネームは定着し、他の出来事によってさらに強化されました。

英語版wikiより

※「ゴシェン」は聖書の創世記と出エジプト記、ヨシュア記に登場する地名。物資貯蔵の街「ラメセスの地」とも言われる。

モンクス・マウンド(イリノイ州コリンズビル近くのカホキア墳丘群にある
メソアメリカ最大のピラミッド)


南イリノイの最初の入植者はフランス人でした。
この地域は、1803年のアメリカによるルイジアナ買収以前はフランス領ルイジアナ(ヌーベルフランス)の一部でした。

シャルトル要塞(下の写真)には、イリノイカントリーのフルール・ド・リスの紋章が見えます。

イリノイ州フォート・ド・シャルトルの再建された守衛所


ヨーロッパ系アメリカ人の入植は、独立戦争でアメリカが勝利した後と言われています。
1800年までにイリノイ州に住むヨーロッパ系アメリカ人は 2,000人未満だったそうですが、その後にやってきた入植者のほとんどはイギリス人、ドイツ人、スコットランド系アイルランド人の子孫でした。

奴隷制度は禁止されましたが、それ以前にプランテーション(製塩所)で奴隷労働が行われていたため、すでに奴隷を所有していた者は保持することが認められたそうです。
多くの地域は、石炭採掘に基づいて経済を発展させていきました。

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余談ですが
奴隷労働といえば、奴隷の逃亡を助けた「地下鉄道」と言う名の組織がありました。

イリノイ州南東部にあるクレンショー ハウスは、家の主であるジョン・クレンショーが奴隷商人であったため、逃亡した奴隷が奴隷国家に引き戻されてしまう“リバース地下鉄の駅”と言われたとか。
奴隷たちには、カナダが「乳と蜂蜜の流れる地カナン」だったそうです。

私が好きなフレデリック・ダグラスは、奴隷として生を受けた、奴隷制度廃止運動家でした。2月14日生まれだったので「リトルバレンタイン」と呼ばれたフレデリック・ダグラスについても、いつか書きたいです。

フレデリック・ダグラスは写真ではいつも厳しい表情をしている。
「奴隷制と人種差別を終わらせるため」だったという。


話を戻して
カーボンデール市街に「メキシコの星」と呼ばれたマカンダという町があります。2020年の調査では人口547人の過疎地です。村のマカンダ.com
4月の日食では、この町に数万人の観客が集まるかもしれません。

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イリノイ州カイロ

またイリノイ州最南端アレクサンダー郡に「カイロ」(1818年に創設)という町があります。(北緯37度0分47秒 西経89度10分49秒に位置する)

ミシシッピ川とオハイオ川の合流点に位置する郡庁所在地ですが、1920年に人口15,203人を数えたのをピークに人口が減り続け、2020年の住民数は1,733人でした。

かつては水上交通の要として発展した都市で、市内には歴史的建造物も点在していますが、水上交通の衰退と共に衰退し、現在は大きな産業もないことからイリノイ州内で最も貧しい都市に数えられています。

グラント将軍の本拠地


カイロは、南北戦争当時は戦略的に重要な位置にあったため、戦後も地の利を生かして大変栄えました。
戦時中にいくつかの銀行が設立され、戦後も 銀行と蒸気船の交通量の増加が続きました。

しかし、20世紀にミシシッピ川橋の完成によってミズーリ州とイリノイ州が結ばれ、その後オハイオ川橋が完成したことによってフェリー産業は終了し多くの失業者が出ました。
それだけでなく 2つの橋によって町が迂回されたため、観光もふるわず経済衰退は止まりませんでした。

1969年には公民権運動による暴動が起こり、鎮圧のために軍隊が出動するほどの事態になりました。イリノイ州カイロの人種暴動
以降、カイロはイリノイ州内では黒人人口率の高い部類に入る都市のひとつとなっています(2000年の国勢調査では約6割)。

イロのワシントンアベニュー
旧税関
マグノリア マナー、1869年建立。1969年に国家歴史登録財に指定される。

しかし、カイロには電車もバスも走っていないため、これらの歴史的遺産も観光産業の発展には結びついていません。


ニューマドリッド地震帯

そんなカイロから南にニューマドリッド地震帯が広がっています。

ニューマドリッド断層は、5つの州(イリノイ州、ミズーリ州、アーカンソー州、ケンタッキー州、テネシー州)にまたがる長さ150マイル (240 km) の地震帯です。
ニューマドリッド断層は、約300年から500年間隔で大地震を引き起こすと考えられています。

近年発生した大地震は、1811年12月から1812年2月にかけてマグニチュード7以上が連続して発生したニューマドリッド地震でした。

この地震の震源地と言われるミズーリ州ニューマドリッドは、18世紀までフランス領ルイジアナ(ヌーベルフランス)の一部でした。
ルイジアナは、1762年のフォンテーヌブロー条約によってヌエバ・エスパーニャ(スペイン語で「新スペイン」という意)副王領となりましたが、1800年にナポレオン・ボナパルトがサンイルデフォンソ条約によってフランスに取り戻しました。
1803年のアメリカによるルイジアナ買収後は、ミズーリは19世紀に西に向かう探検隊や開拓者の出発点になったため、「西部への玄関」という呼ばれ栄えたそうです。
2020年国勢調査時点のミズーリ州の人口は合計約615万人あまり、ニューマドリッドはそのうちの約2700人でした。

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1806年と1811年の"X" crosses

調べてみると、この1811年12月から1812年2月にかけてのニューマドリッド地震の前にも、今回のように日食の経路による"X" が形成されていたそうです。

1回目は、1806年6月16日の日食(サロス124) 、テムカセの日食とも呼ばれるSolar eclipse of June 16, 1806

1806年6月16日日食図


1806年にアメリカで何か特別なことがあったか?はわからなかったですが、トーマス・ジェファーソン大統領の時代でした。
ジェファーソンは、ルイジアナ買収やルイス・クラーク探検隊(1804年 - 1806年)を進め、在任中はイギリスのような強国との戦争を回避しました。

1806年は8月に 神聖ローマ帝国が終焉を迎えています。


2回めは、7年後の1811年9月17日に日食(サロス141)が起き、ニューマドリッド断層域でXクロスが形成されました。

1811年9月17日の日食

冥王星とSノードが魚座でコンジャンクションで、射手座火星、土星のコンジャンクションで、NノードとTスクエア。
ノードが絡むと多くの人に影響が出ます。

海外のデータでは、射手座に天体があるときは大地震が起きやすいと聞いたことがあります。
阪神淡路大震災のときも射手座に天体が入っていました。

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ニューマドリッド地震

"X" が形成された3か月後の1811年12月16日に、ニューマドリッド地震の1回めが起き、同じ日に2回めの大地震も起きていました。

1811年12月16日 UTC 8時15分(現地時間午前2時15分)、アーカンソー州北東部を震源とするマグニチュード7.2から8.1の地震が発生した。
震源近くにはまだ人があまり住んでいなかったこともあり、人工構造物に対する被害は僅かだった。後にテネシー州メンフィス市となる地域はメルカリ震度階級IXの揺れを記録した。
副振動は上流に伝播し、リトルプレーリー(現在のミズーリ州カルサーズビル近く、サンフェルナンド砦があった場所の集落)では、土壌の液状化現象によって大きな被害が出た。

1811年12月16日 UTC 14時15分(現地時間午前8時15分)、アーカンソー州北東部を震源とするマグニチュード7.2から8.1の地震が発生した。
これは最初の地震から6時間後に発生し、同じくらいの強度だった。

wikioediaより


翌1812年1月23日、2月7日にも同規模の地震が起き、合わせて4回の大地震が連続していました。

それから200年以上経っていることや、今回の"X" が前回と同じ7年間隔の日食で形成されるということで、大地震の引き金になるのではないかという懸念も現地ではあるようです。

1811年12月16日ニューマドリッド地震

データバンクにあった地震のチャートでは、1811年12月16日の地震は午前2時15分に起きており、前日15日は射手座の新月だったことがわかります。

3ハウスステリウムで9ハウス蟹座木星(逆行)とオポジション。
海王星とノード軸がTスクエアになり、冥王星がSノードとコンジャンクション。

3か月前の9月17日の日食は、乙女座23度の場所で起きており、地震前日の新月は射手座23度なので、日食からちょうど90日でスクエア(=90度)です。日食のときは射手座24度に火星がありました。

テネシー州リールフット湖


テネシー州北西部にあるリールフット湖は、ニューマドリッド地震で形成されました。
地震でミシシッピ川が逆流し、大変な被害が出たようです。
1785年の土地測量ではミシシッピ川の支流にリールフット川 (Reelfoot River) がありましたが、地震の地殻変動で川は消滅しました。

現在、ニューマドリッド地震帯には15 の原子力発電所があるそうです。
1811年のような大地震が起きた場合は、当時よりもっと悲惨な状況になるかもしれません。

将来の地震の可能性
2008年11月に提出された報告書の中で、米国連邦緊急事態管理庁は、NMSZでの深刻な地震は「米国における自然災害による最大の経済的損失」をもたらす可能性があり、さらに全土で「広範で壊滅的な」被害が予測されると警告した。
アラバマ、アーカンソー、イリノイ、インディアナ、カンザス、ケンタッキー、ミシシッピ、ミズーリ、オクラホマ、テキサス、特にテネシーでは、マグニチュード 7.7 の地震が発生すると、数万の建物に被害が生じ、配水、交通システム、その他の重要なインフラに影響を与える可能性があります。
この地震により数千人が死亡すると予想されており、そのうちメンフィスだけで4,000人以上が死亡すると予想されている。


War of 1812(米英戦争)

ニューマドリッド地震のほかに日食の影響がアメリカで起きていたかを調べると、1812年6月18日にWar of 1812(米英戦争)が起きていました。

このときの大統領ジェームズ・マディソン・ジュニアは、戦中と戦後、その政治姿勢の多くを逆転させたと言われています。
アメリカ合衆国となって初めての公式の戦争だったため、反戦感情も広範囲に広がりました。

米英戦争は、1812年6月から1815年2月までの期間にイギリス、その植民地であるカナダ及びイギリスと同盟を結んだインディアン諸部族とアメリカ合衆国との間で行われた戦争。
米英がカナダ、アメリカ東海岸、アメリカ南部、大西洋、エリー湖及びオンタリオ湖の領土を奪い合い、また両陣営がインディアンに代理戦争をさせたため、北米植民地戦争でもあり、インディアン戦争でもある。

アメリカ国内でも政治対立が起きており、米英戦争に対する反戦運動では特にニューイングランドで強力に広がりました。
北部の州はその産業がイギリスとの貿易に依存していたため、北部州の議員たちは宣戦布告後直ぐに結束して反対を唱えました。

アメリカ軍の正規軍兵力はまだ大変少なく、戦争遂行のためには州民兵を招集しなければならなりませんでしたが、マサチューセッツ州知事は(州民兵を招集できるのはアメリカ合衆国大統領ではなく、州知事のみであるという見解のもと)戦争を支援するために州民兵を招集することを拒みました。

戦争が長引くに連れ、幾つかの州では合衆国からの脱退の動きもありました。ハートフォード会議

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1791年2月25日に創設された第一合衆国銀行(First Bank of the United States)の公認期間は20年間で、1811年に失効しました。

第一合衆国銀行が創設されたのは、ジョージ・ワシントン大統領の時代で、アレクサンダー・ハミルトンが初代財務長官のとき。
ハミルトンは、アメリカ合衆国憲法を起草した建国の父のひとりでした。

ハミルトンの父親はスコットランドの地主の四男、母はフランスのユグノーの子孫と言われています。

第一合衆国銀行は、アメリカ合衆国経済にとって不可欠であった初の連邦中央銀行となり、また初のアメリカ合衆国造幣局の設置による初のドル硬貨の発行(1792年)はハミルトン一人の成果とも言われます。

大統領ジェームズ・マディソン・ジュニアは、大統領になる以前に第一合衆国銀行の創設に大反対していた経緯がありました。
トーマス・ジェファーソンも金融操作、汚職の原動力であると考え、第一合衆国銀行の創設には大反対していました。

1811年に20年間の憲章が期限切れになり、議会によって更新されなかった。連邦公認銀行がなかったため、政府が1812 年戦争の資金調達に苦労する中、その後の数年間は信用を生み出すために連邦発行の財務省紙幣が急増しました。

第二アメリカ合衆国銀行は、1817年1月に公認された。
第二アメリカ合衆国銀行が公認された最も大きな理由は、米英戦争の間にアメリカが厳しいインフレを経験し、軍事行動の財政的手当が難しくなったことだった。そしてアメリカ合衆国の信用度や借入金の状況が建国以来最低のレベルになっていた。

この戦争の最中に、アメリカ合衆国の国歌「星条旗」(The Star-Spangled Banner、星の煌く旗)が生まれました。

ゲント条約の調印


米英戦争ではアメリカは常に劣勢でしたが、幸いなことにナポレオン戦争(ナポレオン・ボナパルトは1814年4月退位)で軍事的、経済的に疲弊しきっていたイギリスは早く戦争を終わらせたいと思っていました。
当時の英国王はジョージ3世

1814年12月24日にオランダ領ゲント市(現在はベルギー)で平和条約が締結され、米英間の北東部国境が1812年6月の戦前の国境に回復されたため、カナダ領土へのアメリカの野心は潰えました。



2024年4月8日(現地時間)の皆既日食

今回の日食(サロス139)は、牡羊座19度の場所で起きます。
カイロンも同じ度数でコンジャンクションなのが怖いです。

魚座では火星と土星がコンジャンクションになっており、フラストレーションがたまっています。
星の配置は世界共通なので(場所によってハウスが違う)、日本も同じ状況です。

カーボンデール

カーボンデールの日食図では、MCに不和の女神エリスが、ディセンダントには冥王星がコンジャンクション。エリスと冥王星がスクエアになります。
結構こわい配置ですね。

日食の影響は、次の日食(2024年10月、サロス144))まで有効です。
1811年の日食のパターンと同じだとすると、8月初めの新月頃に地殻変動が?あるいは前倒しで起きることもあります。

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アメリカ全体

ワシントンDCで作ったチャートがアメリカ全体を表します。
上のカーボンデールとは微妙にハウスの入り口がずれます。

日食は9ハウス牡羊座で起きます。
おそらく外資、海外金融に変化があると思われるのですが、アメリカの建国チャートで見ると4ハウスで起きる日食なので、国内に課題があります。
そして建国チャートのカイロン(牡羊座20度)に日食がコンジャンクションになります。

建国チャートnation1

南北戦争(1861年4月12日~1865年4月)が起きた1861年1月の日食は、山羊座20度の場所での日食でしたが、カイロンとスクエアでした。

今回も、内戦のようなことが起きないとは言切れない気がします。

長くなりましたので、続きは本編に書きますね。
今日はこのへんで。また近いうちに。

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