桜桃忌によせて
6月19日は桜桃忌なので、太宰治のホロスコープと拙歌をシェアしたいと思います。
太宰治と愛人の山崎富栄が、玉川上水に入水自殺(心中)をしたのは、1948年6月13日でした。二人の遺体が発見されたのが、6月19日。
6月19日は太宰の39歳の誕生日になるはずでした。
私も桜桃忌に、玉川上水と三鷹の禅林寺にある太宰の墓に参ったことがあります。現在の玉川上水は、暗渠が多く、水深も浅くなり、自殺に適さないように思えるんですが、当時は水量が多かったようです。
ふたりが入水した場所は、玉川上水の幅が狭くなった地点で流れが速く、しかも水量も多く、魔の淵と呼ばれていたとのこと。太宰と富栄以外にも、入水自殺をした人がいたかもしれませんね。
上水の浅き流れをのぞき見るむらさき橋に身を傾けて/佐山みはる(自作)
むらさき橋は、実在の橋です。太宰と富栄の遺体が発見されたのが、むらさき橋あたりと言われています。
wikiの「太宰治と自殺」というページに、ふたりの心中の経緯が書かれており、引き上げられた太宰と富栄の遺体を遠目に撮った写真も掲載されています。
太宰の墓がある三鷹禅林寺には大きな朴の木があり、私はそれを見に行くのも楽しみでした。これまで私が見た中で一番大きな朴の木で、お寺に近づくごとにマグノリアの芳しい香りが強く漂ってくるのです。
太宰の墓は、生前の太宰の希望に従って、森鴎外の墓に向き合うように建てられています。鴎外の墓は文豪にふさわしく大きな印象です。
そして、富栄の墓はそこにはありません。太宰の遺族側の強い拒否によって分骨はおろか、遺髪や写真も太宰と共に葬ることを許されなかったそうです。
赤い紐で互いをしっかり結び合ったふたりでしたが、皮肉なことですね。許せないという遺族の気持ちはよくわかります。
疎まれて愛人(おんな)の骨はここに無し死すればならう世の常として/佐山みはる
太宰は、自殺未遂を過去に7回起こしており、そのうち心中が3回ありました。その3回の心中で、1人が亡くなっています。日本の文学者の自殺の中でも、太宰の自殺は特異な例とされているそうです。
自殺を繰り返した太宰治(本名:津島修治)のホロスコープを見てみましょう。
生まれた時間がわからないですが、月は蟹座で間違いないです。
双子座生まれで風の男ですが、エレメントは水多めです。フィックスサインはないですね。(カイロン除く)
土の星座に星は入っているものの(山羊座に天王星、乙女座に木星)、フィックスサインでないため、生涯を通して地に足がつかない人だったでしょう。
太宰の太陽は、双子座27度で、サビアンシンボルは(28度)「破産宣告された男」
ギャグのようですね。そのまんま太宰のようです。
ポジティブな見方をすれば、破産は、重圧からの解放、そして再出発の原動力になります。
太陽には冥王星(サビアンシンボルは「森の中の冬霜」)が合で、太陽にカリスマ的パワーをもたらしていますが、それは破天荒でもあるわけです。
太陽は不和の女神エリスとはスクエアで、お騒がせな性質も持っていたことでしょう。
月は、蟹座5~17度の間なので、いずれにせよ金星、海王星とも合の範囲です。月蟹は、身内意識が強く、心を開いた人には大変親身に付き合います。敵よりは味方が多く、人たらし的な憎めない人柄だったでしょう。
反面、それゆえに家庭に問題が生じやすくなったりもします。
また海王星合の場合は、アルコールや薬物に依存しやすい場合があります。
太宰がタナトス(死への衝動)に取り憑かれるようになったのは、いつからなのか何が原因なのかはよくわからないですが、最初の自殺未遂は1929年11月でした。
その2年前の1927年7月に、芥川龍之介(35歳)が服毒自殺をし、絶命しています。芥川が自殺する2か月前に青森での講演会を聞いていた太宰は、芥川の話に大変感銘を受けていたため、芥川の自殺の衝撃が大きな影響を与えたと言われています。
普段から、死にたがりな傾向にあった太宰に、芥川の自殺が追い打ちとなり、芥川を真似て睡眠薬に依存するようになったと見られています。
過去7回の自殺未遂のうち5回は、薬物によるものでした。
太宰は、1935年に腹膜炎の痛み止めに処方されたパビナールにも依存し、大量服薬するようになったそうです。
太宰には女性問題が常についてまわります。
魚座の火星と蟹座の金星はトラインで、優しい心根の男性であったため、女には大変モテたことでしょう。また、教養もあるお坊ちゃん育ちだったので、ふんわりとした印象もあったでしょう。
実家は資産家(殿様と呼ばれていた)で、学歴もあり、見栄えもよかったと思われるので、女性にとって太宰との結婚は玉の輿だったのでしょうね。
太宰は、1938年に結婚していましたが(1937年に別の女性と心中未遂のすえ、別れていた)、結婚生活はまずまず順調で、精神も安定し、小説も評価され、仕事依頼が多かったそうです。
ところが、破天荒な生き方を好む性質が、自ら安定を壊してしまうんですね。
最後の心中の相手、山崎富栄と太宰が知り合ったのは、1947年3月末頃でした。富栄と知り合う前に、別の女性(太田静子)と不倫関係になっており、子どもを認知しています。その子どもは、のちに作家になった太田治子さんです。
1947年3月ごろのトランシットを見ると、太宰の火星にトランシット火星が合になり、太宰のNノードにトランシット天王星が重なっていました。
ホロスコープを見て気づかれたかと思いますが、生まれる前の先行日食からほどなく誕生しています。
太宰の先行日食は1909年6月17日。双子座26度で起きていました。サビアンシンボルは「森から出てくるジプシー 」
サビアンからも想像がつくように、安定はむしろ苦手なのです。常に、新しい環境に身を置きたい。まあ、つまり家庭人としては難あり。
でも、何も死ななくても新しい環境は手に入れられたと思うのですが、死に魅入られた太宰には、死に行く自分の姿が美しく頭に浮かんだのでしょうね。かなりナルシストだったとも思います。
太陽とセキスタイルになっている牡羊座の土星が、天王星とスクエアになっており、ストッパーになれなかったのが残念でしたね。しかも土星のサビアンシンボルは「欲望の庭に続く門」ですから。
しかし、この人となら心中してもいいと思える男性って、どんな男性なんだろうって思ってしまいます。若い女性は、どこか危険な香りがする男性に惹かれるようです。
(女性は年齢が進み、現実的になっていくので、見るからにアブナイ男性には近寄らなくなります(笑)
映画では小栗旬さんが、太宰治を魅惑的に演じられていましたが、小栗旬さんみたいな太宰だったら、たぶん多くの女性が「地獄でも一緒に行きたい」と思うかもしれませんね。
やわらかく吾を拒める上水の澱み静かに葉陰映せり/佐山みはる
最後までお読みくださりありがとうございました。
動画で短歌の朗読をしておりますので、お耳汚しですが良かったらお聞きください。https://youtu.be/L7Xf-JUDHlI
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?