1世紀ローマで初めてのキリスト教徒
私はキリスト教徒ではありませんが、ヨーロッパ中世の歴史を調べているとキリスト教は避けて通れないですね。
以前、ローマのラテラノ宮殿について書いた記事の「ラテラヌス家から、ローマで初めてのキリスト教徒が出たと言われている」ことについて、この記事では書いていきます。
ウィキペディアを見ると、
①キリスト教成立から新約聖書が成立し始める1世紀半ばまでを「原始キリスト教」。
②新約聖書の成立後の1世紀後半から3世紀までを「初期キリスト教」。
③3世紀以降7世紀にかけては「古代末期のキリスト教」の区分になるそうです。
エルサレムで始まったキリスト教が、ローマに到達したのは西暦60年頃と言われています。
イエスの死後、イエスの追随者たちはエルサレムなどの都市にキリスト教のグループを設立しました。
使徒パウロは50年代初頭までにヨーロッパに移り、ギリシャのコリントにしばらく滞在したようです。
新約聖書の「ローマ人への手紙」からわかるのは、パウロがコリント滞在中にローマの信徒に向けて手紙を書いていたので、すでにローマにキリスト教会が存在していたということです。
パウロがヨーロッパで伝道を始めたのは、ネロ帝の義父だった第4代皇帝クラウディウス帝(在位41年 - 54年)の頃です。
49年にクラウディウス帝は、ユダヤ人追放令を出していますが、①原始キリスト教時代のキリスト教徒はユダヤ人が主だったはず。ユダヤ教徒とキリスト教徒の区別もつきにくかったのではと思います。
ラテラーニ家(ラテラヌス家)
クラウディウス帝の最初の妻だったプラウティア・ウルグラニラは、プラウティ ラテラーニ家(ラテラヌス家)の出身でした。
離婚の原因は、ウルグラニラの浮気と言われています。離婚から5か月後に、ウルグラニラは女の子を産んでいますが、クラウディウス帝は自分の子どもと認めることを拒否しました。
紀元前 366 年にセクスティウス・ラテラヌスが、平民として初めて一族の中からコンスル(執政官)の地位に就き、その後、ラテラヌス家は数人の皇帝の行政官を務めました。
そのセクスティウス・ラテラヌスの子孫、プラティウス・ラテラヌスは西暦 65年にネロ帝に対する反乱の容疑で捕らえられ(のちに処刑された)、邸宅と財産を没収され、再分配されてしまいました。
その没収された邸宅があった場所が現在のサン・ジョバンニ広場で、ラテラノ大聖堂とラテラノ宮殿が建っています。
それ以前は、コンスタンティヌス1世(大帝)がマクセンティウス帝の妹であったファウスタと結婚した際に、ラテラヌス家の邸宅を手に入れファウスタがそこで暮らしたため、「ドムス・ファウスタ」(ファウスタの家)と呼ばれていました。
西暦313年頃に、コンスタンティヌス大帝がローマ教会に邸宅一式を譲ったので、現在はローマカトリック(バチカン)の所有です。
サン・ジョバンニ広場は、ローマの中心から1.4キロ(徒歩20分)、バチカンからは約6キロほど離れています。
ここにラテラノ大聖堂のほか聖階段(スカラサンタ礼拝堂)があります。
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プラウティウス・ラテラヌスは、48年に皇帝クラウディウスの妻メッサリナ(のちに離婚)と不倫していました。
皇帝ネロの記事にも書いた、ネロの母親アグリッピナが再婚したのがクラウディウス帝で、3番目の妻だったメッサリナが産んだ娘がネロの最初の妻でした。
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プラティウス・ラテラヌスの叔父であった将軍アウルス・プラウティウス(紀元 65 年までに死亡)は、クラウディウス帝の初期にパンノニアの地方総督を務めており、43年にブリタニア侵攻の指揮官に任命されるなど、クラウディウス帝の覚えが良い人物でした。
この叔父のとりなしがあり、プラティウス・ラテラヌスは皇妃メッサリナとの不倫では厳罰を免れましたが、ネロ帝に対する反乱(元老院議員ガイウス・カルプルニウス・ピソを皇帝に擁立する計画)に関与したときには、叔父は亡くなっていたと考えられています。
このプラウティウスの家系からは、わずか8カ月の間ローマ皇帝だったアウルス・ウィテッリウス(在位69年4月16日 - 12月20日)が出ています。
ポンポニア・グラエキナ
アウルス・プラウティウスの妻ポンポニア・グラエキナ(83年没)は、ユリウス=クラウディウス朝(紀元前27年から紀元68年)にゆかりがあり、クラウディウス帝やネロ帝の親戚だったようです。
彼女は初期のキリスト教徒だったと言われています。
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第2代ローマ皇帝ティベリウスの息子であり、皇帝になる直前に毒殺されたドルススジュリアス カエサル(小ドルスス)にはユリアという娘がいましたが、ユリアはクラウディウス帝の3番目の妻メッサリナの陰謀で貶められ、クラウディウス帝によって処刑(西暦43年)されました。
また出て来ましたね、メッサリナ。
ユリアの最初の夫だったネロ・カエサルは、ネロ帝の母アグリッピナの兄でした。
ネロ・カエサルは、29年にユリアの父を毒殺したルキウス・アエリウス・セイヤヌスの陰謀によってティベリウス帝に弾劾され、公敵とみなされて島流しの刑を受け(このとき母大アグリッピナも別の島に流罪になった)、31年に殺害または自死の強要によってこの世を去っていました。
寡婦となったユリアは33年にガイウス・ルベッリウス・ブランドゥスと結婚しましたが、38年に夫ブランドゥスは亡くなりました。
37年に祖父ティベリウス帝が死に、ネロ・カエサルの弟カリギュラが皇位を継ぎましたが、41年にカリギュラが暗殺され、そのあとの皇帝にはユリアにとって叔父のクラウディウス帝が就任しました。
同年にクラウディウス帝の妻メッサリナは、男子ブリタンニクス(のちにネロに暗殺されたと言われている)を出産し、これ以降、クラウディウス帝はメッサリナの言いなりになり、メッサリナは邪魔者を次々と排除、殺害し、ユリアもその標的になってしまったのです。
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ポンポニアにとって、ユリアはいとこにあたります。ポンポニアは、ユリアの死後40年間、歴代皇帝に反抗して公然と喪に服したと言われています。
歴史家タキトゥスのおっちゃんは、以下のように記しています。
ポンポニア家(またはポンポニ家)は、第2代ローマ王ヌマ・ポンピリウスの息子ポンポンの子孫であると主張していたそうですが、真偽はわかっていません。
また、ポンポニアの息子で父親と同名のアウルス・プラウティウスは、ネロ帝の母親アグリッピナと恋仲になり、アグリッピナにそそのかされネロに対して謀反を起こしたために処刑されたという説があります。
でも、似た名前が多いのでこれも真偽はわかりませんでした。
西暦57年にポンポニアは、「外国の迷信」を公言したとして告発されたのですが、彼女の夫が裁判所の所長となり、ポンポニアを無罪にしたという経緯があります。その「外国の迷信」がキリスト教だったと言われています。
ポンポニアが夫とともにブリタニアに滞在中に、キリスト教に改宗したのでは?という記事もありましたが、ちょっとそれはないだろうなと思います。
英国にキリスト教が広まったのは、早くても6世紀と思われます。
聖ルキアの伝説とクォ・ヴァディス
ローマの聖カリクストゥスのカタコンベ(Catacomb of Callixtus)の最も古い部分に、「ルキナの地下室」と名付けられた場所があります。
「ルキナ」はポンポニア・グラエキナの洗礼名と言われています。
ルキナ(あるいはルチア)とは、ナポリ民謡「サンタ・ルチア」に歌われた聖ルチアのことです。
1854年に聖カリクストゥスのカタコンベを発見者した考古学者のジョヴァンニ・バティスタ・デ・ロッシは、ポンポニアは実際には西暦1世紀に住んでいたとされる聖ルチアであるという論文を発表し、物議を醸しました。
このカタコンベで発見された碑文は、ポンポニア家の人々が実際にキリスト教徒であったことを示唆しているそうです。
碑文は3世紀の初め頃のものとされており、ポンポニア家の一員であるポンポニウス・グレケイノス、ポンポニウス・バッススの墓が発見されました。
初期キリスト教徒のカタコンベが忘れられた理由は、5世紀~8世紀にゴート族やランゴバルト族の侵略で墓が荒らされたため、祭具や聖遺物が教会に移され典礼も教会で行うようになったことでカタコンベを訪れる人が減少し、しだいに草木が生い茂って岩屋を隠してしまったせいと言われています。
下の絵のように、典礼を行う広さがあったようですね。
ポンポニアと夫のアウルス・プラウティウスは、ヘンリク・シェンキェヴィチの1895年の歴史小説『クオ・ヴァディス』では、若いキリスト教徒の娘リギアの養親として描かれ、1951年に映画化もされました。
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「クォ・ヴァディス」とはラテン語で「(あなたは)どこに行くのか?」を意味します。新約聖書『ヨハネによる福音書』13章36節からの引用でもあります。
伝承によればペトロは紀元67年に殉教したとされています。
ペトロが迫害が酷くなったローマから夜中に避難していると、イエスが道向こうから歩いてきたので、「主よ、どこへいかれるのですか(Domine, quo vadis?)」と問うと、イエスは「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ行くつもりです」と答えました。
ペトロはそれを聞いて悟り、殉教を覚悟してローマへ戻ったという説があります。
キリスト教会では、ペトロとパウロは同時期にネロによってサーカス(競技場)で見世物にされ処刑されたことになっていますが、実際は違いました。
そのことはまた別記事したいと思います。
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今日はこのへんで。お読みくださりありがとうございました。
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