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442年前の皆既月食と惑星食と安土桃山

先日(11月8日)の皆既月食の際、同時に惑星食が起きたのが442年ぶりということで話題になりました。
月が惑星を隠す惑星食は、珍しい現象ではありますが、1年のうちでは何度も起きています。

天文学界隈でしか話題にもならない惑星食ですが、メディアの盛り上げのおかげで、普段は天体観測に興味が無い人も夜空を見上げたことでしょう。

442年ぶりのダブル天体ショー「皆既月食+天王星食」、大阪も撮影する人々集まる/関西/芸能/デイリースポーツ online (daily.co.jp)

皆既月食中の惑星食は非常にまれで、日本で前回起こった皆既食中の惑星食は、1580年7月26日。次回は2344年7月26日となります。
参照記事

442年前の星配置

442年前、どんな星配置だったのかホロスコープを立ててみました。

1580年7月26日20時21分に皆既月食になっています。
ホロスコープでは月と土星と天王星が重なっていますが、天王星はまだ発見されていませんでした。
土星食が観測されていた(記録があるか不明)ようですが、実は天王星食も起きていたんですね。

1580年7月26日

太陽は獅子座12度、月は水瓶座12度。土星、天王星は水瓶座13度です。
12,13度は、その星座のもっとも強いところ、カリスマ度数と呼ばれます。

アスペクトは今回とは全く違いますが、水瓶座に土星が入っているのは現在と似ています。詳細な日付は確認していませんが、土星と天王星のサイクル(20年)が始まったところです。

土星と天王星のサビアンシンボル「トンネルに入る列車」とは、抜け穴を探してうまく立ち回るみたいな意味があります。無駄を省く、なども。

この時代の記録をネットで探すのは非常に困難ですが、1580年は、日本は天正8年。安土桃山時代(1573年 – 1603年)でした。
ヨーロッパは大航海時代。日本に鉄砲伝来(1543年8月)とキリスト教が伝えられました(1549年)。1550年代には、宣教師などを介して南蛮貿易も始まりました。

ホロスコープを見ると、射手座の木星が天頂にあり、1ハウス牡羊座冥王星、6ハウス獅子座太陽とグランドトラインになっています。

6ハウス(軍隊、奉仕)の太陽が、信長や秀吉などの各大名、1ハウス(国、国民)の冥王星(破壊と再生)が戦国の世を表していると見ると、
9ハウス(外国、宗教)の木星(宗教、聖職者)が作るグランドトラインは、鉄砲とキリスト教を取り入れることが、良くも悪くも大きな影響を与えたことがわかります。

そして、太陽と月は、2ハウス(財政)の火星(軍人)とTスクエア。鉄砲や火薬などの輸入が大きなウエイトを占めていることも現れています。
戦い方も大きく変わりますね。

交易のため日本に到着し積み荷を下ろすポルトガル人(16 - 17世紀ごろの作品)


7ハウス(外交)の乙女座金星(経済、芸術、娯楽)は、5ハウス(芸術、娯楽)の海王星(理想、夢、流行)とクインタイルで、南蛮貿易の盛り上がりを感じさせます。
日本の銀は人気があり、ポルトガル商人は、日本の銀で明の生糸を購入して日中の中継貿易を行ったそうです。

しかし金星は、12ハウス(密約)の土星、天王星とはセスキコードレートで、貿易が盛んになるほどに日本側に負担が大きかったことも窺えます。
のちに秀吉がバテレン追放令を出すことになったのも、この辺りに関係あるでしょう。

秀吉は、長崎がイエズス会領となり要塞化され、長崎の港からキリスト教信者以外の者が奴隷として連れ去られている事などを天台宗の元僧侶である施薬院全宗らから知らされた。

金星は女性や子供も意味するので、キリスト教に興味を持った婦女子が性奴隷として売買されていたという噂もあり得る話です。

以下のヤフーの記事によると・・・
「戦国時代から安土桃山時代にかけて、日本は世界の動きに翻弄されましたが、戦乱を徐々に治め、国の独立を守り、平和な時代へと移行していきました。西洋史と日本史、災害史を一緒に学ぶことがないので、信長、秀吉、家康らのこういった側面には気づきにくいのですが、改めて戦国武将たちの卓抜した力に感服します。」


安土桃山文化

占星術では、安土桃山時代(1573年 – 1603年)は「水の時代」に相当します。信長、秀吉の時代は、水の時代のピークだったようです。

ちなみに現在は風の時代ですが、その前は地の時代(1842年~2019年まで)でした。

桃山時代の始まりは、はっきりいつからとは言えないですが、織田信長が足利義昭を奉じて京都に上洛した永禄11年(1568年)
あるいは義昭が京都から放逐されて室町幕府が事実上の滅亡に追い込まれた元亀4年(1573年)
または安土城の建設が始まった天正4年(1576年)とする考えもあるそうです。

終わりは、豊臣秀吉が死去した慶長3年(1598年)、
あるいは関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利した慶長5年(1600年)、
または家康が征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開いた慶長8年(1603年)とのことでした。

安土桃山時代といえば、戦乱の世が一息つき、桃山文化が隆興しました。

織田信長時代と豊臣秀吉時代の文化を秀吉の隠居所だった伏見城の地名をとって、桃山文化と呼んでいる。
桃山文化は日本史図録では仏教色が薄れて新鮮味あふれる豪華で壮大な派手な文化であり、新興大名や豪商が桃山文化の中心だったとされる。
新興の武士勢力や豪商の気風や商人の経済力を反映して、仏教色の少ない現世的な南蛮文化の影響を受けた文化である。

桃山文化といえば、茶の湯、千利休が思い浮かびます。
千利休が頭角を現し始めたのは、永禄12年(1569年)以降、堺の豪商茶人であった今井宗久、津田宗及とともに、信長に茶堂として召し抱えられたのがきっかけのようです。

天正10年(1582年)6月の本能寺の変のあと、豊臣秀吉に仕えますが、天正19年(1591年)突然秀吉の逆鱗に触れ(原因は、様々な説があるようです)、切腹を命じられてしまったのでした。


絵画は、狩野派の絵師が織田信長、豊臣秀吉などその時々の権力者と結び付いて画壇の中心を占めていたそうです。

濃絵の特徴を良く示す『檜図屏風』狩野永徳

特筆すべき点としては、天文18年(1549年)のフランシスコ・ザビエル来日以来の南蛮貿易によってもたらされた南蛮文化の影響が挙げられる。まだ小規模ではあったが、日本が初めて西洋文化と直接(中国などを介さずに、正式な形で)触れ合ったという点で重要である。


このころ、活字印刷の基盤が出来たようです。wikiによると、朝鮮人技術者の技術を移植した木版による活字印刷と、イエズス会のアレッサンドロ・ヴァリニャーノが伝えた西洋の活字印刷によるものがみられるそうです。

アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(1539年2月15日 - 1606年1月20日)は、天正遣欧少年使節派遣を計画・実施した人物です。

ヴァリニャーノは巡察師として日本各地を訪れ、大友宗麟・高山右近・織田信長らと謁見している。
1581年、織田信長に謁見した際には、安土城を描いた屏風(狩野永徳作とされる)を贈られ、屏風は教皇グレゴリウス13世に献上されたが、現在に到るも、その存在は確認されておらず、行方不明のままである。
また、従者として連れていた黒人を信長が召抱えたいと所望したためこれを献上し、弥助と名づけられて信長の直臣になっている。


当時、ポルトガルやスペインなどヨーロッパ人は、アフリカ出身の者たちを従者または奴隷として連れてきていたそうで、弥助もそのような一人で宣教師の護衛をしていました。
護衛として武術の訓練も受けていたと見られています。

南アフリカの彫刻家のニコラ・ルースさんの 2017年の作品でリサイクルされたタイヤのゴムチューブでできているそうです


織田信長という英傑

そういえば、キムタクが織田信長を演じるそうですが、弥助は誰が演じるんでしょうね。
映画『レジェンド&バタフライ』木村拓哉が織田信長に、濃姫・綾瀬はるかと紡ぐ夫婦の愛 - ファッションプレス (fashion-press.net)

信長の誕生日(天文3年5月12日)は、ユリウス暦に直すと6月23日。グレゴリオ暦では7月3日です。

太陽は蟹座。月は生まれ時間がわからないので、蠍座か射手座のどちらか。
双子座っぽいところがあると思ったら、水星と金星が双子座でした。
蟹座ステリウムで、火星は獅子座。

感情豊かな暴れん坊(“うつけ者”と呼ばれていましたね)という感じですが、才気煥発だったでしょうね。

信長は、 天正10年6月2日〈ユリウス暦1582年6月21日、グレゴリオ暦7月1日〉に家臣の明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害しました。
亡くなったのは誕生日の頃なんですね。

このときは、冥王星が牡羊座5度付近にあり、信長の太陽とスクエアでした。太陽と冥王星のスクエアは、突発的な変化(事故運)に見舞われることがあります。

1580年の月食を信長が観たかはわかりませんが、観ていたとしたらどんな思いがあったのでしょうね。
まさか2年後に自分が死ぬなんて、思ってもみないことだったでしょうが。


キムタクは、蠍座生まれ。双子座19度に土星があり、信長の水星とコンジャンクションです。
蠍座の見通すような眼力と憑依力で、見事に信長を演じてくれそうですね。


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