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歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む*アル・アクサ

「歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む」というのは、作家マーク・トウェイン(本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズ)の言葉です。

2023年9月の国連総会で、イスラエルの首相ベンヤミン・ネタニヤフ氏(ネタニヤフとはヘブライ語で「ヤハウェが与える」という意味)が、「新しい中東」について説明している動画を観たとき、ちょっとイヤな予感がしていました。

パレスチナ自治政府ガザ地区ヨルダン川西岸地区が、イスラエルの青に塗りつぶされている・・・。

イスラエル首相 サウジアラビアとの国交正常化に意欲 | NHK | イスラエル

ネタニヤフ首相が2023年9月22日に国連総会で行ったスピーチ。
Israeli Prime Minister’s address to the UN General Assembly



ガザ(パレスチナ国)

ガザ地区は、長さ約50キロメートル、幅5~8キロメートルの細長いエリアに200万人以上が暮らしています。
南西はエジプト領との分離壁が設けられ、北東にあるイスラエルとは分離壁や検問所が設けられています。頻繁に爆撃、侵攻されることから「天井のない監獄(open-air prison)」とも呼ばれています。

ガザ市街

ガザ地区に住む人々の3分の2は、1948年の第一次中東戦争によって発生したパレスチナ難民の子孫ですが、国連の予測によるとガザ地区の人口は2030年には310万人に達する見通しで、居住不能レベルになるそうです。

ガザの歴史は古く、紀元前12世紀はじめにペリシテ人(ペリシテはパレスチナの語源)が建設した都市でした。オスマントルコ統治の時代は、商業が大変栄えていたそうです。

第一次世界大戦ではイギリスの委任統治領パレスチナ(1920年‐1948年)の一部になり、1948年のアラブ・イスラエル戦争ではエジプトがガザ地区を管理しました。
1967年の六日間戦争(第3次中東戦争)でイスラエルに占領されましたが、1993年に新しく創設されたパレスチナ国家自治政府に移管されました。

1988年にパレスチナ国(初代大統領ヤーセル・アラファト)と国号を定めてから、136の国がこれを承認しており、2013年1月3日にパレスチナ国への改名を宣言した。
日本政府はパレスチナ国を承認していないため、未だにパレスチナ自治政府と呼称している。


2006年、パレスチナの政治派閥であるファタハハマスの間で武力紛争が勃発。選挙でハマスが勝利し権力を握るようになりました。

中東カルテット(アメリカ合衆国、ロシア、欧州連合、国際連合の4者)が今後の対外援助の条件として、非暴力の約束、イスラエル国家の承認、過去の合意の受け入れを求めたが、ハマスが拒否したため中東カルテットは対外援助プログラムを停止し、イスラエルは経済制裁を課しました。
またエジプトとイスラエルは、ガザ地区を封鎖しました。

パレスチナの領土

パレスチナ国は、ヨルダン川西岸地区とガザ地区から成っています。

パレスチナの県(灰色の部分は統治外)

ヨルダン川西岸地区には、パレスチナ自治政府の様々な機関が置かれています。首都は、名目上は東エルサレムですがイスラエルに占領されているため、ヨルダン川西岸地区中部に位置するラマッラーが事実上の首都機能を担っています。
パレスチナの現在の大統領は マフムード・アッバス氏、首相はムハンマド・シュタイエ氏。

上の図にあるようにもともとのパレスチナの領土は侵食されて、イスラエルに占領されています。
1993年から1995年のオスロ合意の結果、ヨルダン川西岸は現在165のパレスチナ飛び地に分割されました。



2023年10月7日*ハマスのイスラエル攻撃

そして、やはり起きてしまった。
しかも今まで、イスラエルにやられっぱなしだったガザ地区から破格の規模のハマスの攻撃。まず私は、それにびっくりしました。

イスラエル・サウジ接近に危機感 ハマス、異例の越境攻撃:時事ドットコム (jiji.com)

どうやってハマス(正式名称イスラーム抵抗運動)は数千発ものロケット弾を調達できたのか?
イスラエル自慢のアイアンドームはなぜ機能しなかったのか?
どうやってハマス戦闘員はイスラエル領地に入り込んだのか?

ハマスは攻撃に先立つ6日に声明を出しており、イスラエルが米国の仲介で進めてるサウジアラビアとの正常化交渉を批判し、「イスラエルに一層の犯罪を促すことになる」として見直しを求めていたと日本では報道されています。


50年前のYom Kippur war

ハマスによるイスラエル攻撃が行われた10月7日は、ユダヤ教の祭日「シムハット・トーラー」の日でした。
ちょうど50年前の1973年10月6日に始まったYom Kippur war(第四次中東戦争)も、ユダヤ暦で最も神聖な日「ヨム・キプール」(贖罪の日)でした。

ヨム・キプール戦争では、その6年前の1967年の第三次中東戦争でイスラエルに占領された領土の奪回を目的として、エジプト・シリア両軍がそれぞれイスラエル軍に対して攻撃を開始しました。

ヨム・キプール戦争の結果は停戦でしたが、シリア方面の戦線はイスラエルが勝利し、第三次中東戦争以来の占領地を更に拡大しました。
エジプト方面の戦線では、エジプトがシナイ半島の一部を奪還しました。

また当時アラブ側に立った石油輸出国機構(OPEC)が石油価格を引き上げた事で、第1次オイルショックが発生しました。
60歳以上の方は覚えておられるでしょう。トイレットペーパー買い占め騒動が起きましたよね。

今回、ハマスが10月7日に攻撃を行ったのは、50年前のヨム・キプール戦争のことが頭にあったのでしょう。

イスラム組織ハマスがイスラエルに大規模攻撃、これまでの経緯は(CNN.co.jp) - Yahoo!ニュース


Operation al-Aqsa Deluge

今回のハマスによる攻撃名は「アルアクサ大洪水作戦」(Operation al-Aqsa Deluge)。一瞬「アレクサ?」と思ったけど、「アル・アクサ」でした。

アル・アクサは、エルサレム旧市街の「神殿の丘」あるいは「ハラム・シャリーフ」と呼ばれる聖域の南にあるモスクの名前です。
西暦710年に建設されたと言われています。
立地はイスラエルの実効支配下にありますが、モスクの管理はヨルダン宗教省が行っています。

アル・アクサ・モスク

神殿の丘は、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地になっていますが、礼拝が許されているのはムスリム(イスラム教徒)だけで、他の宗教の信者は訪問のみが認められている場所です。

紀元前10世紀頃、そこにはソロモン王によりユダヤ教の第一エルサレム神殿 (紀元前957年 - 紀元前586年)が建てられていましたが、バビロニアによって破壊されました。
その後、紀元前515年に第二神殿が再建されましたが、西暦70年にローマ帝国によるエルサレム攻囲戦で神殿は破壊され、その後再建されることはありませんでした。
新約聖書にイエス・キリストが神殿で商売をしている人々を追い出す話がありますが、そのときの神殿は第二神殿です。

現在のユダヤ教は、擁壁境内では宗教活動ができないため、神殿が立っていた場に最も近づける西側外壁(通称「嘆きの壁」)で祈りを捧げています。

最近、第三神殿の建設についての噂をよく聞いています。

敬虔なユダヤ人の間では、エルサレム旧市街の神殿の丘に第三神殿を建設することを中心とした究極の将来プロジェクトへの期待が継続的なテーマとなっており、イスラエルではイデオロギー的動機としても支持されている。
しかし、第三神殿の概念は、ソロモン神殿と第二神殿の跡地の上にウマイヤ朝カリフによって建てられた岩のドームの存在により、イスラム教徒の間で異議を唱えられてきた。
神殿の丘をめぐるユダヤ人とイスラム教徒の間の緊張は、イスラエル・パレスチナ紛争の主要な引火点の一つとして政治的に引き継がれている。
そしてこの地域は、イスラエルとパレスチナの和平プロセスにおいても同様に重要な議論の対象となっている。

まもなく「赤い未経産牛」の儀式の準備が行われるらしいとも。
陰謀論(笑)ですが、赤い未経産牛は旧約聖書の民数記にも出てくるので、ほんとに第三神殿が再建されるときには出てくるでしょう。

アル・アクサ・モスクを巡る攻防

1967年6月の六日間戦争(第三次中東戦争)中に、イスラエルがエルサレム旧市街を占領した後もアル・アクサ・モスクはヨルダンの管理下でしたが、敷地への立ち入りはイスラエルの管理になりました。

ほとんどのイスラム教徒は、神殿の丘がイスラエルの実効支配下にあってもアル・アクサ・モスクと岩のドームが存在するため、神殿の丘に第三神殿を建設しようとする運動をイスラム教に対する侮辱であるとしています。

13 Jun 2023
パレスチナ大統領府のエルサレム問題担当顧問であるアフメド・アル・ルワイディ氏はこの計画について、エルサレムを管理下に置くとともに東エルサレムをイスラエルの一部として併合しようとするイスラエルによる新たな試みだと非難する。
アル・アクサモスクはイスラム教徒だけの聖地であり、それに対するヨルダンの守護をイスラエルは尊重しなければならないと同氏は言う。

25 Sep 2023
サウジアラビアは(2023年)9月24日、イスラエル軍の保護下にある過激派グループがアル・アクサモスクで行った一連の挑発行為を非難した、と国営サウジ通信(SPA)が報じた。
サウジアラビア外務省は、はパレスチナ問題の公正で包括的な解決策を実現し、パレスチナ人が1967年の国境線上に東エルサレムを首都とする独立したパレスチナ国家を樹立することへの支持を表明した。

06 Oct 2023
サウジ外務省は、国際平和の努力を損ない、宗教的神聖を尊重するという国際的原則や規範に反するイスラエルの行為に遺憾の意を表明した。
同省は、このような行為は世界中のイスラム教徒にとって不快であると強調した。
同省は、国際社会に対し、イスラエルによる占領の激化を終わらせ、民間人に必要な保護を提供し、紛争終結のためにあらゆる努力をする責任を負うよう求めた。

下の動画では、アル・ アクサが重要である理由を説明しています。


これまでイスラエルとパレスチナの紛争

イスラエルとパレスチナの確執は書ききれないので、ご興味ある方はwikiなどをお読みください。日本語wikiよりも英語wikiのほうが詳しいです。

イスラエル・パレスチナ紛争(19世紀~現在まで)
第1次インティファーダ (1987年12月8日 - 1993年9月13日)
第2次インティファーダ(2000年9月28日 – 2005年2月8日)

2021年のイスラエル・パレスチナ紛争のタイムライン
2021 年のイスラエル・パレスチナ危機(2021年5月6日~21日)
国連とヒューマン・ライツ・ウォッチは、この紛争でパレスチナ人260人が殺害され、その半数(129人)は子供66人と女性40人を含む民間人であると報告しています。また約2000人が負傷し、72,000人以上のパレスチナ人が避難しました。

2022年のイスラエル・パレスチナ紛争のタイムライン
2022年アル・アクサ衝突
パレスチナ民間人1名がゴム弾で死亡、200名以上が負傷、400人逮捕されました。

2023年 アル・アクサ衝突(2023年4月5日)
2023年パレスチナ・イスラエル戦争(2023年10月7日~現在)


近々でアル・アクサ・モスクで起きていた事件(2023年10月4日付け記事)
仮庵の休日の1日目に1000人以上のイスラエル人入植者がアルアクサモスク複合施設を襲撃 |政治 (yenisafak.com)

仮庵の祭りは9月29日に始まり10月6日まで続く1週間の休日です。

パレスチナ当局者によると、水曜日、ユダヤ人の祝日である仮庵の祭りの5日目を記念して、1,000人以上のイスラエル人入植者がアル・アクサ・モスク複合施設に強行進入した。
入植者らはアル・アクサ・モスク複合施設の西壁にあるアル・ムグラビ門を通って集団で敷地に入り、「タルムードの儀式」を行おうとしたと述べた。

神殿の丘の頂上にあるアル アクサ モスク


アル・アクサ モスクは、ユダヤ教とキリスト教の歴史的聖地、特にエルサレム神殿のすぐ近くに位置し、この地域全体が地政学的に重要な意味を持ち、イスラエル・パレスチナ紛争の主な発火点となっています。

聖なる場所アル・アクサにちなんだ「アルアクサ大洪水作戦」(Operation al-Aqsa Deluge)は、ハマス側からは聖戦なんですね。


想定外の攻撃


x(旧Twitter)に流れてくる映像は、イスラエルの民間人が拉致され残酷な殺され方をしていて、目を覆いたくなるものが多いです。

今までパレスチナ人がされて来たことを思えば、「命には命を」という同等の報復ということなのでしょうが、
ハマスが戦争犯罪の証拠になる映像をFBなどのSNSにUPし、世界に見せつけるのはどんな意味があるのでしょうか?
これまでも行われていた紛争を、無視していた世界全体への報復なのでしょうか。

まるで世界中がパレスチナ人に憎悪を抱くように、わざと残酷シーンをライブストリーミングしているんじゃないかと思うほど。

音楽フェス会場に260人の遺体、ガザで人質にされた観客の映像拡散 (msn.com)
ハマスがイスラエル奇襲で〝開戦〟 女性ばかりを拉致・拘束する狙い (msn.com)

スーパー・ノヴァ・フェスティバル会場

ところで、若者が多く犠牲になった音楽フェスは、2日前に場所とイベント名が変更になっていたという記事がありました。
イベント会場は、イスラエル南部のガザ国境近くの砂漠でした。
もし、あの場所でなかったら・・・彼らは死ななくて済んだかもしれないと思うと居たたまれない気持ちになります。

参加者は3500人以上。若者たちは朝まで踊り明かしているところを襲われたようでした。
この動画には、ハマスがモーターパラグライダーでやってきたのが捉えられていました。


そのフェスで誘拐されたとして中国人ハーフの女性(実はイスラエル兵士という噂)と、殺害された後トラックに乗せられてパレ―ドされたドイツ系イスラエル人の女性(実は一命を取りとめていて、ガザで治療を受けているらしい?)がメディアに選ばれたのも、何かある気がします。

拉致された中国人ハーフのノア・アルガマニさん
ドイツ系イスラエル人のシャニ・ルークさん


音楽フェスに参加していた若者100人以上が人質になっているそうなのですが、そんなに大勢を運ぶには軍用車が数台必要だと思うのですが・・・。

運よく生き残った女性の証言。「彼ら(過激派)が持っていたエネルギーを説明することすらできません。彼らが私たちを人間として見ていないことは明らかでした。彼らは純粋で純粋な憎しみで私たちを見ました。」

イスラエルの生存者は、ハマスの過激派が少なくとも260人を殺害した音楽祭で恐怖を語る - ワールドニュース - CastanetKamloops.net


ハマスはパレスチナ人の代表ではない

ハマス(テロリスト)はパレスチナ人の代表ではないのに、西側は「テロリスト=パレスチナ人」という認識を、世界中に植え付けようとしています。そして残虐なテロリストであるパレスチナ人に、イスラエルが十倍返ししても、それは「正義」だと彼らは言うでしょう。

ウク***がドンバスの人々に対して行ってきたテロ行為やオデッサ虐殺を西側の指導者たちが無視したように、イスラエルがこれまでパレスチナに行った行為は白塗りされていると思います。

上の図は、「ガザ紛争 」(2008年)からのエスカレーションの犠牲者の数です。圧倒的にパレスチナの犠牲者が多いでです。

この時は、第四次中東戦争(1973年10月)以来最大の死傷者を出した紛争とでした。パレスチナ側では民間人を含む1,300人以上が死亡し、犠牲者の大多数は一般市民で1/3は子供だったそうです。

2008年1月7日、ローマ教皇庁のレナート・マルティーノ議長は「ガザは巨大強制収容所だ」と、イスラエルを批判した。
同年1月10日、人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは、イスラエルの攻撃に白リン砲弾が使われたとして、使用中止を求める声明を発表した。
なお、白リン砲弾を使用することの問題の有無は議論が分かれている。

イスラエルの空爆により煙を上げるガザ市内


2014年「ガザ侵攻」は、その年の7月上旬、パレスチナの少年がユダヤ系過激派に殺害されたことに抗議するデモが拡大し、ハマス側がロケット弾をイスラエル側へ打ち込む一方、イスラエル国防軍もガザ地区に報復の空爆を開始して多数の民間人の死傷者が出ました。

このときは、第4次ネタニヤフ政権でした。
パレスチナ側の死者はガザ地区のみで2158人、イスラエル側の死者は73人(うちイスラエル軍66人、民間人7人)となっています。


ハマスは、1987 年にムスリム同胞団から生まれました。
当初はパレスチナ解放機構に対抗できる非政治的かつ宗教的なグループとしてイスラエルによって支援されていましたが、1990年代からはイスラエルに対する攻撃に直接参加するようになりました。

イスラエル占領を終わらせるために武力で抵抗していると言うハマスは、2023年の世論調査でのパレスチナ人の支持率は約27~31%だったそうです。
我が国の岸田内閣支持率は、10月現在26.3%。岸田政権で過去最低を更新しています。


イスラエルの報復を受けている10月11日のガザ地区
ジャーナリストは「地震が起きたように見える」と言っています。

長くなってきましたので、星読みは次回にまわします。
お読みくださいましてありがとうございました。

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