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小惑星ベスタの逆行~もう一度ヘスティアの炉に帰ろう

下書きのままだった記事を加筆してUPします。

7月8日AM6:34分ごろに小惑星vesta(ベスタ、またはウェスタ)が逆行しました。

ベスタの公転周期は、約3.6年。逆行は、1年4ヶ月ごとに起きるそうですので、火星や金星の逆行サイクルとほぼ同じですね。
前回の逆行は、2021年1月~4月でした。
ベスタは、逆行前、魚座6度53分の場所にいましたが、10月6日まで逆行して水瓶座22度58分まで戻ります。

ベスタは、条件が良ければ肉眼でも見える天体です。
8月2日から9月11日まで、ベスタが地球寄りの軌道を動くため見つけやすいでしょう。
見つけ方が英語サイトに書いてありました。自動翻訳によると・・・
「2022年8月22日から27日(新月)までの期間が大変見つけやすい」
「まず、土星を見つけます。次に、拳を体から完全に伸ばし、拳を土星の光に合わせます。ベスタは、彼(土星)のちょうど東と南、伸ばした手のスパンのすぐ内側にあり、約10°のスペースをカバーします。」とのことでした。直訳なのでわかるようなわからないようなですが、参考までに。

かまどの女神ベスタ(ヘスティア)

ベスタは1807年に発見され、ローマ神話の女神の名前を付けられました。
ベスタは、ローマ神話では神殿のかまどを守る女神であり、また、家庭、家族を司る処女の女神とされ、のちにギリシア神話のヘスティアーと同一視されました。俗ラテン語・英語などでの発音はヴェスタ(ベスタ)。

ベスタは、人間の形で描かれることはめったになく、フォロロマーノ(ローマ時代の遺跡)にあるベスタ神殿の火として描かれていました。

フォロ・ロマーノ(伊:Foro Romano)は、古代ローマ時代の遺跡。ラテン語の古名はフォルム・ロマヌム(Forum Romanum)。フォルムはフォーラム(広場)の意味。
紀元前6世紀頃からローマ帝国がテトラルキアを採用する293年にかけて、国家の政治・経済の中心地であったが、ローマ帝国が東西に分裂し、首都機能がラヴェンナに移されると異民族の略奪に曝されるようになり、西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられ、土砂の下に埋もれてしまっていた。

wikiより

ベスタの巫女

ベスタ神殿は、当時の建築スタイルには珍しい円形の神殿です。ローマのすべての竈の火を象徴する火が絶えず燃やし続けられ、これを管理する女性神官はベスタの巫女と呼ばれました。
ベスタ神殿を建てたのは、ヌマポンピリウスというローマの伝説では2番目の王様。紀元前715年から673年に君臨していました。
ローマ暦、ベスタの巫女、マルス崇拝、ジュピター崇拝など、ローマの最も重要な宗教的および政治的機関の多くは彼に起因しているそうです。

ヌマ・ポンピリウス(Numa Pompilius, 紀元前753年 - 紀元前673年)は、王政ローマにおける第2代の王(在位:紀元前715年- 紀元前673年)。
42年におよぶ治世中に一度も戦争をせずに内政を充実させたとされている。
ヌマはサビニ人の有力者ポンポンの子で、4人兄弟の末っ子として、ローマが建国されたその日に生まれたという。
哲学と瞑想を好み、ピタゴラス学説の思索にあまりに没頭したために、年若くして白髪になったと言われている。

ベスタ神殿には、その巫女たちの住居がありました。
巫女たちの仕事は、神殿の火を絶やさないこと。
ローマ人は、ベスタ神殿の火が消えるとローマに災害が降りかかると信じていたため、ベスタの巫女たちの仕事は大変重要な任務でした。
その勤めは30年間に及び、その間は結婚することは許されなかったそうです。

巫女たちの家(復元スケッチ)

この30年間の勤めは、学び手の10年、勤め手の10年、教え手の10年の三つの時期にわけられ、その後に、もし結婚を望むのならば、そうすることができたとか。またベスタの巫女であった女性と結婚することは、たいへんな名誉とされていました。

最初の巫女は4人。それからじょじょに増えていったそうですが、数少ない女性エリートという感じです。ベスタの巫女になることは、結婚や子育てといった一般的な社会的義務から解放されているということでもあり、家長制度から離れて自立している女性という印象だったようです。
巫女たちには数々の特権が与えられ、護衛もついていたそうです。

最高神祇官は、籤によって6歳から10歳までの若い候補者20人から巫女を6人選ぶ。候補となるにはローマの自由市民の娘であり、また心身ともに健康なことが求められ、くわえて二親が存命していなければならなかった。
亡くなったウェスタの巫女との交替で候補者となる娘は、最も貞淑なるものとしてウェスタの長の前に居所にいれられる。

ひとたび選抜されたなら、子女は家をでなければならない。そして最高神祇官に導きをうけ、また頭髪が刈り取られる。
ある高僧はそのときにこういった。「アマータ、貴女をウェスタの司祭として認めます。ローマの人々のために、ウェスタの司祭にとっての掟となる聖なる務めを果たしなさい。まったく同じように、ウェスタの巫女たちのためとなりなさい」。
こうして彼女たちは女神の庇護のもとにおかれた。
時代が下り、ウェスタの巫女を採ることが次第に困難になるにつれ、平民やさらには解放奴隷の娘でも認められるようになった。

wikiより

ローマでは、国を大規模な家族と考えられており、ベスタの巫女は国家の娘、その純潔はローマの安定と結び付けられたため、禁欲の誓いを破ったものは、厳しく罰せられました。
背いた巫女は、鞭打たれ、市街の地下房にわずかな水と食料のみを与えられて生き埋めにされたとも言われています。つまり処刑ではなく、地下に入って自己の罪を悔いているうちに死んでしまった(自殺)というテイにしたわけですね。

しかし、私は少し疑問に感じています。
ローマ以前も存在したウェスタの巫女はじめ、神殿に仕える女性たちは、戦士への性の奉仕も任務のひとつだったはずです。
つまり、この時代の「禁欲の誓い」とは、文字通りの意味ではなく、結婚における性行為(妊娠出産を伴う)、神殿以外での性行為が巫女たちに禁止されていたのだろうと思われます。

ウェスタの処女の殉教(fr:Jean-Baptiste Peytavin 18世紀)

ベスタの占星術的意味

占星術におけるベスタのエネルギーは、「奉仕」「献身」「犠牲」と言われており、ベスタの巫女たちそのものように思います。
「奉仕」も「献身」も自分の内側にある想いからの行動であり、外圧で強要されて行う「犠牲」ではない(本来は)。

占星術師のブライアン・クラーク氏、私はこの方のエッセイのファンなのですが(翻訳の鏡リュウジ先生の翻訳も素晴らしい)、ヘスティアについて2020年に寄稿された文がありましたので、ほんの一部をご紹介します。
全文は寄稿されたサイトでお読み下さいね。

心の生の中心であるヘスティアは、聖なる中心点です。ヘスティアは聖なる空間を大切に敬い、聖なるイメージを庇護する女神なのです。
ヘスティアは生きているものも死んでいるものも、その炉辺に集うものを受け入れもてなし、世話します。その中心の炉辺で、集中して心を込め、私たちは人生の物語を語り、耳を傾けることができるのです。

ベスタとは、私たち個人個人が持つ内的世界。外側の世界に影響されない、自分のコアの火。
ベスタの巫女たちが何があっても持ち場を離れず、聖なる火を絶やさないように奉仕したように、私たち自身も自分の炉を守らないといけないと教えられているように思います。

ベスタの逆行は、たとえば水星逆行とは違って、外側の出来事に影響されるのではなく、私たちの内面、内的世界へと誘うでしょう。
また天体の逆行は、私たちが来た道を振り返り、忘れ物落し物がないか点検するような機会です。
ベスタの逆行は、私たちの心奥深くの点検にほかならないのではないでしょうか。

ベスタ逆行による目に見える影響

ベスタの巫女たちが、結婚や子育てから解放されて自立している女性だったことを考えると、アメリカで物議をかもしている「人工妊娠中絶」はベスタ逆行のある姿を反映しているように思います。

あのころ、土星は逆行を始めていて、ベスタに接近していました。
ベスタが逆行を終える10月6日前後、再びベスタと土星はコンジャンクションになります。
「妊娠中絶」は非常にセンシティブな話題なので、私はこれ以上触れませんが、この頃、またこの問題になんらかの答えが出るかもしれません。

そして、ベスタが逆行開始した7月8日は日本では、白昼に多くの観衆の前で、元首相が暗殺されるという事件が起きました。
容疑者は逮捕されましたが、まだ捜査中の事件のため詳細は今は控えたいと思いますが、歴史に残る大事件です。
ベスタには「犠牲」という意味もあり、その意味では、特定の宗教との関わりで銃弾に倒れた安倍元首相も、その宗教によって家庭を壊されたという容疑者も「犠牲」者と見ることができるでしょう。
この事件はさらなる波紋を呼び、日本の政治と宗教の根底を見直すことになると思われます。

私は常々、自分も含め、人間の心の中が外の世界に反映されていると考えているので、今、世界で起きている様々なこと、カオスは私たちの潜在意識の反映と思っております。
人それぞれに向き合わねばならない問題は違いますが、私を含め、皆が自分の中心(ヘスティアの炉)へ戻る機会をあたえられたと思います。「犠牲」ではなく、心から望んで自分の聖なる火を灯し続けたいですね。

天文学のベスタ

ところで、小惑星ベスタが発見されたのは1807年3月29日。ドイツのブレーメンで医者でアマチュア天文学者のヴィルヘルム・オルバースによって発見されました。
ベスタだけでなくパラスも、オルバースの発見(1802年)によるものです。

ハインリヒ・ヴィルヘルム・マティアス・オルバース(1758年10月11日 - 1840年3月2日)は、18〜19世紀ドイツ・ブレーメンの天文学者・医師。
天文台などに属さないアマチュア天文学者であったが、本業の医業のかたわら熱心に観測を行い、19世紀初頭に四大小惑星のうちの2つを発見した。
特に彗星に興味を持ち、当時のドイツの彗星観測の権威ともみなされていた。6つの彗星を発見し、うち1815年に発見された彗星はおよそ70年の公転周期をもつ周期彗星であり、オルバース彗星 (13P/Olbers) として知られる。
また、かつて宇宙論上の長年の謎であったオルバースのパラドックスに名を残していることでも知られる。

経歴を見て、私はとても興味を持ちました。また機会があれば深堀りしてみたいです。
ちなみに「ベスタ」と命名したのは、カール・フリードリヒ・ガウスという数学者。天文学者でもありました。

ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス(1777年4月30日 - 1855年2月23日)は、ドイツの数学者・天文学者・物理学者。彼の研究は広範囲に及んでおり、特に近代数学のほとんどの分野に影響を与えたと考えられている。
数学の各分野、さらには電磁気など物理学にも、彼の名が付いた法則、手法等が数多く存在する(→ガウスにちなんで名づけられたものの一覧)。19世紀最大の数学者の一人であり、18世紀のレオンハルト・オイラーと並んで数学界の二大巨人の一人と呼ばれることもある。

wiki

ガウスという名前は聞いたことがあるけど、数学はからっきし苦手なので近寄らない分野です(苦笑)
この人の経歴も興味深い。方程式は解けない私ですが、いつか深掘ってみようと思います。
私的には、17世紀、18世紀に興味深い人物が多いです。何か特別な星の配置があるのかもしれませんね。

今回は、ベスタについて書かせていただきました。最後までお読みくださりありがとうございました。
あなたの中のベスタの火が、暖かく灯りますように。

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