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甘えと背徳感のもらい煙草

私は時々もらい煙草をする。
何日かおきに一回もらえることもあれば、一か月二か月近くもらわないこともある。まあ、要はタイミングってことで。

バイト仲間や社員さん、あとは部活の後輩、そんな人にもらってはたまに吸っている。

志賀は結構真面目な見た目をしているので、煙草を吸っている、もしくは「煙草ください?」なんてお願いしているところを別の人に見つかってしまうと「え、志賀ちゃん(くん・さん)煙草吸うの?!」なんてびっくりされてしまう。
「もらい煙草しかしませんよ」なんて笑いながら、煙草をくれる人から一本煙草を受け取る。その時、自分が「悪い子」になっている気がして、その背徳感に酔いしれる感覚がする。なんだか社会の目から逸脱出来る気がして気持ちがいい。これは少し官能的な感覚だ。「エロい」って言ってもいいかもしれない。

長女は甘え下手だなんていう話があるけれど、それはあながち間違っていないと思う。志賀もそうだからだ。誰かに何かをもらうことや、誰かにお願いすることが苦手だった。「甘え」ってことが苦手だった。だから、もらい煙草をしている時には自分が甘えているような感じがして、同時に相手に甘やかしてもらっている気がして(事実甘えているし、甘やかしてもらっているから)なんだか好きなのだ。

でも、背徳感も甘えも毎日はいらない。流石に手に余るし、相手への負担も多すぎる。たまにあるからいいのだ。ちょっと誰かと話したいとか、一緒にいたいって甘えたい時に「煙草をください」なんて言う。ちょっと悪い子になりたい時には「煙草をください」って言う。そういうのがいいと思っている。

煙草をくれる人達に時々言われるのは「志賀さんは煙草吸わない方がいいですよ」という言葉だったりする。この間一緒にお酒を飲んでいた時に煙草をくれたバイト先の社員さんにも言われて「ええ~」と喫煙所で不満を漏らしたのを覚えている。志賀、成人してるんですけど。まあ、煙草は身体に悪いですからねって思いながら「あなたにもらってなかったら吸ってないですよ?」なんて笑う事にしている。文字にするとちょっと色仕掛けが入っている口説き文句みたいで笑ってしまう。全くそんなことはないのだけれど。

さて、次に煙草をもらえるのはいつになることやら。
もしくは自分自身で煙草を買っているかもしれない。まあ、それも時の運ということかもしれない。
でも、きっと。
次もきっと甘えと背徳感の中でもらい煙草をするのだろう。

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