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「かわいくないので」の真意

「私、かわいくないので」

そんな風に言えば、僕の周りの大概の人間はこう返す。「そんなことはないよ」と。

あ、今、自慢かよって思いましたか?そうじゃないので、もう少し続きを読んでください、お願いします(土下座)

僕は身体的性別を「女性」として生きている。
だけど、こうして僕人称で話していたり、言葉遣いが荒かったり、一般的に見てボーイッシュな服を着ていることが多く、正直「女の子らしい」人間ではないと自負している。そもそも『そこ』は目指してない。

だからこそ、同時に思う。
僕は「かわいくない」。もっと慎みのない言葉にすれば「モテない」のだ。
万人から好かれるような魅力、かわいらしさは持ち合わせていない。僕は「蓼食う虫も好き好き」の所謂「蓼」の方の人種である。おそらく。
いや、謙遜が過ぎるという人もいるかもしれないけど、僕視点ではそうなのだ。

いや、モテたい(恋愛的好意を多くの人からもらいたい)のかというとそういうことではなくて。
ただ見知らぬ誰か、身近な誰かではない誰かからさえも「素敵だね」と言ってもらえる存在になりたいと思ってしまう時がある。
用は『皆』に愛されたいのだ、実にわがままで傲慢なことに。

「かわいくないので」というのはそういう意味だ。
僕は一部の人(例えば友人達など)から好意を寄せてもらうことは出来るだろう。だけど、皆から愛されるわけではない。僕の持っているものは正直高々レベルが知れている。僕は生まれ持った美人でもなければ性格がいいわけでもない。
そういう僕を『皆』が好きになってくれるだろうか、否。

そういうわけで僕は自分が好かれないことを理解して、今日も「かわいくない」を言うのである。

でも、少なくとも僕には冒頭に述べたように、僕が自分に対して悲観的な言葉を口にした時にぱっと否定してくれる人がいる。これがいいか悪いかは置いておいて、冗談か本気かは置いておいて、少なくともその場の彼らが気遣ってそれを言ってくれるくらいには私も悪くはないということだ。

ナルシストになりたいわけではないけれど、僕は自分の事をもっとちゃんと愛したいなと思う。

中学生の時、ハマっていたボカロの曲を元ネタにしたライトノベルの登場人物、もう名前も思い出せないけれど、その学校に教育実習で来ていたはずの彼が言っていた。

「卑下する暇があったら前に進めよ」と。

かわいくないのでって言ってしまえば自己卑下だ。でもまあ、言いたくなるじゃないですか。周りを見れば私よりかわいい子なんて、経験豊富な人なんてたくさんいてさ。
増してや志賀はキラキラ女子の多い大学に通っているから、日々痛感中ですよ。マジで公立理系大行けばよかった。出来ないけどね、理系の勉強。

でも、今僕がいる場所に確かに僕を認めてくれる存在もいて。そのことに感謝もしてて。
だから、このままでもいいなあって思う日もあって。

つまりは二律背反的で、結局僕はどっちつかずな自分のまま生きています。そんなわけでたまに僕は「かわいくないので」と言ったりするのです。…きっと周りが認めてくれて、僕自身が努力している結果、なんだかんだで僕はかっこいいし、かわいいのだけれどね、本当はなんて。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

あなたに祝福あれ。

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