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聖マリアンヌ・番外編。「古今東西集団登校なんてね。」

上の大きなタイトルは、刺激的な言葉を気取った、クリックベートです。

最近ツイッターを眺める時間が増えている。

ツイッターで、文豪、詩人、偉人Bot を何件もフォローしていると、一人でボーっとしている時でも、その言葉に刺激され、頭の中で対話を始められたりするから、暇するのが大好きなワタシにはとても便利なのだ。

ただし、感動にまかせ、気軽に短いコメントしたり、短いコメント付きリツイートしてしまうと、対話はすぐに終わってしまう。

コメントを返してくれるのは、非公式バイキンマンbotくらいだ。

どうせなら、有名人とかにコメントする時には、思考回路が刺激された時の言葉パズル遊びみたいに使うといい。彼らもほぼ全て、返信なんぞしてこないから、安心していい。

すごいな。とか、いいね。とか、カッコイイ。とか、感嘆詞的言葉をすぐに使ってしまわないのが、個人的脳内対話のコツだろう。

ワタシは、ついさっき読んだツイートに、こんな言葉を取り付けてリツイートした。

「虚構を真実にする。それはどこの文化でもしていることか? 猛毒って、少量なら薬にもなるのかな?」

ちょっと、違う気がするけれど、だいたいの雰囲気はこんな感じのはずだ。

簡単にチェック出来るのにね。

面倒くさいというより、思考の流れが途切れてしまう気がして、気が引ける。コピーしといたからツイートの文章はここにあるけれど。

noteにこうして書こうと思ってコピーしたのだから当たり前だ。

「芸術が嘘だから、わたしたちはそれを通して真実を見ることができる。それが虚構だと、わたしたちは知っているからです。それを忘れたときには、芸術は猛毒になってしまう。」ーミヒャエル・エンデ

現代の虚構ってなんだろう。誰でもそう考えないだろうか。

国境?紙幣?もしかしたら全ての名前は虚構そのものなのかもしれない。

プリンという言葉を知らないで、初めてそれを味わった人は、それをいったい何と呼ぶのだろう。

ここでのパラドックスは、新しい名前、それも虚構であるといったところか。

元号なんて虚構、なんでも馬鹿笑いしたがるオイラに、ウケをねらってそんな事を言ってきた仲間が実際いた。

奴は「ウソ」と、虚構の代わりに言ってはいたが。

「でも、それを言ったら西暦もウソだ。」たしかワタシは、大笑いしながらそう答え、イエスやモハメッドの知りもしないことをペラペラ喋り、また二人で大笑いした。

オトナゲないです。ワタシの毎日なんてこんなことばかり。馬鹿が馬鹿笑いするのは健康の秘訣です。

宗教的な考察をジョークに昇華するなんて、考えてみたら、一握りの限られたコメディアンにだけ託された聖戦なのだろうけれど。

現場で煙草吸いながら馬鹿笑いしているワタシ達にはまったく関係ない。

そう言えば、それをテレビで言えた奴が一人でもいたのだろうか。

元号なんて虚構だぜ。

昭和漫才ブーム絶頂期の空気の中の、あの当時のビートたけしなら、深夜ラジオで言えていたかもしれない。

言いたくてしょうがなくて、喉元まで来ていても、言ってはいけない、そのストレスでノイローゼ。そんなヤツラこそ本物のコメディアン。

たぶん違うのだろうけれど。

そういえば、このノイローゼって古い言葉、もうすでにポリティカル・コレクトネス的には、差別用語なのだろうか。

差別用語を差別する。

いやまてよ。言葉を認識し、その効用について考察し、優劣、善悪を決め、使用禁止用語を作るのは、用語の差別?

なのだろうか?

また、こんがらがった。

「王様の耳はロバの耳」

その、一言を、言ってしまい講義殺到。文化道徳的、重たい木刀と鈍い槍で撲殺刺殺な毎日が、そのコメディアンに襲いかかる。

社会風刺コメディーホラーの台本が一本書けそうだ。

まあ、会見開いて、直角に頭下げるだろうから、大丈夫か。

「あれはいったい誰に頭を下げているんですか?」

そう外国人に質問されたら、その質問はアナタの無知を露呈させるための罠。そう見切って間違いないです。

日本文化について質問する外国人なんて、そうとうお人好しな人でないかぎり、大抵、大学で比較文化学の講義とかが大好きだった奴だったりするから、あれは天皇陛下に謝っているんです、そう言って煙に巻いてやればいい。

ビートたけし風に言わせてね。「バカヤロ」

そうだ「バカヤロー」って短編オムニバスの映画が何本かシリーズ化していなかったっけか。結構面白かったはずだぞ。

いいやもう。

飽きた。

真実が虚構になってしまうと、猛毒。

猛毒だって少量なら薬になる?

それならわざわざ、猛毒なんて言葉は使わないはずだ。

偉人は賢い。

そういうことです。

今も昔も変わらないのだ。


ありがとうございます。