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うつ坊へのカウントダウン〜人生終了。

2週間で引っ越しして、超がつくほどのエリート軍団、毎月ヘッドハンティングでエリートが入社してくるようなトコロに仲間入りした。ただ、やってることが???????????過ぎて、全くわけがわからなかった。そもそも学がなくて人勝負だった人間に学や能力で勝負しろって環境に来てしまったわけで。新卒でもないから、誰かが仕事を教えるわけじゃない、
出来て当然、出来ないやつは人の何倍も頑張って出来る様になれ、出来るようにならないなら、そこで終わり。というシビアな世界だった。仕事を盗む、仕事を真似る、仕事を取る、ただ、その仕事のレベルが高すぎた。それでも踏ん張って人間関係を構築して、少しづつ仕事を教えてもらえるようになったり判断出来るようになってきた。ほとんど休まず、寝ずの毎日だったけど、前も少し見えてきた気がしていた。
ただ、違和感も感じてた。やたらと人事異動が多いな!?先輩の○○さん最近見ないな?とか、自分のことで必死やったから周りのことなんて構ってられなかったけど、それは周りのみんなも同じだった。激務とプレッシャーで毎月のように休職者が出ていたわけです。

僕は自分でそうならない人間だと思っていて、これまでも復職者の受け入れ支援やリハビリ勤務・REキャリアなんかも積極的に担当してた。寄り添って足を揃えて一緒に歩いていく。言わばメンター的な立場が多かったから、逆の立場なるなんて考えられなかったし、違う世界でのことだとどこかで思っていたんだろうなと、、、

で、休職者発生ごとに担当の配置転換が起こる。僕は入って半年、担当をまだ持っていなかったサブの段階だったから、違う担当チームに移籍してサブから主担当として頑張るように。ってことになった。ただ、人間関係が構築出来てチームのメンバーに認められてやっとこれからって時期でもあった。チームが変われば関わる人間もゼロから。しかも次は主担当として日常判断が増えていく。
配置転換の面談で、「半年間、何もやってないよね」「ここに何しにきたの?」「何がしたいの?」「遊びならすぐに帰ってくれていいから、、、」、、、10分程度の面談だったけど、これだけ無感情に全否定されたことに涙が止まらなかった。配置転換も頭や気持ちの切り替えが必要だったけど、これだけドライに対応されたことがショックだった。この部署にきて我慢してたけどはじめてトイレに篭って半年分泣いた。。。一緒に働いていたチームの皆様には暖かい言葉で送り出してもらい、自分で無駄じゃないと思いながらも、配置転換に気持ちは複雑だった。

新しいチームに移動したら、いきなり人がいなくなっていてバタバタしていた。とにかく出来ることをこなしても午前様は当たり前。でもやるしかなかった。やったことなくても判断したことなくてもやらないといけない環境だったことで仕事に打ち込んだ。2ヶ月くらいで少し落ち着いたけど、自分の存在を証明するために必死だったのかもしれない。人間関係も一緒に苦しむことで少しづつ構築していった。半年くらいで良いチームになっていたと思います。仕事や役割も随分理解できたしゼロだった能力も少し向上しているなと実感したりもした。
ただ、その間にも別部署や別チームでは相次いで人が倒れて休職状態になっていた。。。

1年のシーズンを迎え、年間計画を立てて事業を組み立てするようになった。自分の頭でシミュレーションしながら組み立てていく、それが現実のものになるってことで責任大でもやりがいを感じていた。それをやり遂げられるのか、不安はあったけど、とにかく頑張るしかない。。。って思ってた。
新しいシーズンが始まるにあたり、予期不安は的中した。
チーム再編成するというのだ。。。ってことは担当チームが変わるかもしれない、ってことだった。自分の中では1度目の配置転換で限界だった。仕事は覚えてきたとはいえ、またゼロからやるってことが受け入れられなかった。しかし、来月から配置転換で各担当ごとに引き継ぐようにって指示がきた。今回はほとんどの人間が配置転換になるのだけど、自分にとっては短期間に大切な仲間と2回目のさよならで、その段階で気力はほとんど残っていなかった。「会社の歯車とはこういうことか?」出来るようにならなければ、そこで終わり、っていう考え方も腑に落ちた。

良くなかったのはそこで自分を持てなかったことで、配置転換が嫌なら人事移動で他への配置転換も認める姿勢を会社側が見せていたが、それには応じなかった。
負けたくない、中途半端で終わりたくない、努力で必ず困難や壁は越えられるって信じてたし、自分の目標を変えたくない意固地な部分が大きかった。

体制変更でまた違うチームに配置転換となった。違うメンバーとの人間関係構築に加え、業務効率化や海外事業強化など、さらにハードな環境になっていった。終電で帰れずにタクシー利用、終電で帰っても朝7:00までには出社して仕事していた。土日は休みだったけど、休まなかった。周りとの差を埋められるのは休みの日しかないと思い、必死に専門知識を勉強したり、週間業務の整理などに充てた。2ヶ月くらい休まずMAX勤務の状態で、体に異変を感じるようになった。
喉が痛くて咳が止まらない。高熱が出たりする。目が充血して痒くてたまらない。。。。さまざまな症状が出た為に、毎週近所のクリニックに検査してもらったりお薬を処方してもらったりしていた。全く原因が掴めないまま、疲れが溜まっているんだろう。。。でもやらないと!!!!って病院以外はずっと仕事している状態だった。病院の待ち時間ももったいないのでノートパソコンで仕事しているほどだった。

体調不良が影響してか、自分の計画していた仕事に抜け漏れが出てしまった。確認していたはずだったが全社に大きな影響が出る失態だった。1度ではなく、小さいものも含めるとどんどん回数が増えていっており、会社で責められることも増えてきた。
「だいぶ前にも言ったと思うけど、何しにきてるの?」「何がしたいの?」と改めて話をされた。普通に答えたものの、以前の面談がフラッシュバックした。
翌日、朝から出社したけど全く働く意欲がでず、昼休憩で体調不良を訴えて早退した。

その後も同じように体調不良の日が続いたけど、ついにその日がやってきた。
朝5;00に起きなければならないのに、目覚ましが鳴っても止められなかった。目覚ましがまた鳴る、止められない。また鳴る、止められない。嫁が流石に目覚ましを止めた。
嫁「起きないと遅刻するよ!」「今日休み?」「???」「ちょっと!!」「無視!?」・・・
僕「・・・いく・・・」「・・・おきるから・・・」そして起きあがろうとした瞬間、
「ブチっ!!」ていう大きな音が体の中で鳴った。
そのまま起き上がれなくなり、涙が止まらなくなった。
長い闘病生活がここからはじまることになった。

闘病生活へと続く

photo:Rockfeller Center@New York

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