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幼少期〜学生時代①

うつになったのは大人になってからですが、幼少期からちょっとお話できればと思います。今考えると性格や環境など、色々な要因があったんだろうなと思い振り返りながら。

ごく一般的なサラリーマン家庭の2人兄弟の末っ子で、年齢の近い兄がいます。引っ越しもなかったから兄弟揃って中学まで同じ進路を歩みました。兄はなんでもそつなくこなすタイプで素直な性格。運動も勉強も一生懸命する感じ。ちょっと頑固ではあるけど、親から見れば期待の星だったと思う。
対して、僕は幼稚園の頃から気性が荒くて感情コントロールが苦手なタイプ。泣く事でしか表現ができず何をやっても泣いてばかり。親から「ほんとに分からない子」とその頃から今でも言われてます。あまり周りの人と一緒に遊んだり合わせたりすることが得意ではなくて、残ってしまってどこかのグループに無理矢理入れてもらう感じだったように思う。ままごとのお父さん役しかした記憶がない。
お家ではずっと図鑑や地図を眺めてる子だったみたいだけど、気性が荒かったからかある日突然ぬいぐるみをズタボロにしたりっていう奇行もあったらしい笑

うちの地域は新しくできた新興住宅地の街で幼稚園から小学校はメンバーがほとんど変わらず、新しいメンバーが続々入ってくる感じだった事もあって、古くからのメンバーには性格も知られてるから友達関係にはそこまで苦労はしなかった。運動は出来ないし、勉強も苦手だったけど、おしゃべりだけは出来た感じ。ただ気性の荒さだけは全く改善されずで小学校でも毎日泣いてた。
何かのきっかけになればってことで、習い事は沢山チャレンジした。っていうか半ば強引にさせられたのかな。自分からやりたい事がなくてどれも続かなかった。理由は同じ習い事を兄がやっていたから。兄はどの習い事でもそつなくやっていたけど、僕は苦手でうまくいかなかった。
その度に親からは比較されて注意ばかりで何も出来ない子と言われて辞める結果に、、、
それが悔しいから、次こそはって思って取り組むけどやっぱりうまくいかない。兄からもお金の無駄って言われて距離を空けられるようになった。そんな状態が小学校6年間続いてた。

中学に進んだ時、はじめてやりたいことを見つけた。
古くからの友達が運動部に入るっていうから、運動は苦手だけど一緒にやりたいって思った。中学校では強い部活の部類で練習もキツくて有名だったけど、何か変えられるんじゃないかなって思って、家に帰って親に勇気を出して言ってみた。
結果はNO。運動したいならやったらいいけど、厳しい部活は勉強もついていけなくなるから絶対反対という答えだった。学校ではプレ部活の期間は毎日行ったし楽しかった。泥々の体操服を毎日持って帰って、それくらいやりたいんだっていうアピールもした。決めるのに1週間あったけど、寝る時以外反対ってずっと言われ続けた。結局、今まで勉強も運動もあまりやってこなかった自分には最後言い返すことが出来なかった。結果、幼少期からの友達には裏切られたってなり距離が少し空いた。

バランスが崩れて束の間、イジメにあうことになった。そもそも気性が荒くてコントロールが難しい性格が周りとの関係を悪くしていったんだと思うけど、ちょっとしたきっかけであるグループに目をつけられイジメはエスカレートしていった。内容は伏せるけどかなり酷かったと思う。学校にも行きたくなかったけど、休まなかった。家にも居場所がなかったから実際には休めなかったんだと思う。イジメられてる人間を前に周りとの距離はどんどん広がった。幼少期からの友達何人かは、行動を起こしてくれたりしたけどどうにもならなかった。家では部屋に篭って本棚にあったクラシック音楽のCDを聴いていた。外に出歩く事も怖かったから。親から見れば全く理解できなかったと思う。死ぬことは毎日考えてた。

全てが崩壊していた中学生活だけど、かなりの時間が経過した頃に幼少期からのクラスメイトだった女の子の一人がイジメから助けてくれた。その子が中心になって女の子メンバーが先生たちに現実を訴えて問題にしてくれた。その事実はせまい新興住宅地の世界だからすぐに親も知ることになってイジメも騒ぎも収まることになった。その女の子がいなかったら間違いなく死んでた。なぜ収まったのかは僕は知らされてなくて時間が経って知ることになった。その子には「ありがとう。」って一言だけ伝えた。「曲がったことが嫌いだっただけ。しっかりしーや!」って言われた。
イジメグループは親とともに家に謝りにきたのを覚えてる。「気にしてないし、大丈夫。」って答えて、あとは親が世間話してた。親からはそのことについて聞かれることは無かった。
女の子と話すことが極端に苦手で恥ずかしくなったのは、この一件以降だったと思う。今note書いてて思い出した。
勉強はそんなにできなかったけど、進路はとにかくこの街から出ることだけ考えてた。結局、学校からただ一人、通学にすごく時間のかかる私学に進学した。兄からは地元の公立を選ばないのは親に負担をかけるからってずっと言われたけど気にしてられなかった。親からはあまり何も言われなかった。。。(学生時代後編に続く

photo:CDG airport terminalB   内容に関係なしです。

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