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呼吸のワークのこと


少し前の日曜日の午後。

呼吸のワークに参加した。
こちらのnoteのご縁で参加させていただいたもので2回目だった。

長い前置き

私は、自分で言うのも恥ずかしいのだけれど、昔から『純粋だ』と言われてしまう。

しまう、というのは、
『純粋』
→人を疑わない
→言われたことを本当に真に受ける
ということでもある。

だから、社会という大海に漕ぎ出した時、この性質は残念ながらプラスには働かなかった。

社会の荒波に揉まれることウン10年。

未だ泳ぎにくいと感じるが、
世の中、『思ってもないことを言う』人がいる、
『本音と建前』の世界がいるから気をつけないといけないということは、遅ればせながら分かりながらも、自分にそれがないから、気をつけ方が上手くない。

しかも本当にその類で嫌な思いをしたのは39才ごろ。

つまりそれまで本当に恵まれていたのだと思う。
『そんな年まで、そういう嫌な目に遭わないってよほど恵まれていたんだね。』と友達にも言われたくらい。確かにその通りだ。

およそ、社会に出て働くことに向いていないとつくづく感じる。
よくサラリーマンをやっているなと思う。

そして40才くらいの時に驚いたこと。

私の笑顔を好きだ、と言ってくれた人に、理由を聞くと
『本当に笑っているから』と言われた。

意味が分からなかったからが、昨夏も別の人から、
『(blancheさんは)本当に優しく心から思っている、笑ってくれているのが分かる。』と言われて驚いた。
その方は九州で出会った方でまだお付き合いの期間は浅い方。

驚いたのは、
『本当に笑っていない人がいる』ということを考えたことがなかったからだ。

本当に笑っていない人?

詳しく聞くと、
『目が笑っていないんだよ。』とか言われたけれどよく分からない。

そんなことを思ったことなかった。

そんな時、ちょっと傷つく。
私、なんで分からないんだろうって。

でも、私の周りに、心から笑っている人しかいなかったら、気付きようもない。
幸せなことだと思おう。

呼吸のワーク

なぜ、そんな話を前置きとして、長々と書いたかと言うと。

その呼吸のワークは、
『自由にしていい』と言われたので、真に受けて、文字通り自由にしたのだけれど、それで大丈夫だったから。

そういうことって、本当は少ないのかもしれないと思ったから。

本当に自由にできる場所だった。

(本当の本当のところは、それは分からない、と言われるかもしれないが、私は『自由にできた』という事実がある。)

以前ゆるくやっていたヨガの先生も、途中寝てもいい、無理をしないを言ってくれた先生だった。
だから、本当に動きたくない時はシャバーサナ(屍)になって寝ていたこともある。

そういうのって、ありがたい。

楽になるためにやっているのに、
しんどいことをしても、意味がない。

その結果は、一緒にワークしてくださった方がこう書いてくださった。

その方(=私)が自分の感じることを臆さずに行動に移してくださったり、言葉にしてくださったことで、私も「初めて聞いた」という先生のお話を引き出してくださったり、これまで感じていたことについてもより深い発見に繋がった。

呼吸のワーキングを
ご一緒した方のnoteより

少しは臆していたけれど(笑)、
もし自由にやって、先生の意に沿わない場合、私が今後お暇すればいいだけ。

先生のやり方もあるし、
一方で私がしんどいことを貴重な日曜の午後にわざわざやることもないのだ。

そう思って取り組んだ。

寝ながら呼吸、耳学問

ご一緒したJさんと共にオンラインで椅子に座って行う呼吸のワーク。

ただ、その日とても疲れていて、
呼吸のワークに出るかどうかも迷うくらいだった。

椅子を用意して座るもしんどい。

勇気を出して、先生に聞いてみた。

『ヨガマットを敷いて寝ながら受けてもいいですか?』

先生はOKしてくださった。

そこで、ヨガマットを持ってきて横になり、ただひたすら呼吸をしていた。

そして、Jさんと先生のやりとりはちゃんと聞いていた。
(いつでもどこでも寝られない性質を遺憾なく発揮。)

耳学問。

人の話を聞くこともまた勉強。

 そこで改めて痛感したことが、自分の体は自分が思うより先に今の自分に必要なことをやってくれている、そのことをに心から信頼することが大事だということ。

 呼吸が浅いとか止めてしまっている=悪い状態だからダメというのではなくて、その人の「今」にとって必要な状態だと体が判断して、生存を脅かさない範囲で呼吸を最小限にして、他のところにエネルギーを振り向けている時もあること。

Jさんのnoteより

呼吸が浅い
つい、息を止めている

仕事中の私だ。

その人の「今」にとって必要な状態だと体が判断して、生存を脅かさない範囲で呼吸を最小限にして、他のところにエネルギーを振り向けている。

納得する。
仕事を間違えないように集中しており、エネルギーがそちらに向けられているのだ。

それで窒息死してないんだから、大丈夫。

そうプラスに捉えられて、それも収穫。

呼吸のこと

そこから、気づけば、
奥底まで呼吸が入っている気がする。

今まで奥まで入らない気がしていたのに。

朝起きて息を吸っても、もう少し奥深くまで吸いたいなと思う感覚があったのに、

今朝も奥深く、かはわからないが、
私が楽な感じで呼吸が入っている。

それが、心地よい。

入ると出したくなり、
今度は吐き切れていない方が気になるので、また心が向く時にワークをしてみたい。

Jさん、先生、
ありがとうございました。。。


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