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小さなリュックしか背負えない


Drop inさんの介護のnoteを読ませていただいている。


人にはそれぞれ抱えられる適量がある。

本当にその通り。

いつしか、自分のキャパシティを超えたリュックを背負って、無理するようになっていた。

気がついて、一度下ろして、
次は気をつけて背負い直す。

人生って登山みたいだ。

背中に背負うリュックは、普通はひとつ。

なのに、
自分用
家族用
友達用
仕事用
なんて欲張って4つ背負おうとしたら、それは無理な話。
そこに介護用も増えたら、、、。

ひとつのリュックにバランスよく詰めればいいのだが、それが苦手なんだと思う。

ついつい、欲張って、リュック以外の手荷物が両手に増えていく。

山登りってペースがある。
一度長く休んでしまうと、そのあときつくなる。(私の場合)

今、仕事のリュックを下ろして、
他の荷物だけで登っているが、なかなかそれでもくたびれる。

多分登山ルートが不明確なのと、
頂上がどこか明らかではないからかもしれない。

どこで、仕事用のリュックをまた背負うか。
母の目処が立たないと決められない。
介護休業をいつ申請するか昨日父のケアマネさんと相談した。
今日会社のケアマネさんと打ち合わせする予定。

最近パワーがない。体力もない。

ずっと前から思っていたけれど、
私は働くようにできていない。
多分。

だから、他の人と同じようにするのも、人の何倍も負荷がかかるんだと思う。
それに気づいてしまった。
気づかないうちは、無意識に頑張れた。

あんなに働けたのは、パワーがあったから?
何だったんだろう。

本当に疲れが抜けない。
長年の疲労の蓄積なんだろうな。

何をしたら疲労回復するんだろう。

少し話が逸れる。

図書館で借りた原田マハの本。

この『ジヴェルニーの食卓』は、

・うつくしい墓
・エトワール
・タンギー爺さん
・ジヴェルニーの食卓

と4つの話で構成されている。

うつくしい墓は、マティスの話。
ジヴェルニーの食卓はモネの話。
他はまだ読んでないから誰の話か分からないがマティスとモネの話は面白かった。

何でこんな話が書けるんだろう。

『ジヴェルニーの食卓』は、食事の描写が美味しそう。
元首相のクレマンソーがモネを訪ねてくる時に昼食に呼ばれるのを楽しみにしているのだが、とても美味しそうで私も呼ばれたい。

パソコンがない時代もいいなぁと思う。
朝の光と共に起きて、モネも主人公(モネの後妻の娘で、ブランシュという。blanche、私のnoteの名前と同じだった。白という意味だ。)も会社などには行かず、ジヴェルニーの邸宅で暮らしている。

物語は、モネが80代の頃が中心で目を患い創作意欲を失いながらも、フランスに寄贈する絵のことにまつわる話。

何でこんなことを書いたかというと、この本の時代やそれ以前の暮らしがいいなと思うから。

街にもきっと今よりまだ自然があって、建物も当たり前だが今ほど近代化しておらず、車がちらほらの時代もあれば、馬車の時代もある。

クレマンソーがジヴェルニーに来るのは車だからこの時にはもう近代なわけだけれど。

ただでさえ、忙しいのにパソコンが出来て忙しくなり、携帯が出来て常に追われるようになり、スマートフォンでさらに通話やメール以外にもジャンジャン追われる。

小さなリュックしか背負えない私には、きっとキャパオーバー。

自然の中でのんびり、晴耕雨読的生活をしたい。

本当に人それぞれキャパシティは違う。
今の私に今の暮らしは荷が重たい。

また別の話。

陰謀論?を信じている友達がいる。

その子の話によると、
ベーシックインカムになれば、働かなくてよくなると言う。

(途方もない話で諸々疑問はあるが、議論しても仕方ないのと、話としては面白いから普通に聞いている。が、あまりエスカレートしたらちょっと怖いからその時は考える。)

皆が働かなくてよかったら、
美味しいレストランもなくなっちゃう?
母の介護をサポートしてくれるスタッフさんは?
病院は?
交通手段は?
いろんな店はどうなるの?

諸々疑問が出てくる。

彼女曰く、
働きたい人もいるからと。

いるかもしれないけれど、全て今ある職業をやりたいと思ってくれる人がいるとも思えない。

しかも、コロナのワクチンを打っていない人は30歳若返るなんかがあって、3回使えるらしい。(訳が分からずよく聞いてなかった💦)
そんな若返ってどうする?
しかも3回も?

『パイロットやCAもいなくなったら、旅行もできない。』と言ったら、既に人が空を飛ぶ?技術があるらしい。
(帰宅してから調べてみたけれどジェットスーツしか分からなかった。
でも空飛ぶ衣類がもうあることに驚く。)
でも。
ヨーロッパまで空を飛ぶのしんどくない?
荷物もあるし。
どこでもドアがあれば話は別だけど。

働かなくてもよい世の中が本当にきたら、小さなリュックしか背負えない私は楽なのかもしれない。

リュックは背中から下ろして、
のんびりゆっくり過ごせる。

そんな世界。
本当に来るなら、早く来てもらいたい。

私がもっと大きくて、頑丈で、大きなリュックが背負えたらいいのに。

そんなことを思う朝。

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