平和とは
Mrs.chocolateさんのnoteで、
この企画を知った。
平和とは
『平和』とは何だろう?
辞書を改めて引いてみた。
この定義だと、国家間のことをイメージしがちだけれど、
『世の中が穏やかな状態にある』という点にフォーカスすると、
そこに存在する人の数だけ『平和』の意味が存在しそうだ。
日本は今、いわゆるロシアとウクライナのような分かりやすい形の戦争は直接していない。
だからと言って全く関係ないわけでは決してなく、
そう考えると日本は平和ではないと感じる。
一方で、少なくとも日本本土に戦場がないのは、平和だからだろうか。
相対的に見れば、一般論的には日本は平和なんだろう。
日本人は『平和ボケ』している、なんて聞くこともあるくらいだし。
ただ、何となく、『日本は平和』ということには疑問がつく。
個々人レベルの平和
『平和』は世の中が穏やかな状態にあること。
世の中とは、
こう考えると、個々人の状態によって平和を感じる人もそうでない人もいるだろう。
個々人レベルに落とし込むと、『平和』より『平穏』の方がしっくりくるのかもしれないが。
ともかく、『平和』を望まない人はマイノリティだろう。
いやマイノリティであって欲しい。
今過酷な状況下にいる人は、個々人レベルの平和はない。
生きている人に、平等に平和が訪れるということは、なかなか難しいことなのかもしれない。
普通の日常生活が送れるということは、平和であり、感謝したいことだ。
これも掘り下げると、世の中が穏やかな状態なことと、そこに生きている人の心が平穏か、というとまた異なるから難しいと感じる。
それでも、単純に『平和』と聞いて、それを望まない人は少ないと思う。
だからこそ、多くの人々の『平和』な世界を作り、維持するという行動は長い歴史の中で脈々と続いてきたのだと思う。
競争のない世界
個々人が『平和』な世界のためにできること。
『平和』の定義に立ち返れば、争いごとがないこと。
つまり、個々人の間の『他』との争いごとをなくすことは、小さな小さな『平和』への一歩だと思う。
自己の利益を優先したい気持ち、
私利私欲が強くなると競争が生まれる。
他人を羨む気持ちや蹴落としてやろうなんていう嫌な感情がまた争いやいじめを生む。
国と国の争いもそうだ。
国益の為に戦争は生まれる。
もちろん純粋に主義主張のための戦争もあるかもしれない。
どちらにしても、自国の主張を通そうとするならば争いが生まれる。
かといって、主義主張をせずにいたら侵略されてしまう。
競争のない世界もまた難しい。
人を含めてモノが1つ以上あれば、『違い』があってそれが競争の元になることがるからだ。
平和とは
作り上げるのがとても難しいもの。
平和と思われているものも、人によっては違うかもしれないもの。
今回の企画のおかげで、
無意識下では、平和な世界にいると思っていたけれどよくよく考えてみたら、違うのかもしれない。
そう思った。
表層的な意味での平和も、今戦争や紛争地域に暮らす人から見たら尊いものだ。
そのことに感謝したいし、
日本の先人たちが、少なくとも戦後、直接的な戦争のない状態を維持してきたことは本当にありがたい。
表層的な意味での平和だったとしても維持していきたいものである。
そして私個人は、相手の平和・平穏を脅かさないように、そして自身の平和・平穏もちゃんと保って暮らしていきたい。
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