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与論島の電話から

与論島からの電話

先日、私のiPhoneが鳴った。

最近はほぼ母の施設からだが、その日はデイサービスはない。

何だろう?父からかしら?

と思いながら取ろうとすると知らない電話番号。

取ってみると『朝戸郵便局です。』と女性の声。
私が郵頼(ゆうらい)した件についての電話だった。

与論島

郵頼デビューは同時に2箇所。
そのうちの1つが与論島にある朝戸郵便局だった。

朝戸郵便局は、鹿児島県大島郡与論町にある。

鹿児島県に短期間住んだことがあるが与論島をはじめ、離島には行けずじまいだったことが心残り。

与論島は、北緯27度東経128度に位置する面積20.8平方キロメートルの鹿児島県最南端の島だ。
人口は2022年4月現在5,061人。
仕事の取引先の方が与論島出身だったり、鹿児島空港に着いた際の離島の紹介パネルに与論島の風景があったりして、気になる離島だった。

私が初めて与論島について意識したのは、おそらく大学生の頃だったように記憶している。

小説家 森瑤子

小説家の森瑤子を本を友達が読んでいて、その森瑤子が与論島に別荘を持っており、それで与論島の存在を意識したのだった。

『森瑤子 与論島』で検索したら出てきたサイト。


彼女が書く恋愛小説の主人公の女性は私は全く共感できないタイプだったし、同じような話をいろんなところで書いている気がして作品自体に思い入れはなかった。
でも、もしかして大人になった今読めばまた違う感想を持つのかもしれない。

ただ、森瑤子個人には少し興味を抱いた。

森瑤子は、1980年代の小説家。
静岡県出身で、37歳でデビューしてから52歳という若さで亡くなる。
この短い活動期間に、小説、エッセイ、翻訳などたくさんの著作を残した人だ。

保守的な英国人の夫を持ち、自身は東京藝術大学でバイオリンを専攻されていたと思う。
小説の恋愛の形はともかく、彼女のバッググラウンドから紡ぎ出される世界観には興味があった。

とにかく私に与論島という島の名前をインプットしたのは、森瑤子だ。

記念押印の日付のこと

与論島からの電話に話を戻す。

朝戸郵便局からのお電話は、記念押印(手紙や葉書を風景印で出すのではなく、台紙などに切手を貼り、そこに押してもらうこと)に押す日付のことだった。

与論島と同時にもうひとつ郵頼した風景印は日にちに余裕があったから、大安と天赦日が重なる8月4日を指定していたのだが、与論島の朝戸郵便局の方は、何となく数字を揃えたくて令和5年8月5日を指定したが土曜日はお休みとのこと。
それならこだわりもないので『届いた日にしてください。』とお願いした。

朝戸郵便局の方は親切で、与論島にはもう一つ郵便局があり、そちらは土曜日もやっていますよと教えてくださった。

郵便局が営業している日か確認するのを失念したので次から気をつけよう。

会うべく人には出会う

ひょんなことから知り合った奄美大島の知人に言われた言葉。

その言葉を思い出した。

その方と私は、2009年から2012年のどこかで、札幌市内で出会った。いつなのか覚えていない。
しかも、偶然一回だけの出会いだった。

その方に2021年の春、

会うべく人には出会う。
だから、貴方と私は会うべくして北海道で会ったのよ。

という言葉をもらうことになるのだが、この話はまた別のnoteに書きたい。

大学生の私は与論島の存在を知ったが、南の方だとは認識しても、鹿児島なのか沖縄かも無意識だったし、行こうと思うこともなかった。

それが、30年以上経って、鹿児島に住むことになり、その後与論島にある郵便局の人と電話で話すことになるとは想像だにしていなかった。

些細なことだが、人生ってちょっと面白い。

想いがあると『呼ばれる』ということはあるのかもしれない

振り返ると、私が仕事で住んだ土地は全て何かある。

北海道は全く興味はない場所だった。
ただ山登りをしていた時期に、
礼文島と利尻島にはどうしても行きたくなり、北海道で私が一番最初に行ったのは礼文島と利尻島だ。
北海道デビューが島からというのはかなり珍しい方だと思う。

そして、その時に『自然豊かで他の北海道も行ってみたい』と思ったらその3年後に仕事で住むことになった。(希望などは全く出していない)

伊勢神宮も然り。

学校の授業で伊勢神宮の存在を知った時、『一度は行きたいけれど、なかなか機会はないし難しいだろうなぁ。』と思っていた。
そうしたら北海道の次に三重県に住むことになり願いが叶った。(これも希望は出していない)
その副産物として、京都や奈良に通いたいという願いも叶うことになった。

さらに、北海道大好き人間となった私は九州に目が向いていなかったのだが、これまた山登りを始めた頃から『開聞岳』だけはこの目で見たいと思っていた。
岬が好きなので最北端、最東端は制覇したが鹿児島にある最南端岬『佐多岬』は無理だろうと思っていた。あとは長崎の五島列島に行ってみたかった。

が、遠い。
行くことはないと諦めていたが、仕事で鹿児島に住むことになり、開聞岳も最南端岬も念願叶って見ることができた。(岬はあと最西端を残すのみ)

さらに鹿児島に引っ越したことで、中学校の担任の先生と再会を果たした。
中学校卒業後、ずっと年賀状で繋がっていたが、地元鹿児島に戻られた先生との実に36年ぶりの再会だった。
先生は関東にいた時の教え子で再会したのは私だけだとおっしゃっていた。
この36年後の再会の為に、ずっとハガキや手紙で繋がっていたのかもしれない。

長崎の五島列島は友達がミシュランタイヤの抽選で福江島のグランピングが当たった。それで行くことになった。
『五島列島行きたいって言っていたよね?』と友達から電話。
コロナが始まる直前のことだった。

他にもいろいろそんなことがあり、想いがあれば『呼ばれる』のかもしれないと思うのだ。

『呼ばれた土地』へ

そんなことで今私が気になっているのは、新潟と山形。

毎年四季折々に北海道に行く私にケアマネさんが『いいわね〜』とおっしゃるから、『実は新潟と山形にも行きたいんです。』と話したら、何とケアマネさんは新潟出身だった。

その時に、『佐渡島が素晴らしい』とおっしゃっていたので、今佐渡島が気になる。

きっと何かあれば『呼ばれて』実現しそうな気がする。

あとは、長崎(島ではない本土)や福岡、東北、四国も行きたいところがある。

私は好きなところを何回もリピートするから少しずつしか行く場所が広がらないのだ。
でも、呼ばれたらそこに行くような気がしている。

呼ばれてその土地に行く。

長くなったが与論島からの1本の電話が心を揺さぶった。

森瑤子の小説、読み返してみたくなった。
今の私はどう思うだろう。

いつか、与論島に呼ばれて行くことはあるだろうか。。。

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