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素敵な過去(思い出)は振り返る



時々、一年前の今頃は何をしていたのか振り返る。

2021年10月5日のInstagram
同じく10月5日


私は南の国で仕事をしていた。
秋なのにこの景色!
それでも、真夏の椰子の木よりは背景の青空も少しだけ淡くなり、夏から季節が進んでいるのを感じたことを思い出す。

2021年10月10日 チンジュカンポタリー
(鹿児島市)
2021年10月10日 鶴丸城(鹿児島市)
2021年10月10日 中央公園(鹿児島市)


1年後の今日は関東にいて、天気予報は曇り。

2011年10月。
11年前は北海道にいた。
その時はまさか10年後に鹿児島に暮らすことになるなんて、1ミリも思っていなかったと思う。

小林正観さんの理論だと、それも全て私が決めてきた人生のシナリオ。

10年後にどんな暮らしをしているのか、どんなシナリオを自分が書いたのか楽しみではある。

シナリオが決まっているというのは、最初は?だったけれど、

決まっているから、どうでもいい、努力しても仕方ない。

そういうことではなく、
努力をするもしないも、
何かを自由意思で選択することも、
どんな選択をしたとしても、
その流れは自分が決めてきたシナリオ通りということ。

人はみな、今日ただ今この瞬間から、右ルートを選んでもいいし、左ルートを選んでもいい。どっちも自由に選ぶことができる。選択の自由がある。右でも、左でも、自由ですが、その選択は、生まれる前に決まっているというのが、運命の構造の結論です。
小林正観著『淡々と生きる』より

ガチガチの唯物論の小林正観さんが、長年の研究に基づいて辿り着いた結論。

このことが、本当かどうかは
私自身検証したわけでもなく、
検証の方法も分からないから、
真実かどうかは分からない。

過去の自分の選択は、すべてシナリオどおりです。これからも右でも左でも好きなほうを選んでいい。でも、選んだ結果は、生まれる前に書いたシナリオのとおりなのです。  選びに選んだ結果がシナリオどおりである──そうわかってしまったら、考え方としては、恨んだり、愚痴を言ったり、泣き言を言ったりするのは意味のないことです。
小林正観著『淡々と生きる』より

この『人生のシナリオが決まっている』ことが本当かどうかより、こう考えるといろんなことが楽になったら気がする。

自分が決めたんだから仕方ないというか、何というか。
いい意味でもがいても仕方ないのだという心持ちになれた。


そんなわけで、話がそれたけれど、私は自分の描いたシナリオで、北から南に住む経験をした。

途中辛いこともあったと思うが、幸い嫌なことは忘れ、楽しいことは覚えている性質なので、時折素敵な過去(思い出)を振り返る。

昨年の今頃は初めて住む南の国で、自分なりに楽しみを見つけようとしていた。

明日があることは、当たり前ではない。
いつ自分の人生が終わるかは、決めてはいるけれど覚えてはいない。

来年の今頃。

『1年前もよかった。』

そう思えるように1日1日を積み重ねていきたい。

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