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山好きな人におすすめ:串田孫一さんの本を買う(鳥と花の贈りもの/山の独奏曲/緑の色鉛筆)

もっぱら図書館で本を借りているが、最近読む時間がなくて、途中で返すのも多い。ゆっくり読みたいものは買ってもいいかと思ってまず3冊購入した。

北のアルプ美術館を訪ねて、改めて読みたくなった随筆など。

鳥と花の贈りもの

こちらはメルカリで。

『鳥と花の贈りもの』
noteのクリエイターさん(もずきちさん)のおかげで、鳥が身近になった。

この本は見開きの右頁が串田孫一さんの文章、左頁が叶内拓也さんの写真で構成されている。

串田孫一氏の随筆
(「鳥と花の贈りもの」より)
叶内拓也氏の写真
(「鳥と花の贈りもの」より)

ベストセラー『山のパンセ』で知られる随筆家、串田孫一が晩年に書き綴った、野鳥と花にまつわる珠玉のエッセイの数々。
 深い思索の淵からあふれ出る透明感に満ちた言葉が、鳥とともに樹々をめぐる小旅行へと読者を誘います。
 60点を越すダイナミックな野鳥写真は、ネイチャーフォトの第一人者、叶内拓哉撮影によるものです。北海道から沖縄まで四季折々の花々が彩りを添える、美しい随筆集ができました。

出版社より(暮しの手帖社)

Amazonの評価でも気になっていた。

イヤーッ!これは写真も凄い。叶内拓哉氏の鳥と花の写真にも感動しました。串田氏の朴訥な語りを一気に華やかな世界に引き込む写真。これだけ鳥を静止した状態で撮れるなんてミステリー。野鳥を見つけるだけでも大変なのに、花と一緒に、まるで鳥がポーズをとっているような写真。
淀板物が平成18年の初版本でした。

Amazonの評価より抜粋

これだけ鳥を静止した状態で撮れるなんてミステリーという言葉に魅かれて。

写真家の叶内拓也氏は存じ上げなかったので、調べてみた。
以下プロフィール。

1946年生まれ
東京都三鷹市
幼いころから自然が好きで、特に野鳥好きは家族にあきれられるほどだった。
1968年東京農業大学農学部農学科卒業。卒業後9年間造園業に従事。機械類は大の苦手だが、野鳥識別のためにカメラを入手し、大学卒業間もなくから野鳥の撮影を始め、仕事の合間をぬっては全国各地へ野鳥撮影の旅をするようになる。その後フリーの野鳥写真家となる。(財)日本野鳥の会会員、調布自然の会会長。
成人学校、カルチャースクール、自治体主催の自然観察会などで、バードウォッチングや野鳥写真の撮り方などを指導する機会が多い。
東京都調布市在住で、自然好きの市民らの 「自然を知り、楽しむことが、結果的には自然保護につながる」という声から発足した「調布自然の会」(1985年発足、会員数2006年1月現在120人ほど)の代表として、年数回の自然観察会を開いている。

https://torikansatsu.com/profile/

寝る前に紐解きたい1冊。

串田孫一との六十四年

この本の後ろの方にある奥様の串田美枝子さんが書かれた「串田孫一との六十四年」もとても好きだ。

衝撃だったのはこの一文。
「無能力者」って響きがまたすごい。

女は結婚したら公民ではなく「無能力者」になるのです。
私は成年に達する前に結婚したので、戦後、憲法が変わるまで「無能力者」でした。自分でハンコも押せないのです。本当に子供扱いでした。

「串田孫一との六十四年」/「鳥と花の贈りもの」串田美枝子

好きだなと思った文章。(他にもたくさんあるのだけれど)

お菓子が好きで(串田孫一のこと)、三時になると書斎から出てきて。書斎にお茶を持ってこさせることはしません。何しろごちゃごちゃしていますから、置く場所がないのです。どこの何かっていうのではなくて、何でもいいのです。近所のお菓子で。

「串田孫一との六十四年」/「鳥と花の贈りもの」串田美枝子

ちなみにその「何しろごちゃごちゃしていますから」という仕事場はこちら。(北のアルプ美術館で見ることができる。全てを、本の並びまでこだわり6年の歳月を費やし、忠実に再現した書斎である。)

とにかくずーっと一緒にいました。今でも一緒にいるような感じで、なかなか本気にできません。六十四年と言うのは、やっぱり長いです。でも幸せでしたね、ふたりとも。

「串田孫一との六十四年」/「鳥と花の贈りもの」串田美枝子

こんなふうに言えるって幸せだ。素敵だ。

山の独奏曲

串田作品の隠れた名作〜が気になり。

有名な『山のパンセ』もそのうち買いたい。

落ち着いて読みたい。
今はどうしても隙間時間に読んでいる。

■作品紹介
軽妙な文体と洒脱な挿絵が醸し出す串田作品の隠れた名作。
一九六〇年代のハイキング雑誌『ハイカー』に連載された山のエッセイに、
筆者がみずから書き下ろしたイラストを添えて再編集した、見て、読んで楽しい画文集。
原著の持つ雰囲気を大切にし、ワンポイントの色使いが美しいイラストも忠実に文庫で復刻。
山と日常との狭間を、温かな目で描いた72編のショートエッセイ。

■著者紹介
串田 孫一(クシダ マゴイチ)
1915(大正4)年、東京生まれ。東京大学哲学科卒業。中学生のころより登山を始め、多くの山々に足跡を残す。
1940(昭和15)年から上智大学予科などで教鞭を執り、東京外国語大学教授時代は山岳部部長も務めた。
1958(昭和33)年、山の芸術誌『アルプ』を創刊し、1983(昭和58)年に300号で終刊するまで責任編集者を務めた。
著作は膨大な量に上り、山岳文学、画集、小説、人生論、哲学書、翻訳など多岐にわたる。2005(平成17)年、89歳で逝去。
著書に『若き日の山』『山のパンセ』(ともにヤマケイ文庫)、『雲・山・太陽 串田孫一随想集』(講談社文芸文庫)、ほか多数。哲学者、詩人、エッセイスト。

https://www.yamakei.co.jp/products/2820048960.html

緑の色鉛筆

これは前から気になっていた。

誰かの記事で”いい文章を書いていた時読んでいたのがこの本だった”みたいな話を読み、名文に触れる機会になるし、山の話だけではない串田ワールドも味わえる。

山や自然に、哲学や思想に、絵や音楽に……さまざまな表情をもつ著者による、何気ない視点の揺さぶりや虚をつく発想が気づきをもたらす、日常を変えてくれる約40篇を精選。

紀伊國屋オンラインサイトより

北のアルプ美術館

お恥ずかしながら、山を登っていた時に串田孫一さんのことをあまり意識していなかった。

もっと知っていたら、その山を登る前にエッセイを読んでから登ればもっと楽しかったに違いない。

その串田孫一さんの仕事場を復元したり、彼が創刊した「アルプ」、その文芸誌に関わるいろんな縁の方に触れることができる北のアルプ美術館も山を登る人たちに改めて知ってもらいたいなと思う。

おまけ

今日も母の歯磨きで格闘。くたびれた。
抵抗して口を開けない。最後まで開けてくれないから今日は奥歯は磨けなかった。
せっかく「自前の歯があることを褒められた」のに・・・。

今から、「鳥と花の贈りもの」を読みたい。
ちょっと読んだら残りの家事を・・・。

目に留まった随筆を2つ。(写真は控える)

天は一つ

オオハクチョウ
(北海道弟子屈町)
たまたまこの夏行った場所だった。

聡明で、親密な彼等は、特に申し合わせた訳でもなしに、瞬きの合図をして飛び立った。冬の大空の寒気も、このあたりでは、これ以上白くはなりそうもない山なみも、雲雲の流れ去っていく天碧さも、特別に声を出して有頂天になるほどの事はない。
彼等は神の代わりに、一つの天に生きている。年が改まり、今年はどんな年になるのだろうかと、意味のないことを考える愚かさも知らない。空には昨日がなく、明日もなく、ひたすらゆったりと今を快く多分。心を探り合い、確かめ合って殊更に平和を笑顔で悦ぶ必要もない。天は一つ。翼を持つ種族の、常に抱かれている天は一つつ。その天を今はやわらかに太陽が明るくして、山々を白く、輝かせるために、雪を舞わせた雲が、薄く消えながら去ってゆく。それも軈て消えるだろう。不安に怯えたことのない白い大きな鳥達が、小さく消えるまで遠くへと飛んでいく。

鳥と花の贈りもの/天は一つ/串田孫一

草原の夢

シマセンニュウとエゾキスゲ
(北海道別海町)

この鳥の喋り方はすぐに判るが、いろいろなことを話し掛けているらしい。それがどうもはっきりしないので、営巣中で忙しいかも知れないが、言葉の稽古をしたいものだ、如何でしょう、このお願いを聞き届けてもらえませんか。と問い掛けた。鳥は確かに返事をして呉れてはいるが、かなりの早口なので理解できない。けれどもなんとなく嗜められているような、そしてそれが少しも見當違いでないような、寂しい気持ちになってくる。
人間が理解できない歌のやりとりで、私たちは何とか生存の手段を考えているのに、私たちの言葉を教えてしまったら、何をされるか大体判っている。共存などと言う夢を抱いているのなら、それはやめた方がいい。翼をもらえなかった意味を、あなたは正しく考えたことがあるのだろうか。草原に矢鱈に夢などを持ち込まないほうが良い。夏の太陽が時々翳る。

鳥と花の贈りもの/草原の夏/串田孫一


台風が近づいている。
被害が大きくなりませんように。。



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