見出し画像

ひとりは寂しくなんかなく、むしろ自由で贅沢な時間がたくさんある


ウン10年ぶりに、この春から実家で両親と暮らしている。

25歳で実家を出てからずっとひとりで暮らしてきた。

ひとりは寂しいか?

私は幸いなことに、ずっとお付き合いしている人がいたからそういう意味では寂しくはなかったが、地元を離れたこともあり、いわゆるクリスマスやバレンタインなどはタイムリーに過ごせないことも普通にあった。

そんな時は、人並みには、寂しさを感じることはあったかもしれない。

その後、大事な人がいなくなり、
その喪失感(これは別のnoteに書いているが)と比べたら、ひとりが寂しいとかではなく、そもそも『大事な人がこの世界にいないことに比べたらたいていのことは寂しくなんかない』という境地に辿り着く。

ひとりで行動デビューは意外と遅かった


そんな私も、地元にいた時は、
家族や友達や彼が身近にいた訳で、
その頃は出かける時は、『誰かと』出かけることがデフォルトになっていた。

何も考えずに。

どこか行きたいところがあったら、
誰かしらと出かけていた。

だが、地元を離れたら気軽には今までの交友関係はない。

誰かと出かけるデフォルトが、基本はひとりで出かける(出かけざるを得ない)設定に変更された。

ただその変更は本当に遅くて、30代最後ギリギリだったと思う。


ひとり、ソロ活も楽しい!何より自由!


今思い出せば、友達や彼と出かけた時に周りを見渡せばいわゆるソロの人もたくさんいたと思うがあまり何とも思わなかった。(あの人、ひとりで寂しそう、と思わなかったということ。)

そんなこともあり、私はひとりで出かけることへのハードルは低くて、
ひとりでどんどん活動していった。

幸い趣味は女性ひとりでも安全にできることが多かったと思う。

そして、気づいた。

最初は、行動は出来るけど、寂しいのではないか、って思っていたが、

そんなことはなくソロ活は
何でも好き勝手に自由にできる。
思い立ったら吉日の私が、文字通り思い立ったらすぐ!行動に移せる。

食べたいもの、見たいもの、行きたい所、出発時間、帰宅時間、すべて人との調整不要!

以前こんなnoteも書いていた。


自由な時間が持てることは贅沢

そして今。
長年の自由を手放し、家族と暮らしているが、まあなんてことはない日常の諸々が多い。

1人のときなら、2回くらいで洗濯が終わっても3人分だと終わらない。

家事の量も多い。

部屋数に比例し、掃除量も増加。
洗うお皿の枚数も多い。
畳む洗濯物の量も然り。

母の世話で中断されたりすると時間も余計にかかる。

世の中の家族の家事を担ってきた人は、こんな大変だったんだと改めて思う。
(家のことが好きな人は違うかもしれないが、私は家事はそんなに好きじゃない。)

家族と過ごす時間と引き換えに自由が減った。

改めて。

私は長い間、自由を満喫していたんだ。
幸せだったんだ。

としみじみ思う。

今もし、『ひとりで寂しい』と感じている人がいたら声を大にして言いたい。

ひとりって
とても自由で贅沢。
寂しいかわりに、好きなこと、やりたいこと、どんどんやって!!

今、私が一番欲しいもの。

自由時間

かもしれない。。。

お読みいただき、ありがとうございます。 いいなと思ってくださったら、サポートいただけたら嬉しいです。 いただいたサポートは美術館巡りの活動費に使わせていただきます。