死ぬということ-もうひとつの視点
生成り色のリネンのシーツのシワに
アイロンが当てられて
さらさらとした
感触が手に残る
窓の外には葉桜が
白いハナミズキと
風にゆれている
白い壁は
陰影のグレーを帯びて
空間の広がりをうつす
シーツに顔を伏せると
ほんのりと
洗剤が香る
日常だ
どこまでも
その日常は、死んでいること、だ
なにが?
それは、自分が死んでいることだ
シーツをアイロンした者はいない
窓の外の景色を見ている者はいない
部屋の空間の有り様を知っている者はいない
香りを嗅ぐ者はいない
そういう体験をしている' わたし' の死
そういう死が
まるであったかのように感じられた後
湧いてきたのは
はじめから' わたし' はいなかった
はじまりもおわりも無く
時間も空間も無く
人生という解釈が
ガラガラと崩れ去り
残ったのは
生も死も含むすべての有り様であり
そのすべては何でもないものの現れ
すべてであり得る無限の可能性がある
無だ
その有り様は
何も分け隔てることなく
計り知れない
驚きに満ちた
言葉を超えた
なにか
それはどこまでも日常で
誰のものでも無いんだ
そこに誰もいないんだ
何の意味もなく
何の目的もなく
ただすべてであり
無である
どれだけの死にゆく人々を目の当たりにしようと
その身体が機能を終えるのを間近に感じられようと
いつ終わるか知れない発作で全身に痛みがあり続けようと
産まれたばかりの赤子が難病であろうと
それがこれだ
容赦なく
在るように在る
それがこれだ
誰のものでもない
理由もない
因果もない
それがこれだ
救いはない
それが必要だというものはいない
すべてなんだ
その有り様が
唯一で
比べようのない光を放つ
これだ
いかなる現れも完全で
計り知れない
無限の豊かさだ
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