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自分の道は、自分で変えられる。 CTB / 池田悠希

186cm、98kgの体躯で、海外勢と対しても引けを取らない大型センター。ブラックラムズ東京の選手となるまでに、いくつかの重要な分岐点で自ら道を変えてきた。もしかするとバスケットボール選手になっていたかもしれないし、違うチームでラグビーを続けていたかもしれない。池田悠希がどう自分の道を作ってきたか、巡ってみよう。

やってみたら、ラグビーが一番楽しかった

「初めてラグビーと触れ合ったのは、4歳の頃ですね。当時僕は群馬県に住んでいたんですが、親同士も仲良かった幼稚園の友だちが高崎ラグビークラブに通っていました。その子から『一緒に行こうよ!』という感じで誘ってもらったのがきっかけです」

「最初から、コンタクト有りでやっていました。とは言っても、まあ幼稚園のラグビーなんで、めっちゃかわいい感じでしたけど。『おしくらまんじゅう』みたいな感じでボールを奪い合って、逆走する子もいたりとか(笑)」

同じ頃に、野球とかサッカーの入部体験にも行っていた。でも『一番ラグビーが楽しい!』と池田は親に告げ、ラグビーを続けることにした。

「何が楽しかったのか、あんまり覚えてないんですけど、当時僕は足が結構速かったみたいです。なので、ボールを持って走ってトライするみたいな楽しさが、当時はあったんじゃないかと思います」

その頃から体は大きい方だった。

高崎ラグビークラブには小学校3年生まで通っていたが、親の転勤で神奈川県に引っ越した。引越し先でも4年生から大和ラグビースクールに入って、小学校6年生まで続けた。そして中学では、また大阪に戻ることとなった。

だが、大阪では中学校の部活でラグビー部が無かったので、バスケットボール部に入った。土日にラグビースクールに行くようなことも無く、中学校では、ラグビーとの接点は全く途切れた。

高校でラグビーを再開

バスケットボールをやっていたためかどうかはわからないが、中学校時代の3年間で30cm近く身長が伸びて、高校に入った時には180cmぐらいあった。高校を決める際には、その先の大学での活動も見据えて、バスケットボールもラグビーも両方強かった東海大学に行きたかったので、付属の東海大仰星高校に入学した。

高校入学してもバスケ部かラグビー部か迷っていたが、バスケ部に比べてラグビー部は全国優勝を争うレベルだったので、どうせならより高いレベルでやりたくなり、ラグビーの道を選んだ。そこには初心者で入ったメンバーは二人ぐらいしかおらず、それ以外の多くの選手はラグビー推薦で入ってきていた。
 
「3年間ブランクがあったので、やっぱり最初は大変でしたね。当時の土井先生の方針で、初心者も経験者も関係なく全員が同じ練習をしていました。全国制覇を狙うレベルにいる選手も、僕みたいにブランクがある選手もみんな同じ練習をするので、練習で足を引っ張ってしまったりという大変さはありましたね」
 
「元に戻すというよりは、みんなに追いつかなくてはいけないという感覚の方が強かったですね。体も細かったですし」
 
「人数とかも全然違うんですよ。小学校では9人制ラグビーをやっていましたが、それがいきなり15人になりました。ですから入部当初は、例えばフォワードのポジションと言っても一括りにフォワードとしか分かりませんでした(笑)。プロップ、ロック、フランカーなどの役割の違いすら全然分かりませんでした」

入部する時に、最初に練習ジャージの番号を自分で決めないといけなかった。小学校の時の大和ラグビースクールで3年間スタンドオフをやっていた池田は、スタンドオフをやるつもりで10番を選んだ。
 
「でも、高校では一回もスタンドオフはやっていないですけどね(笑)」
 
練習試合では、いろんなポジションをやった。センターやウィングのバックスポジションだけでなく、ロックもやった。何試合かやった後に、土井先生から『センターが一番いいと思う』と言ってもらって、そこからは今日に至るまでずっとセンターを続けている。
 
 「バスケットをやっていたのでハンドリングは得意で、タックルされると片手でオフロードパスをやったりしていました。そんなプレーが得意だったので、先生はそういうところを見てくれていたのかもしれないですね」
 
高1の時に、花園準優勝。高2の時は、大阪予選の決勝で敗退。高3では、遂に花園優勝を果たした。
 
 「高1の時、東海大学にパイロット養成の学部で航空操縦学科というのがあるのを知って、すごく行きたいと思って、高2で理系を選択しました。ですが、数学が難しすぎてパイロットの道は諦めて、高3では文系に移動しました。学業はダメダメでした(笑)」

東海大学入学、同時に帝京の大きな壁

「僕が大学に入った頃は、帝京の9連覇時代でした。1年の時、Bチームの練習試合で帝京とあたったんですが、めちゃくちゃ強かったんですよ。『これに勝たなあかんのか』っていう感じでした(笑)」

当時の東海大学ラグビー部は部員が140人〜150人ぐらいいたが、池田は1年生の時から公式戦のリザーブメンバーに入ることができた。
 
「一番違いを感じたのはフィジカルですね。高校レベルと比べて、ちょっとレベルが上がったなと感じました。ですから、まず体を大きくすることに必死でした。高3の時には90kg無いぐらいの体重だったんですけど、大学でちょっと大きくなりました。今の自分がフィジカルを強みにしてセンターをやらせてもらっているのは、東海大学時代がベースになっていると思います」
 
大学2年の時も3年の時も大学選手権では準優勝だったが、両方とも決勝で帝京大学に敗れた。常に壁として帝京の存在があった。4年の時も、ベスト4で帝京に敗れた。帝京は、ずっと立ちはだかった大きな壁だった。

「勝ちたかったなあ、っていう感じでしたね」


NTTコムラグビー部経由→プロ選手としてリコーブラックラムズへ移籍

大学を卒業するとNTTコミュニケーションズに入社し、社員選手としてラグビー部シャイニングアークスに所属して活動。

「結構若手が活躍していて、チームの成績も右肩上がりで、これから強くなっていくチームだなっていう印象があったし、クラブハウスも新しくなってラグビーをする環境もすごくいいなと感じたのでNTTコムラグビー部に入りました」
 
約3年間過ごしたが、日本代表を目指すという目標を叶えるため、プロ選手としてリコーブラックラムズへの移籍を決めた。

移籍してみると、チームカラーの違いがあったという。

「やっぱり、今年でいえばフィジカルとか泥臭さとか諦めないとか、1年目の時からそういうものをすごく感じていました。ミーティングの内容とかも全然違うんですよ。今までは戦術的なミーティングが多かったんですが、ブラックラムズでは、ここでもっと走ろうとか、ここでもっとフィジカルにいかなアカンとか、どっちかといえばマインドセットの部分、そういう自分たちのDNAは何かというようなところを大事にしているチームだなというのはすごく感じました。もちろん戦術的なミーティングもしますけど、チームによって重きを置いている観点というは、全然違うもんやなあと感じました」
 
「単純に一言でいえば、いいチームやなと思いました。みんなめっちゃ仲いいし、今でもファミリー感が強いと思います」

ただ移籍した2021-2022シーズンは、怪我人が多くて自分本来のポジションでないところでプレーしなくてはいけない選手がいたり、本来の力が出せなかったシーズンだったと振り返る。

社員選手からプロ契約選手へと変わって

「大きく変わったのは、家にもリカバリーをする部屋を作って、リカバリーに費やす時間が増えました。リカバリーチューブとかも置いて、自分の体と向き合う時間というのは増えたかと思います。ちょっとでも身体に異常を感じたら、チームでの治療だけでなく、個人的にも治療院とかに結構行くようにしてます。体のメンテナンスにかける時間を増やせているので、そこが一番変わったところですかね」

2022-23シーズンを振り返って

1年目のシーズンよりも、周りの選手や仲間とお互いのことをより知れた状態でスタートできたので、前シーズンより連係を取りやすくなったと云う。

「このチームが何を大事にしているか、DNAが何かということを確認するミーティングを繰り返してきました。自分がブラックラムズの選手としてどうあるべきか、チームのために何ができるかいうのを認識して入れたシーズンだったので、後半何試合か怪我でプレーできない試合がありましたが、充実したシーズンを送れたかなと思っています」

昨シーズンの自分自身のパフォーマンスを振り返って、いくつかの課題を抽出している。

「やっぱり自分ができることというのは、まずボールキャリーでしっかり前に出るというところ。スピードを付けて走り込んだり、ボールをもらう回数っていうのをもっと増やしたいなと思っています。来シーズンは、もっと積極的にボールキャリーをしていきたいと考えています。また、タックルの精度、パーセンテージをもっと上げたいと思っています」
 
「ブレークダウンで相手を越えていくことも、チームとしての強みです。自分はフィジカルを強みとしていますので、そこでチームに貢献したいなっていう思いはあります」

来シーズンに向けて

「特にトップ4のチームとの対戦の時は、1個のペナルティーとか一個のミスとか、そういうプレーが結局大きなワンプレーになったりするので、常に集中力を高く持って、精度を上げて、反則を減らすことが大切だと思います。
80分間しっかり精度高くプレーできたチームが勝つと思います」

池田個人としては、戦略的なキックの精度を上げることもテーマにしている。

「キックは、チームがゲームの中で主導権を握るために大事な部分になっていると思います。昨シーズンでは、12番のパクシー(※ハドレー パークス選手)がキックをよく使っていましたが、ゲームコントローラー以外のキックがすごく大事だと思っています。今日もこれからキックの練習をするんですけど、僕がキックのオプションにならないといけないと思っているので、キックはこのオフシーズンにも練習していきます。あとは怪我をしないように、考えたトレーニングをしていきます」

12番と13番でいえば、13番の方が好きだと云う。だが、チームから求められれば、ウイング等違うポジションでプレーすることも厭わない。
 
日本代表への想いに関しても訊いてみた。
 
「今年のワールドカップに出るというのは現実的には厳しいので、次の日本代表を狙うために、やっぱり今シーズンの目標としていたディフェンスの部分であったり、タックルの精度だったり、タックルして相手からターンオーバーを奪うようなプレーをもっと増やして、インパクトを残したいと思います」

ラグビーの面白さ

「やっぱり直接見てほしいですね。ラグビーって、直接観るからこそわかる面白さもあるんですよ。コンタクトのぶつかり合いの音とか、選手とかボールの動くスピード感とか、そういう直接観戦して楽しめる部分というのが結構大きいと思います。ルールはちょっと複雑なんですけど、そこまで深く理解してなくても楽しめるスポーツだと思っています。雰囲気とか、そういう直接観るからこその面白さも含めて、一回試合を観にスタジアムに足を運んでもらって、観て楽しんでいただければいいなと思います」
 
「今年は秋にラグビーワールドカップもあるので、テレビとかビデオとかも含めてラグビーも見る機会というのは多くなると思います。そこで興味を持ってもらったら、一回観戦に来ていただいて、生観戦するからこそ味わえる楽しさを感じてほしいなと思います」

皆さま、どうぞブラックラムズ東京の試合を生観戦していただいて、池田悠希選手にも大きな声援を送ってください。

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