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型に嵌まらない人生とラグビーと。WTB,CTB,FB / メイン平

生まれは九州宮崎。父がニュージーランド人、母は日本人。宮崎生まれの宮崎育ち、時々ニュージーランド。3歳からラグビーを始める。九州男児らしい無骨さを持ちながら、どこか飄々としている。父方のおおらかな気質を半分受け継いでいるのか、隙間の無い型に嵌められるようなことは好まないと見受けられる。縁が重なって、2020年にリコーブラックラムズ東京に入部。これまでのラグビー人生を辿ってみよう。

宮崎生まれ、時々ニュージーランド

「生まれは九州の宮崎です。父がニュージーランド人なので、ニュージーランドにはちょくちょく行っていました。5歳の時に1年ぐらい、小学校3年の時に半年、5年生の時にも半年行っていました。小学校の時は母親がなんとかしてくれて学校を休ませてもらって行っていました」と、事も無げに言う。

3歳の時にラグビー好きの父の勧めで近所にあった宮崎ラグビースクールに入り、そのまま中学卒業まで通い続けた。中学校にはラグビー部が無かったので、土日にラグビースクールに通って、平日は学校の部活で陸上をやっていた。

「ニュージーランドに行っていた時は、向こうでクラブラグビーをやっていました。日本では3歳でラグビーを始めた時からタックル有りだったのですが、5歳の時に初めて1年ほど住んだニュージーランドのクラブラグビーでは5歳以下はタグラグビーをやっていてタックル禁止でした。だけど、その頃はタグラグビーというものを知らなかったので、普通にタックルに行って怒られていた記憶はあります。相手チームから、『あいつタックルしてくるから気を付けろよ!』みたいなことを言われていました(笑)」

中学校時代は、宮崎ラグビースクールで一月に一、二回ぐらい、宮崎県内や九州の相手との試合に出場していた。中3の時には宮崎県大会を勝ち抜き、九州大会の2回戦で筑紫丘ラグビークラブジュニアスクールに負けてしまったが、筑紫丘はそのまま全国大会で優勝した。 

高校ラグビーで全国区に頭角を現す

「僕は、中学校卒業まで土日にスクールでラグビーをやっていたので、学校の部活は毎日練習があるし上下関係が厳しそうなイメージがあって、高校に行っても部活ではラグビーをやりたくないなあと正直思っていました。だから近くの高校に行きたいと思って探していたのですが、行きたい高校が見つからなかったというか。親からどうせだったらラグビーの強い高校に行きなさいと言われて、色々とご縁があって御所実業高校に行きました」

意外なことに、自ら積極的に望んだわけでは無い御所実業高校部活でのラグビー生活だったが、充実した3年間を過ごす事ができたようだ。また、ここでの縁が今にまで繋がっていくことになるとは、当然のことながら当時の本人は知る由もない。

「御所に行く前は、部活に対してネガティブなイメージを持っていましたが、先輩方はすごく優しくて、毎日の練習も結構楽しくて嫌な思いをしたことは無かったです。レベル的には、宮崎でやっていたので不安もあったのですが、実際にやってみるとそれほど大きな差は感じませんでした。試合には、1年生の時から出させてもらいました」

「高校1年の時には全国ベスト4まで行きました。準決勝でその年に優勝した東福岡高校と当たって2点差ぐらいで負けました。高校2年の時は怪我でラグビーができませんでした。その2年の時の奈良県大会決勝で天理とやって22点差を逆転するすごい試合をやったのですが、その時の天理のキャプテンが佐藤 康さんでした。3年生の時は今年アーリーエントリーで入ってきた山村勝悟率いる天理に県大会決勝で負けて花園には出れませんでした。同じくアーリーエントリーで今年入った青木拓己とは御所実業の同期です」

偶然にも今ブラックラムズ東京でチームメイトとなっている選手との出会いが始まっていた。

ニュージーランドでのクラブラグビー生活

「御所実業を卒業して某強豪大学の練習に参加する機会があったのですが、練習が毎日きつくて私生活も厳しかったので、それは自分には向いていないと思いました。それだったら小さい時から実際に行って経験したニュージーランドの環境でラグビーをやりたいと考えてニュージーランドに行きました。

僕は、ニュージーランドの国籍も持っているので、そんなに難しい話で無かったです。それで、ノースハーバーマリストというクラブに入りました。父の実家がウェリントンなのですが、父の友人が現地でラグビーのエージェント的なことをやっていて、その人に色々と相談しました。隣にはオークランドがあってすごい選手はみんなそこのクラブに行くのですが、ノースハーバーもラグビーが結構盛んだし、頑張ればオークランドのクラブにも行けるんじゃないかと勧められてそのクラブに入ることにしました」

最初の半年程はホームステイしていたが、食事が結構いい加減になったりしていたので、自分で料理を作って栄養管理もしっかりしたいと考えて、現地でできた友だちとルームシェアして住むようになった。だが、クラブラグビーをやりながら生活費もある程度自分で稼ぐ必要があり、ハードな毎日を過ごすようになった。

「ノースハーバーマリストは、ジュニア世代からいろいろなカテゴリーがあって、趣味でやっている人から上を目指している人までいろいろな選手がいました。クラブのアカデミーに通っていたのですが、シーズン中の練習は月、火、木にジムでの朝練習が5時から6時半でありました。それで水曜日の夕方はグラウンドでの練習です。それが6時半に終わってから7時から朝の3時までクラブのスポンサーの会社で仕事をさせてもらって、そのままクラブの練習に行っていたりしたのでマジでキツかったですね。日中眠すぎて、1日が長かったです」

「シーズン中の土曜日は、毎週試合でした。ちゃんとした休みが日曜日しか無かったので、キツかったですね。もうあの生活には戻れないです(笑)。クラブラグビーの選手はみんな大人なので、高校卒業したばかりの僕にとってはみんな大きいしフィジカル強いし、上手い選手もたくさんいたので、高校と比べてレベルは全然高かったと思います」

ノースハーバーマリストには約2年在籍したが、日々の生活が時間的にも肉体的にもハードで、どうしても栄養管理が充分では無かったので、ラグビー選手に大切な体を大きくするということができなかった。またもっとちゃんとしたコーチに指導してもらいたいという気持ちも日に日に強くなり、プロのチームに行きたいとの思いが高まっていった。

様々な縁が重なり、リコーブラックラムズ東京に入部

「2020年当時、リコーはハリケーンズ(※ニュージーランドの強豪ラグビークラブ)とパートナーシップを締結していて、選手をハリケーンズの練習に派遣していました。御所のOBとしての繋がりで、西辻さん(※西辻 勤ゼネラルマネージャー。御所実業(工業)高校ラグビー部OB)から『通訳としてついて欲しい』と誘われました。ハリケーンズは父の出身のウェリントンのチームで小さい時にすごくファンだったので受けることにしたのですが、現地で合流する直前に、ちょうどコロナが流行り出して日本からの選手の受け入れが拒否されてしまいました。それでその話は無しになってしまって残念に思っていたところ、西辻さんからリコーに誘われて、ぜひ行かせてくださいという気持ちを伝えて、プロ選手契約を結びました」

「アイザック ルーカス選手なんかと一緒のタイミングで入部しました。ピーター ヒューワットHCもその時はバックスコーチとしてでしたが、少し後に入ってきました。入ってみると、コーチングのレベルもすごく高くてプロフェッショナルな環境でいろんな刺激も多かったです。小さい頃からニュージーランドのラグビーをたくさん見ていたのですが、その時はエリオット・ディクソンという昔から知っている元オールブラックスの選手と一緒にできることがすごく嬉しかった記憶がありますね」

「入部した2020-21シーズンは日本でもコロナ感染が激しくなっていた年でしたので、規制が色々ありました。トップリーグ開幕戦はリザーブでしたが、その後はスタートから出ることも増えていってそのシーズンは公式戦全試合出場しました。ポジションは、センターかフルバックでした。出場できればどこでもいいのですが、やりたいのはやっぱりフルバックですね。自分はボールを持って相手を抜き去るプレーが好きだし得意なので、フルバックはそのシュチュエーションが多いので」

日本代表に選出されてからの自覚

2022年6月に日本代表合宿に参加。日本代表にそんなに早くなれるとは思っていなかったので驚きもあり、『やっとここに来れたか』という感慨もあったと言う。最初のNDS(ナショナル・デベロップメント・スコッド)の合宿では、若手メンバーが多く自分もやっていけるという感触を持った。その後にフル代表の合宿に参加した時は、リーチ マイケル選手など主力として長年活躍している選手の練習や試合への準備の姿勢に大きな刺激を受け、自らの行動も変えていった。

「例えば練習だったら1時間ぐらい前から体のケアやストレッチをやり始めたり、水分をどのくらい摂取するとか栄養の部分とか、夜だったら映像分析をして自分が足りない部分をチェックしたりだとか。行動全部がプロフェッショナルというか、『これがプロなんだな』と思って、自分にもいい影響を与えてくれました」

もう一度日本代表に選ばれるためには、早さや世界で戦える体の強さが必要だと認識している。また、ウィングで選出されるのは難しいと感じていて、フルバックやセンターであるならば、ユーティリティの必要性や、チームを引っ張って鼓舞するようなリーダー的な存在にならないと今の代表には呼ばれないとわかった。また代表の時のミーティングで、テストマッチではキックが試合を制すると伝えられて、自分自身のキックスキルをもっと伸ばさないといけないと考え、日々の練習でも意識している。

課題は増えたが、伸び代も増えたのではないだろうか。今後また日本代表として活躍する姿が待ち遠しい。

今シーズンのチーム状況について

さてブラックラムズ東京は、このインタビュー時点(2023/03/17)で12試合を終えて5勝7敗、6位。今シーズンの戦いぶりに関しては、シーズンを通してでも一つの試合の中でも、調子の波があるように感じる。それに関してはどう感じているのだろうか。

「チームに一貫性が無く、調子の波があることは自分たちでも課題になっていて、なんでできないんだってなった時に、毎週同じ準備をできていないからじゃないかって意見が出て、今ルーティン化して毎週同じことをやるようにしています。

多分ディフェンスの一貫性が欠けていたと思います。勝った試合はディフェンスがすごく良かったので、今はディフェンスに力を置いています。最近の試合(※直近の試合で3連勝中)はいいディフェンスができているし、いいディフェンスができると自ずといいアタックができるので。ディフェンスの部分を見直した結果が今出ているんじゃないですかね」

「神戸スティーラーズ戦とか、特に前半すごく良かったですよね。シーズンの最初の頃はどうしても入りで相手にすぐ得点されてしまったところがあったのですが、最近は入りが良くなったと思います。ただ規律の部分がまだあまり良くないので、反則はちょっとずつ減らしていきたいですね」

声援を力に

メイン平選手のこれまでの歩みを振り返ると、周りの意見を聞き入れながらも型に嵌らずマイペースで進んできたように思える。これからもきっと自分らしい道を歩んでいくことだろう。

ここで一つ忘れていたことがある。2020年にメイン選手がブラックラムズ東京に入部した時からずっとコロナ感染拡大の影響化でラグビーも行われて来たのだ。今ようやく出口が見えて来た。ブラックラムズ東京では、第8節から「声出し応援」が解禁された。メイン選手にとっては高校時代以来、久しぶりに日本の試合で声援を受けてプレーする喜びがあった。

「自分がリコーに入って試合に出るようになった時から、コロナの影響で無観客だったり声出し応援もずっと禁止だったので、静かなグラウンドが当たり前だと思って試合をしていました。この前の試合で、今年初めて声出し応援を聞いたので、これが声出し応援の感覚なんだっていうのを味わって、それが試合中すごく力になりました。応援してくださいというよりは、ファンの皆さんと一緒に戦っていけたらいいなって思うので、これからも一緒に戦っていきましょう。これからもっと会場に来ていただいて、皆さんの応援の声をもっともっと聞きたいです」

ファンの皆さま、どうぞメイン平選手に大きな声での声援をよろしくお願いします。(※声出し応援をされる場合は、マスク着用を忘れずに!)

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