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日本に来たら原因不明の病気が治って、初めてラグビーと全力で取り組めた。 LO / ロトアヘア ポヒヴァ大和

ポヒこと、ロトアヘア ポヒヴァ大和選手の生まれ故郷であるトンガの、一番の人気スポーツはラグビー。トンガの普通の男の子は、物心つくとラグビーを始める。ポヒも周りの子どもたちと同じくラグビーを始めたが、原因不明の病気に悩まされて、本格的にラグビーのトレーニングを始めたのは、日本に来てからだという。朴訥とした語り口の日本語で、自らのラグビーライフを解き明かしてくれた。ラグビーに導かれての、今の日本での生活に至るまでのポヒの歩んできた道のりを辿ってみよう。

お兄ちゃんたちがラグビーをやっていたから

トンガでのポヒヴァ大和選手と弟のアマナキ大洋選手

8人兄弟の6番目に生まれる。同じくブラックラムズ東京に所属するナキことロトアヘア アマナキ大洋選手は7番目の実の弟である。

兄たちがラグビーをやっていたので、5、6歳の頃に自分もやりたいと思って始めた。
 
「トンガでは、日本でいえば野球みたいに普通の男の子はラグビーを始めます。トンガで一番人気のスポーツは、ラグビーです。例えば、バスケットボールとかオーストラリアンラグビーとかフットボールとかある中でも、一番人気なのはラグビーでした」

その頃やっていたラグビーは、友達の子供たちとタッチフットをやっていたりで、遊びの延長だった。
 
「お兄ちゃんの試合を見ていて、自分も本格的にラグビーがやりたくなったのですが、その頃自分には何か病気がありました。それでドクターからは、ラグビーをやらないようにと言われていました」
 
原因は本人にも家族にもわからなかったが、夜寝ると、そのまま体が固まって震えがきてしまうような症状が出ることがあったのだ。だから本格的にラグビーをやることはできなかった。

「自分の中では、いつかやりたいな、やりたいなって思っていました。11歳の頃に、ラグビーをやりたい気持ちが爆発して、もう自分で学校のラグビーチームに入ろうとしたんですけど、コーチからドクターストップと言われてしまいました。だから、練習には少し入れてもらっていたけど、試合には出られませんでした」

 「普段は自分でも調子悪い感じはなかったんですが、寝ている時に急に体が固まってしまって、大人でも止められないぐらい震えがきてしまうことがありました。たけど、起きている時は普通に生活できていました。夜たまにそういう状態になることがあったんです。なんでそうなったのかは、今だにわかりません。はっきりした病名もわかりません」
 
その病気は、17歳で日本に行く直前まで続いていた。

日本に来るきっかけ

16歳の時に、日本の正智深谷高校がトンガでトライアウトを行った。正智深谷高校は何年か前からトンガでトライアウトを行い、合格したメンバーが日本の高校ラグビー界で実績を残していた。そこにポヒはチャレンジした。だがその時は、まだコーチからきちんとラグビーのトレーニングを受けたこともなかった。

「自分の通っていた学校のラグビーコーチがトライアウトが行われることを知っていて、自分の同級生たちを呼んで、トライアウトを受けてみないかと誘ってくれました。それがきっかけでした」

「そのトライアウトでは、言われたことにリアクションすればいいのかなと勝手に自分では思っていました。トライアウトを受けることは、親には内緒でした(笑)。終わってから伝えました」

その時行われたトライアウトの内容は、グラウンドを2周走ったりウェイトリフティングをしたり、フィットネスとフィジカル等の基本的な能力を測るためのテストだった。

「結果としては、走る方は悪くなかったのですが、ウェイトのテストは断トツ最低の成績でした。みんな40kgぐらいのウェイトを40〜50回ぐらい上げていましたが、自分はたったの8回でした(笑)。ウェイトのトレーニングはやったことありませんでした。日本に来てからやり始めました。でも、体は細いし体重もそんなに無かったから、走ることは得意でした」

その頃、身長は190cm近くあり、体重は70kg〜80kgだった。

正智深沢高校のトライアウトが終わった後に、その高校のコーチが日本に戻ってから合格したことを親に電話で伝えて、親はポヒが日本行きのトライアウトを受けていたことを初めて知った。

「トライアウトに合格したので、日本の高校に行きたいということを親とたくさん話し合いしました。親は、最後まで『その体で行って大丈夫なの?』と心配していました」

ポヒが初めて海外に行ったのが、日本だった。

「日本のことは全く分からなくて、日本なのか、中国なのか、どっちかっていうと、日本と中国って同じ国だと思っていました。映画でよく見ていて、同じように見えました。よく映画に出てくるスターたちが、日本人なのか中国人なのと分からなかったです。アジアだというのはわかるけど、日本と中国の違いはわかりませんでした(笑)」

来日して高校に入った時、トンガのドクターからもらった診断書を大きな病院で提出して、再度診察してもらったが、ラグビーには問題ないという診断結果を得た。

日本に来て以降、何故かは今だにわからないが、トンガで悩まされていた症状は出ていない。
 
そして、そこから安心して本当にラグビーを全力でやり始めた。

日本の高校生として、ラグビーを本格的に始める

そのトライアウトで、ポヒともう一人が日本に行ったが、その選手は日本の生活が合わなかったのか途中で帰国してしまった。

正智深谷高校には、2年生にふたり、3年生にひとり、トンガの先輩がいた。

「マジ大変でした。一番大変だったのは、やっぱり練習ですね。自分はトンガでは練習したことが無かったので、他の人がやっている練習を見てキツイなと思っていましたが、日本での練習はトンガの練習とは比べ物にならないぐらい大変でした。毎日たくさん走って、ほとんど休みなしの3年間でした」

寮生活で暮らし、週に2回日本語の授業があった。クラスメートも日本語を教えてくれた。クラスにはサッカーの選手や野球の選手もいた。

「高校生活は、楽しいというよりも大変でした。日本に来た頃は日本語が話せなかったので、いろんなところに行きたくても行けませんでした。高校3年間は、言葉の問題でコミュニケーションがうまく取れなかったので、あんまり楽しめなかったかなと思います」

1年生の時には花園に出場できなかったが、2年生と3年生の時は花園に進むことができた。

埼玉工業大学入学

来日するにあたって、正智深谷高校は埼玉工業大学の付属校であったので、高校と大学の7年間の学生生活が約束されていた。

大学でも寮生活だったが、高校2、3年生の頃にはもうだいぶ日本語もわかるようになってきたので、大学に入ってからは、行きたいところにも行けるようになった。

「ラグビーも実生活も楽しくなってきました。その頃、ラグビーの国別ランキングでは、日本よりトンガの方が上でした。その頃トンガは8位〜10位ぐらいでしたが、日本は12位〜15位ぐらいだったと思います」

大学ラグビーは、高校とはレベルがちょっと違うなと感じた。

「スキルとかパワーとかの厳しさは、高校よりキツイなと自分の中では感じました。大学は2部リーグにいましたので、1部に上がることがターゲットでした。ただその壁はなかなか超えることができませんでした」

ポヒの代では、1部との入れ替え戦に2回出場したが、結局1部に上がることはできなかった。

大学1年生の時には、初めてセブンズの日本代表にも選ばれた。

2012年、リコーブラックラムズ入団

トライアウトを受けて、リコーブラックラムズに入団。親に伝えると、『良かったね。これからが始まりだよ』と言われた。その頃すでに、来日7年になっていたので、ポヒが離れて暮らしていることに親もだいぶ慣れてきていたのかもしれない。

「チームの最初の印象は、みんなフレンドリーだなって思いました。ファミリーを大切にしている文化が、その時からありました。チームにはトンガの先輩がいましたが、日本人の先輩たちにも色々助けてもらいました。本当に入りやすかったです」

セブンズの大会にも何度か出場した。香港セブンズや東京大会の他、トップリーグのセブンズの大会では優勝したこともあった。

そして、2016年に日本人女性と結婚して、日本国籍を取得した。

今と、これからのこと

「日本には、まずは家族がいて、食べ物もおいしいし、都会だし、暮らしやすいです。将来のことはまだ考えていませんが、日本に残ることは考えています。ラグビー選手生活を終えた後のことはまだ決まっていませんが、選手をやりつつ考えているところです」

ラグビーをできるだけ長くやりたいが、引退後も日本に残りたいと話す。

「2年前のシーズンで怪我をして、復帰まで1年以上かかってしまいました。今、体は大丈夫です。来シーズンは、昨シーズンよりいい状態で入れると思います」

「来シーズントップ4に入るためには、まずディフェンスをもっと良くすることが大切だと思います。それと勝ち切らなければならないところで、勝つこと。あとたとえ負けても1ポイントでも取っていくこと。それができればベスト4に入れると思います」

ブラックラムズ東京が行っているホームタウン活動にも積極的に参加してくれて、小学生にタグラグビーを教えたりもしてくれている。

「子どもたちと触れ合うことは、楽しいですね。タグラグビーを教えてあげたり、それがきっかけで自分のことを応援してくれたり、行って良かったと思います」

「自分の子供も、最近やっとラグビーに興味が出てきました。何回かラグビーの練習にも行って、試合にも出られるようになりました。ブラックラムズのアカデミーにも空きが出れば、入れてあげたいと思っています」

「自分の中では、自分が選手としてやっている間に、トップ4に入ったり優勝を成し遂げたいと思っています。
 
いつもサポートしていただいているファンの皆さんには、ホントに感謝の気持ちでいっぱいです。その気持ちを伝えたいし、これからも応援していただければ嬉しいし、また頑張れます」

ポヒこと、ロトアヘア ポヒヴァ大和選手は、試合でのハードワークぶりが想像できないほど普段はシャイで優しい。ファンの皆さま、どうぞポヒヴァ大和選手に応援よろしくお願いします。

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