ネタバレありのシンエヴァ感想

ネタバレ防止も含めて最初は雑談から。

1万字超えたよ。

生まれて初めて公開日に見た映画が、最後のエヴァンゲリオン。

思えば、生まれて初めて、2回同じ映画を見に行ったのもTHE END OF EVANGELION AIr/まごころを、君に、だった。
1回目は父と一緒に観に行き(父が見にいきたいと行ったので)、
2回目は確か最終日に1人で観に行った。
どちらも渋谷で観たのだけれど、最終日は殆ど入っていなくて、広い映画館に数人だった思い出がある。父と2人で映画を見たのも、初めてだったし、その後は無かった気がする(家族みんなで映画を見ることは何回もあったけれど。)

今回のシンエヴァは、上映時間も長いし、妻や子供(7歳と2歳の娘)と一緒に観にいく、ということもないので、1人で観にいくことは決めていた。
上映時間が長いので、休みの日を潰して、というのも、家族のことを考えるとイマイチと思った。
それで、平日のレイトショーかな、と思っており、こっそり見に行くよりは、と、正直に妻に相談したところ、初日のレイトショーに快く送り出してくれた。

幸い、当日の席予約でもそこそこ席は空いていたので(前から2番目ではあったけれど)、夕食を作りーの、娘たちをお風呂に入れーの、で20時頃家を出発し、映画館に到着した。

レイトショーでも、コロナ対策もあると思うが、斜めの上映スケジュールを組まれて複数のシアターでシン・エヴァを上映していた。映画館に着いた時には上映終了後の人たちが歩いていたので、思わぬネタバレをくらわぬように、ノイズキャンセリングイヤホンで、エヴァのサントラ聞きながら、パンフレットと飲み物・ポップコーンを購入した。

前から2番めで視聴で、見上げる形ではあるけれど、子供の頃から案外前の方の席も嫌いじゃないし、面白かったので、ストレスなく最後まで視聴できた。

さて、ネタバレありの感想。細かいセリフの正誤だったりはご愛嬌ということで。


徒然なるままに。








<これまでのエヴァンゲリオン>

本編でもやるんかい、って思わず心の中でツッコンだが、劇場で、しかも近場で見るとディテールが見えて違った見え方があった。

L結界のふわふわ浮いている赤い粒子も見えて、近づいちゃイカン領域、というのが映像からも感じられた。これこそ劇場の醍醐味だなぁ、と思った。
(後日アマゾンプライム内のこれまでのエヴァンゲリオンをiPadで観てみたが、粒子は、はっきりはわからなかった)

Q編では、アスカが背景が青いエントリープラグ内でうずくまっているカットが追加されていた。Airの、ジオフロントの湖内の弍号機内でのアスカを彷彿とさせるカットだった。これも、ラストの旧劇からの解呪の布石だろうか。
Qの最初のバージョンのブルーレイでは、このカットは無かったと思うので、その後のバージョンで追加されたのだろうか?

<アバン>

予告をぶっ飛ばしての、14年後の世界に飛んだQのことがあったので、0706作戦のアバンとも全く違う、ということも覚悟していたけど、杞憂だった。
スタジオカラーなどのタイトルバックの効果音が、ウルトラマンの変身音だった破・Qから、マリの鼻歌になっていた。これも、シン・エヴァのラストを示唆していたんだなぁ。破、Q、シンエヴァのスタートは全部マリの鼻歌だったな。

全般通して、音楽と映像のリンクが一番いいなぁ、と思ったのはアバンの戦闘シーンだった。ハンドクラップ入ったフラメンコのような音楽だったり、ボスキャラ登場シーンだったり、封印柱開放時のDecisive battleのアレンジだったり(これもギターはフラメンコっぽい)。

0706作戦のアバンの音楽のハイレゾ版サウンドトラックを思わず買ってしまうほどこのシーンの音楽はかっこいい。ここの舞台がフランスだからか、海外を感じられるようにということなのかな。
 

その後の音楽も色々バリエーションには飛んでいたし、情報量は凄いのだけれど、音楽とのリンクがそれこそ一コマ打ちレベルで合わせていたような今までとはちょっと違っていて、背景で流れている、正にBGMという感じだった(というかちょっと音楽の音量が自分の印象では小さく感じた)。
→追記:楽曲のアレンジャーが鷺巣さんじゃない人によるものが思ったよりも多いのかもしれない。ここはサントラのライナーノートを早く読みたい。

イノセントのオーディオコメンタリーで押井監督が言っていたのだが、
劇中でキムの追いかけっこのシーンを省略したところの解説で、「映画は2時間を超えると変わる、2時間を超える時は、こういうシーンで膨らませる」というのものがあった(イノセントは約90分、これまでの新劇場版もだいたい90分前後で2時間は超えていない)。
その言葉を聞いて以降、上映時間も映画の大事な要素なんだなと意識するようになった。
今回のシン・エヴァの上映時間が2時間30分、と発表されていたところから、今まで切っていた行間の部位も膨らませていく映画になるんだろうな、と予想した。
プラス、説明的なところも多いけれど、今回の映画はセリフを聞かせたい、という意図が強かったのかなと想像する。
音楽的な充実度でいうと、やっぱり「Air/まごころを、君に」のサントラの密度はすごい。

アバンでは、相変わらず異形のエヴァが登場して、この後も、こういうのがバンバンでるのかな、と楽しみにしていた。結局は、最終決戦までシンジの立ち上がりの物語だったので、戦闘シーンについては、最終決戦までおあずけだった。まあ、ドンパチだけを見せたい映画ではなかった。

封印柱開放したところはゼルダのシーカータワーを思い出した。0706作戦で見た時は、各地を開放していく物語になるのかな、と初めて見たときは思ったけれど(ゲーム脳的)、そこはあったとしても省略するところだな、と思い直したし、補完計画を阻止する物語なので、ある意味メインミッションじゃないから必要な物品回収だけに留めたのだろう。

「必ず見つけに行くからね、わんこくん」

がこの映画の始まりであり、ラストシーンにつながる。

0706作戦で初めてみた時に一番違和感というか、お?、と感じたセリフがこれだった。まあ思い返せば、破の時からマリはシンジに対して、好意的でフラットだったし、大事なところでの分岐点は全部マリ(破でのゼルエル戦の加持の役目だったり、Qの最後13号機から助け出したり)だった。
距離感も一歩引いて(体の距離は近いけれど)対話するので、シンジにとっては良い相手なのだと思う。ちゃんと目を見て、話してくれるしね。

<タイトル〜オープニング>

ああ、今回はオープニングがあるんだ、尺があるから。オープニングのあるエヴァは、DEATH以来じゃなかろうか。
TV版から旧劇、新劇含めて一番美しいシーンと感じたのは、Qのラスト。
赤い大事を歩いていく3人と、そこからの桜流しの流れが凄い良くて、Qを何回も見てしまう理由としては、ラストシーンが美しいからだった。

シン・エヴァでは、3人の道中で何か物語があるのかな?と予想していたが、オープニングと音楽でそこはサラッと流すんだなと、少し残念。
ただ、背景は美しかったし、繰り返しになるがL結界の粒子の表現などは圧倒だった。
そういえばコア化は風の谷のナウシカの腐海を想起させる。どちらも大地を浄化させる過程であるから。コア化した大地に生きていけるシンジ達はナウシカ達作られた新人類と同じ、仕組まれた人間、というのを狙って設定を組んだのは考えすぎだろうか?仕組んだ旧人類(シンエヴァ言う所の神)のレールを外れる、というラストも同じだ。


庵野監督の名前が出た背景が「止まれ」っていうのが意味深だった。

<第3村>


声、で誰かわかるのはやっぱり大事。昔ほど声の特徴がすごい声優さん、というのが少なくなってきた気がする。最近のアニメも食わず嫌いしないで見るようにしてきたので、最近の声優の方々の違いも少しずつわかるようになってきたけれど(最近といっても中堅だと思うが)、やっぱり特徴あるのは大事。
防護服を着ていても、ああ、ケンスケが迎えに来てくれた、と声だけでわかる。

トウジが医者というのも、なんとなく腑に落ちる感はあった。

どの予告だったか忘れてしまったが、シンジがたどり着いた先で希望を見る、という一文があり、映画マトリックスのザイオン的な集落がきっとあるんだろうな、とその時想像した。ただ、繰り返すがQのことがあったので、すっかり疑心暗鬼になっていたので、今回の第3村の描写はずいぶんストレートに表現するなぁと驚いた。
(シン・エヴァは通して、いい意味で予想を裏切らない、を貫いていて、それも含めて解呪、というような映画だった)

トウジ達のセリフは説明的ではあるけれど、シンジは何も知らないのだからその説明的なセリフも別に自然だった。Qの初視聴の時、シンジと同じ、何が何だか和kらない感覚にさせられたけれど、14年経った、この設定に関しては本当に見事だな、とつくづく感じた。

Qで配給されたトウジのシャツに対してシンジが「ちょっと大きいかな?」っていうがあった。今回、トウジのジャージを着てみてもやっぱりちょっと大きい描写がある(中学生時代、シンジよりもトウジの方が身長は高い)。
ニアサード後で、物品は大切にしていくのだろうからとっておいたのかな、とか、破での避難している時のトウジ、ヒカリの服装はジャージ・制服だったな、というのも思い出したりと、想像を膨らませる。
Qにおいて、トウジと書かれたシャツは絶望を感じる一つのアイテムだったけれど、今回のジャージは希望になる。

ヒカリの声をちょっと年上に作っていたのは、お母さんだからかな、と。声変わりする男性よりも、女性の方が大人に描かれている気がした。

「お、大将や」とケンスケのシルエットが映った時、一瞬、加持さん?と思ってしまった。お酒、も貴重品だろうに、シンジに会えてよっぽど嬉しかったのだろう。

食料が大事、というのもセリフで伝えるし、ヒカリの親父さんも、怒るべき所をちゃんと伝えるのはいいよね。

「意外だろう?中学の時は喧嘩ばかりだったものな」、というトウジとヒカリの結婚についてケンスケが語っていたが、視聴者目線では、「当然だろう?」と思ってしまったが、シンジ目線では確かにそうか、と。アニメ版は、足が無くなるとはいえ、結ばれているような描写があったが、その後は描かれてなかったので、トウジとヒカリの物語も幸せに至っていた。

ケンスケのハウスに先客だ、とアスカがいたのはそうか、とこの時点で想像が膨らんだ。肉体関係については、あろうがなかろうがどっちでも良いけれど、まあ、ないんじゃないかと思う。

アスカが真っ裸で、「どう?私の裸よ」というのはちょっと嬉しそうな声(シンジがドキドキしないかちょっと期待しているのか)に聞こえた。

なんというか本当にQからのアスカは無頓着で達観している(シンジには頓着しているけれど)。
あえて自分の裸を見せてみても、シンジの反応が破の時代とは変わっていて、アスカにとっては喜ばしくない出来事。それに関しては、アスカは諦めに近い境地になってしまっている。

アスカのケンスケに対しての、ケンケン呼びはなかなかおもしろかった。
ケンスケは、中学クラスメイトの中では一番と言っていいほど、包容力というか優しいやつ、と思っていたので、自分は嫌いじゃない。
なんだか、今回のカップリングのことがなくても、TV版から、ケンスケをあいつはオタクだから、エヴァに乗りたがるから嫌い、みたいな貶めるじゃないけれど、そういうコメントを見ることもチラホラあって、うーん…って感じることもあった。なので、今回のケンスケの描き方は好きだ。大人加持っぽい、というのは意図的なんだろうか。

夜のシーンで、アスカは寝られないんだなぁ…、というのが印象的だった。これもエヴァの呪縛なのだろうか。
DSSチョーカー、アスカにもつけられているのか、驚いた。確かにQから通して、プラグスーツをずっと着ていたから首元見えるのはこれが初めてだった。
アスカとのやり取りは、ひたすらアスカがきつい言葉をシンジに浴びせていくに至る。叱咤している点もあるのだけれど、正直立ち上がらせよう、とはあまり考えてないのでは。まごころを、君に、の首絞めシーン直前のやり取りを思い出す。
それで、シンジが真っ向から返して、ひどいことをしてしまった、というのが旧劇の首絞めシーンに至ってるのか、と。今回は、アスカに対してシンジは真っ向からはきつい口調では返してはいない。

エヴァは庵野監督の私小説、というのはよく言われているが、アスカとのやり取りに関しても、そういう男女のすれ違い、というのは想像というよりは、庵野監督の実際の経験によるものなんじゃないかな、と思う。自分としては、妻との恋人時代の泥臭い口喧嘩とか思い出したりした。
レイションを突っ込むシーンはCGなのか、やたら躍動感のあった。何が辛かったのか、言えるようになっただけ、旧劇と比べてアスカも成長してるなぁ、と(14年経ってはいるのだけれど)感じた。

<第3村の朝>

ケンスケはどんな日でも6時起床、というのは毎朝5時45分に起きている自分と重ねた。

田植えシーンは、最近プレイしていたサクナヒメを思い出した。
段々畑、というかある土地を無駄なく使っている背景がとても綺麗だった。

パリ編でも感じた所だが、本当に美術背景が綺麗。前の方の席だからこそ、書き込みがすごいのもよく見えた。
ラストシーンの実写へ空撮への自然な移行もそれが生きていると思った。

シンジの家で先の旧ネルフ支部で、何気にペンペンまで登場させたのは、本当に、今回、全部網羅させるなぁ、と思った。

雨のシーンは、となりのトトロの雨のシーンをなぜか思い出した(スタッフロールでそのまんまとなりのトトロ、と出てきたのはびっくりしたけれど、トトロ見返して、またシンエヴァを見たいな)。

綾波(ホクナミ)が子供に教えられるシーンがあったが、実生活でも娘と接していて、子供に教えられる経験は本当に少なくない。

拾ったものは返す、というのも後のゲンドウとの対決・対話の上で大事なテーマだなと思った。
ホクナミはポカナミの願いを紡いで、シンジを導いているんだな、と思った。ちゃんと食事置いていくレイも優しい。レイションを頬張る食事音が、泣きながら食べるときの情感こもっていて素晴らしい。シンジの泣くシーンもすごい良かった。

その前後くらいに流れてた、歌のボーカルはLORENだった?かな(旧劇のTHANATOSのボーカル)。歌詞はわからないけれど、THANATOSのような内向きの歌詞ではなくて、もう少し明るい歌詞なんじゃないかって思う。この辺りも、旧劇との対比だと思う。


ホクナミの名前を考えてとシンジが言われ、どうすんだろう?って色々ごちゃごちゃ考えていたけれど、まあ、アヤナミしかないよね。綾波タイプの改良型が式波タイプ、なのか、どうなのか。
ポカナミも、ここでしか生きられない、って破でのモノローグがあったから、ネルフの調整がないと、同じような運命を辿るのだろうから、初期ロット、なんだとは思う。
アドバンスドアヤナミシリーズって後で出るけれど、人間的、というより真逆の非人間的な方向に走っていくようだから、式波タイプとはきっと思想が違うのだろう。
中学の制服のリボンを止めるシーンがこんな序盤で出るのか、と予想が外れた。
シンエヴァの展開の自分が想像していた一つに、パリ編の封印柱の解放のように世界を復興させていって、最後要塞都市で父と対決して、それをアスカが遠くから見ていて、対決後、また中学に通うようになって、というような展開を想像していた。アスカの遠くから見ているシーンも、第3村で出てきてので、その結末はないな、と途中で思い直した。


「これが涙?」のシーン、どうしても綾波を描く上で大事な要素、なんだな。
その後の、稲刈りしたいとか、ツバメ抱っこしたかったとか、切なすぎるなぁ…。
最後の髪長綾波が拙いツバメを抱っこしているのも、なんともやりきれない、心が揺さぶられた…。

加持リョウジ(息子)の声は、見た目もなんだかバナージっぽかったし、スタッフロールに内山さんの名前があったので納得。浮きすぎない、というか違和感ない感じだった。

綾波の消失だけでなくて、トウジだったりケンスケだったり友人の言葉も結末への後押しになっているのだと思う。
トウジの、助けられない命もある、その悲しみや苦しみを引き受ける、自分のやった落とし前は自分でつける、というのは、脳外科をしている自分としても、そうだよな、と実感湧く言葉だった。
ケンスケの父と話せなかった、というエピソードも、シンジがゲンドウと対話する事、に向けての後押し。

シンジの個人の物語、としては第3村でほぼほぼ完結していたような。
あとは、周囲の人々の物語と、ゲンドウとの対決に向けての話だった。

Qも旧劇も、シンジの物語だったので、その対比になっていた。


<ヴィレ乗艦>

「これ、規則だから」、とためらいなく麻酔銃を打つアスカは本当にドライだ、戦士。

サクラの叱咤のシーンは、女房か、というアスカのツッコミにちょっと笑った。
TV版でディラックの海から戻ったシンジに抱きつくミサトを見て「叱るんじゃ無かったの?」のシーンを思い出した。

マヤの声は、Qと比べて(というかQでは最初のこれだから若い男はのセリフくらいしか無かった?)以前のマヤとの地続き感があった。特にリツコに対してのトーンや、オペレーターとしての声はそのまんま。命令の時は違うトーンに聞こえる。

日向のミサトさんへの言及もあったけれど、旧劇のような恋焦がれ、というよりは、加持さんとのお子さんもいて結ばれた後ではあるし、尊敬する上官なのだろう。シンジに対して、ニュートラルなのは変わりない。「ニアサーは結果だ、彼の意思じゃない」と諭すセリフがカッコいい。

ミドリ(であっているだろうか、ピンク色髪)は、ガンダムSEEDでいうところのシン・アスカ。ニアサーの時、シンジよりも更に子供だったろうし、その後の世界の地獄、という記憶が強く残っているのだろう。

アスカとマリは共同部屋だった。エヴァパイロットはシンジだけじゃなくて、みんな危険、とみなされているのだな、と。マリも描写は無かったけれど、DSSチョーカーつけてるんだろうか。
マリは、全方向性の愛、とアスカとのやり取りを観て思った。きっと、マリにとってアスカもいい匂いなんだろう。貞本エヴァのExtraStageを読んだ時、マリは女性を好意の対象とするのかな、と誤解したが、性別に頓着がないんだなと解釈し直した。
アスカのやっているゲームは、もろグンペイだったな、そういえば。ワンダースワンの起動音の伏線(?)も回収された。

スイカのくだり、しっかり出てきた。各生命の種を保存、というのは破の施設を加持がシンジ達に見学させたのにもつながっていた。加持は宮崎駿か、と。
人類、ということだけに頓着しないところとか。破の冒頭でフランクに話していたが、そのあたりもマリと思想がちょっと似ているところがあったんだろうか。

ミサトとリツコのくだりで、ニアサー前後の補完。
サードインパクトを止めるという偉業を成し遂げたけれど、「結果、彼はここにいない」、というセリフに女性が垣間見える。夫の死は吹っ切れたけれど、息子リョウジに対しての母の役目、ということだけがまだ引っかかっているところなんだろうな。
情動で動くとろくなことにならない、ミサトを甘やかすとろくなことにならない、というのは、信頼関係ないとなかなか言えない。でも、リツコは案外誰に対してもそうだっただろうか。情動で動くと、のところはそれこそニアサーのことか。それだけじゃないかもしれないけど。

冬月の補完計画への下準備の説明での、アドバンスドアヤナミシリーズ、のくだりを聞くと、アドバンスド、と言っても、もはや人間でなくて、人形になってしまっていた。
ゲンドウと冬月の別れのシーンは、「冬月先生」ではなくて「冬月」、だった。敬語でも無かったし。ネルフ誕生のエピソードは最後まで殆ど描かれないからその影響か、もしくは、まだ旧劇のゲンドウは若かった、ということか、もしくは、ネブカドネザルの鍵の影響か。
冬月の目線での、行動原理が、見終わった今も、まだちょっとわからない。
南極を視察していた時は、カオスの方を望むよ、と語っていたのに。

マリがアスカの髪を切るシーンや、ミサトの出港シーンの時などで「カオス」という言葉が印象的に使われていて、カオス無き浄化された、という南極との対比になっている。

バンダナのくだりで、ヴィレはネルフからの反乱軍だったというのをしっかり言及。

プラグスーツを着るシーンで、アスカとマリの並んでいる位置が、カヲル側にマリがいるからマリが死亡する、という説を唱えていた人がいた。視聴中には、「死装束だもの」、とアスカが言ったことが頭に残り、その後の使徒化のくだりで、死亡はアスカの方か?とモヤモヤした。

シンジとマリのちゃんとした会話は初かもしれない。目隠しのヒントの、屋上が牧場と聞こえて、巨乳というワードと繋がった自分は非常にアホかもしれない。

アスカ目線では、シンジとの大きな思い出は弁当なんだなと。弁当のあとは、3号機の時は何もしなかったくせに、綾波の時はニアサー起こすくらい助けるつもりで必死になった、というのは、好意を持っている相手の行動としては非常にショック。なぜアスカが怒っているかの解答に自分でたどり着いたシンジも良かったし、自分でたどり着くまで待っていたアスカも良かった。なぜ怒っているか自分で考えて欲しい、というのは妻との喧嘩でもよくある。
その上で、アスカは、「好きだったかもしれない」、と過去との訣別をして、決戦に挑む。

一方、マリ目線では、シンジはいい匂いのする、よくやってるし、いいやつじゃん?っていう。なんというか、元カノの友達とくっつく、というのは案外あったりする。

<南極のネルフ本部へ>

ブンダー出航後、放たれた生命の種はタンポポの種。

惑星大作戦に関しては元ネタを知らなかったけれど、曲調から、おおうまた引用かいな、という感じだった。死闘に向かうところなのだけれど、軽快な音楽が相まって、ミサトの声も心なしか楽しそうに聞こえた。マヤの声も昔のオペレーターの声に戻ったように感じたし。

大量のエヴァエヴァエヴァに関しては、ネブカドネザルの鍵?の産物なのかなとその時は想像していたが、黒き月の産物なのだろうか。

アダムス=ブンダーということが明かされた。確かにQでもMark9はブンダーの本来の器って言ってたものなぁ。破版のQ予告でのゲンドウと冬月の登山は、アダムスの器探しだったのかしら。

大量のエヴァ2発目がMark10(エヴァオップファー)だったと思っていたので、急に頭蓋骨エヴァが出た時はびくっときた。

アスカマリの2人のATフィールド重ねの特攻は、トップを狙え、を思い出した。

次に異形エヴァに関しては、ついに手だけになりましたか、と。確かに気持ち悪いしうざい感じがよく出ていた。

<旧ネルフ本部>

13号機到達後はAirを彷彿とさせる要素がたくさん。
「これで、おしま・・・いー!」、は「これでラストー!」を、13号機に反撃喰らうところは、ロンギヌスの槍が刺さったところを思い出した。アスカの悲鳴も、会えてロンギヌスが刺さった悲鳴と似せてるよな、と(パンフレットの後書きには鳥みたいのに食べられたりとかそれよりはマシですと宮村さんは語っておられた)。

テレビ版から劇場版前半はシンジの叫びがエヴァの特徴だったと思うが(旧劇を見に行った父もシンジくんは叫ぶよねとよく言っていた)、シンエヴァに関しては、アスカが激昂していた。

13号機のパイロットは、アスカのオリジナルとゲンドウが乗っていた、ということなんだろうか。それとも、アヤナミシリーズの1人が乗っているのか?
ゲンドウは乗っている、というか捕食されて同化、という感じだったし。ユイの大学時代の写真の右側の女性が、メガネかけているからマリ?みたいなことがあったけれど(個人的にはマリじゃないと思っている)、あの女性がアスカのオリジナル?そのあたりはちょっとよくわからない。

しかし、その後、アスカは躊躇なくDSSチョーカーを発動させたりと本当に戦士。
アスカは旧劇含めて、エヴァの敢闘賞だなと、つくづく。なかなか報われないのがきついけれど、今作はそれは迷わずに突き進んでいるけれど。

2号機の上半身が吹っ飛んでくるところも何気に、旧劇と同じような損傷具合。
2号機も今回のシリーズでは何回も吹っ飛んでいるから同じく敢闘賞。

ゲンドウを発砲するのは、ミサトかシンジか?と予告を見た時点で予想していた。ただ、思えば旧劇含めても、ゲンドウとの因縁といえば、リツコだよな。今回愛憎的な要素は殆ど描かれていないけれど。まあ、何かはあったんでしょう。
ネブカドネザルは、ハガレンでいうところの真理的なものか。
ゲンドウのビジュアルや十字ビームに関しては、貞本エヴァの耐性があったので、それほどはびっくりはしなかった。どちらかというと、わしゃがなTVで声優の中村悠一さんが、今回の新劇場版ってほんとに喋んないんだよ、TV版って思ったよりもしゃべってるんだよ?って言っていたけれど、ネルフ本部到達後は、ゲンドウがよくしゃべる、ということの方が驚きだった。

旧劇版とか何回も見ると、エヴァは言葉で実はかなり説明している(言葉じりが難しい言い回しなので、なかなか理解しづらいのだけれど)。ゲンドウとミサト、リツコの対面で結構大事なことを言っていたと思うんだけれど、断片的には理解できるのが、なかなか噛み締められない。
結局のところ、小難しいことをゲンドウは言っていたものの、ユイに会いたいだけ、というエゴを突き進んだ、という行動原理は旧劇と同じ。違うのは、旧劇の補完の中心はシンジだったけれど、今回はゲンドウだった。「お前が拒否した全てが一つになった世界だ」みたいなセリフがあったので、ゲンドウは以前の補完の行く末を知っている。
生命の実を食べた使徒を殲滅した後に、知恵を失う、というくだりはよくわからなかった。痛みも悲しみもないけれど、喜びも楽しみもない世界にする、という。

そうじゃなくて、痛みもあるけれど、続けていく、というのがヴィレの目的。で、シンジの目的としては、父と、自分のやったことの落とし前をつけること。

シンジを止めるにあたり、ミドリは純粋に憎しみだけれど、サクラは自分と街を守ってくれたという恩人なのだけれど、ニアサーの仇、という少し複雑な構造。
2人も含めてだけれど、みんな腹を割って話せるようになっていて、ちょっとずつスッキリしていく。

ミサトが腹を打たれるのも、最終的に爆死するのも、シンジを送り出すのも旧劇と同じちょっとずつ違うけど。旧劇で父が一番いいと言ったシーンは、シンジとの別れのシーンで、自分も何度見ても良いと思うシーンだ。

<マイナス宇宙へ>
ほぼほぼゲンドウのくだり。

迎えに行くよ、というマリと、待ってる、というシンジ。
その言葉のやりとりだけで、ラストシーンに繋がるのはいいんじゃないかと。

髪長綾波はちょっとびっくりしたが、初号機に残っていたんだなと、破とも繋がりが見えて、だけれどシンジも成長しているからな。
マヤのシンクロ率無限大は完全に前のマヤのトーンに戻っているよな、と。なんだかんだで、シンジが戻ってきてみんな徐々に14年分を取り戻しているのだろうか。

「レイ、もういいのか?」というのは、ちょっとまだよくわからない。シンジをエヴァに乗せないための努力はもういいのか?ということだろうか。
対比としては、旧劇版での「もういいの?」とシンジに語りかけるユイ。親から子供へのメッセージ。

初号機VS13号機に関しては、第3新東京市のミニチュアに関しては、まあマイナス宇宙だしな、ということで理解できてしまう。自己内面だけに至ってしまっていたが、他者との邂逅をそれを成り立たせるのに必要な舞台だったのかな。

ミサトの部屋は流石におおおう、と面食らったけれど、その他の舞台は、まあ、クロノトリガーのラスボス戦とかみたいなことだろうかと考えた。

ラストバトルは、敵方から「暴力では私は止められないし、それでは決着されない」と諭されることで終わるという。最初っからゲンドウ話せや、という。まあ、必要な儀式ならしょうがないか。そして、つくづくシンジを初号機パイロットと呼ぶという。

ゲンドウがイマジナリーに囚われた人類で、旧劇のシンジとゼーレを足し合わせたみたいな感じ?

補完計画発動のCGレイは異様だったけれど、ミドリのやっぱり変!というのは観客と同意見である。マヤはその位置ではなくなったし(これだから、若い男は(ハート)だし)。

エヴァインフィニティが全部女性の体、というのはまあ、還るところ、ということか?

オップファーは、生贄的な意味で、というか8号機強すぎだなぁ。

LCL化したのは、冬月だけだったが、結局のところ、希望に囚われた、で、ゲンドウにそれを重ねた、と。ユイとの邂逅に関しては、冬月自身はそれほど望んでいなかったのだろうか?やっぱりよくわからない。
イスカリオテのマリアくん、は劇場では聞き取れなかった。そういうあだ名で呼ばれていて、イスカリオテが裏切りで、裏切り者だけれど、マリアのように多方面へ愛を振りまく人で、愛されていたんじゃないかなって想像したりする。

ブンダーのミサト1人での発進は、単純にカッコイイ。髪を下ろしたのも良かった。

何を願うの?の問いかけの先がゲンドウで、テレビ版、旧劇版のシンジの位置が完全にゲンドウだった。
そこで、テレビ版後半から旧劇版で死ぬほどリピートされたBorderline caseが、多分だけれど、新劇で初めてくらいに流れた。

ゲンドウのモノローグで、ピアノ好きは自分とも重なった。イヤホンとピアノかぁ・・・。どっちも自分大好きだなぁ、と。いや、よくわかりますよ、ゲンドウくんの気持ちも。
ユイの死は、今回に関しては本当に事故、ということで良いのだろうか。旧劇版は、最後の最後でエヴァは永遠に生きていけます、という割となんとも言えないラストではあった。そこだけ切り抜くと非常に美しいのだけれど、ゲンドウの目線で立つと割と、うーん、なんというかかなり辛いよなぁ、と。

諸人こぞりてでミサトさんが突入。最後の言葉が加持くんじゃなくて、息子のリョウジ、というのがまた違うところだ(同じ名前だけれど、思い描いているのは息子の方だろう)。そういえば、いわば2人の息子(シンジとリョウジ)が肩を並べた写真を見たときは本当に嬉しかったんじゃないだろうか。

ガイエスの槍、いやヴィレの槍と。一瞬ヴィレってなんだっけ?て思ってしまった自分はおバカ。

ミサトの思いをちゃんと受け入れられるようになったシンジに対して、ちゃんと大人になったな、と言えたゲンドウも父だな、と感じた。

夢のスキマは、ほぼほぼ原曲のままで流れたと思う。旧劇の楽曲で大好きな曲の一つで、頑張って耳コピしたものだった。ゲンドウを送り出す曲になるとは。
「すまなかった、シンジ」、も旧劇と比べて実感こもってたな。

でそこから、テレビ版の25話のような、それぞれの補完をちゃんと時間を使って行う、と。シンジの物語、というよりはシンジが狂言回しの位置になってそれぞれの物語を進めにいくと。

予告の冬の季節であろうニット帽を被った子供は、概ねの人の予想通り、アスカだった。式波シリーズ、ということで、ユーロネルフのクローン計画、ということなんだろうが。漫画版の設定のように、パパはわからない(精子バンクなので)、ママはいない(死んでしまった?)というので、オリジナルと平行して多数のクローンが作られた、ということか。選別の中では、割と地獄を見てきているんじゃないだろうか。幼少期のシンジと邂逅果たしていて、イイなぁ、と、子供の目線で。自分も娘に出来うる限り愛情を注ごうと、そう思った。
ケンスケが出てきたのもなかなかシュールではあったけれど、包容力あるやつがいいですよ、アスカはきっと。
そして、その後の旧劇のラストからの解呪が本当に、見事だったなぁ。
プラグスーツ旧劇と繋がりを持たせるとしても破れすぎじゃない?と思ったが、エヴァの呪縛から解き放たれて、成長したからはちきれたんだ、という考察があって、また見るときはそこにも注意してみよう。
そして、好きだったよ、と伝えるのは、思春期の憧れへの別れとして、清々しい。新劇版の中では、はっきり言ってシンジがアスカに女の子として惹かれるシーンってあまり描かれなかったような。初めて近い年代の異性で裸を見た相手?というところか?まあ、シンジが本当にそう思っていたのならそれで良いのだけれど。それでも赤面してしまうアスカは本当にシンジが大好きだったんだね、と。Beautiful Worldの一人称はゲンドウが今回のシンエヴァではっきり入ったけれど、アスカも入ると思うのだ。

カヲルに関しては、バックの楽曲「アヴェヴェルムコルプス」にまず、よくぞ選んでくれたな、と。合唱曲で、第9と一緒にアンコールとして演奏されることもあって、自分が学生時代にのったオケがまさにそのプログラムだった。
シンジを支えようとしたカヲルだったけれど、シンジの成長を見せるための相手、というところもあったと思う。涙で救えるのは自分だけだ、というのは確かにね、と。自分を救うことはできるのだから、泣けない人に泣かせてあげる、というのも他者からの優しさかな、と考えたりした。

13号機がカヲルのエヴァ・・・ということは、式波シリーズのオリジナルと、もう1人のパイロットはカヲル、ということ?

カヲルのターンも結構重要そうなことをばばばっと言ってしまっていたので、もう少し噛み締めたいところ。渚の意味あいをさらに付け加えたのは見事。
渚司令、については大分不意をつかれた。加持と話しているのは、彼岸の向こう、ということか、と考えたりはしたけれど。生命の書についてもいうと、ゼーレに近いのかな、と考えたりしたが、まあそこはまた暇があったら考えよう。

レイに関しては、、本当にツバメの拙い人形が切なすぎる。
エヴァに乗らないようにする、という願いを、自分がエヴァに乗ることで叶えようとするレイをエヴァをなくすことで解放する、と。
テレビ版も含めて全部のタイトルバックの演出も旧劇を思い出す。ただ、スタジオの背景は旧劇よりもなんだか温かみのある色合いだったような。

ユイと邂逅して、ゲンドウの望みが別れを伝えることだったと。神殺しというのは、たった一つの願い、ということなのだろうか。

旧劇と異なるのは補完の中心がゲンドウというところだったけれど、補完を止める、という表現が合っているのかどうかわからないが、再生に至る決断をするのはシンジで変わりない。
インフィニティが人の形を取り戻すのも絵としてしっかり描いてから、シンジ自身の世界は徐々に線に近づいていく、という演出へ。これはテレビ版の最終回。テレビ版で目を覚まさせるのはアスカだったけれど、今回はマリが迎えにいくと、カラーが戻る。

そして、駅のプラットフォームへ。


あの「ハッ」と目が覚める演出は発明だよなぁ。最悪話をたたむためには夢オチも覚悟していたけれど、似たような演出ではあるものの、そこに至るまで膨大な量のセリフがあったので、投げやりには感じず。エヴァパイロットのみ描いて、声が違うけれど、マリにちゃんとシンジくん、と言わせることで、そこも曖昧にしないところが良かった。DSSチョーカーは千と千尋の髪留めだったり、夢と現実の狭間を繋ぎ止めるアイテム。旧劇版はシンジとアスカの顔の造形は殆ど同じなのだけれど、そこから男の目になったというコメントもあったけれど、そこはまた見るとき気を付けてみよう。

永遠と乗っていた電車を下車し、駅から外の世界へ飛び出す。

階段を登っていく動きはまた独特の動きだったなぁ。

駅名は知らなかったけれど、きっと山口のどこかだろうと思った。というか最初、実写の空撮と気づかなかった。それだけ本編中の背景美術が素晴らしかった。そして、海沿いの工業地帯へ。途中のゲンドウパートだったり、カレカノの有馬の幼少期風景だったり、庵野監督作品で見慣れた風景。

エンドロールは余韻を噛み締めながら作った人たちの名簿を。

合唱の中で高橋洋子さんがいたり、キャラクター原案でちゃんと貞本さんの名前があったりしたが、大人シンジの声がわからなかったので、声の出演のところで、何かと見ていって、神木隆之介、いや絶対これだと。個人的な意見としては最後の最後にはっとさせるという意味では良いかな、と。


かなりの情報量だけれど、見やすくて、疲れなかったし、レイトショーだけれど眠くならなかったし、なんとも言えない多幸感に包まれた。

旧劇も、序破Qもどちらかというと無駄を削ぎ落として、凝縮させた映画なので、シンエヴァに関しては完全に別タイプの映画。とはいえ無駄な時間で引き延ばしている、ということではないのだけれど。序破Qがベートーヴェンの運命のような古典派の交響曲とすると、シンエヴァに関しては、ロマン派のブルックナーとかそういう巨大な交響曲というイメージ。ラストシーンの美しさだけに限ると、Qが一番好き。

ということで、視聴後のざっくばらんな感想。

気が早いけれど、次回作が楽しみ。まずはシン・ウルトラマンか。


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