正しいとは何か

世の中は優秀な者、愚かな者、にわかれる。優秀な者は群れない。群れる必要性がない。我が優秀なる部分を磨くのに忙しい。
愚かな者は群れる。精神が満たされておらず、同じ仲間と群れ、同じ痛みを分かち合うことで自分だけじゃない、とか、みなとおなじだ、とか、多数なんだ、とか、そういったことを確認しあって充足感を得るのに忙しい。愚かな者は磨くべきものを自分の中にもっていないから、時間はたっぷりある。その全ての時間が、満たされない精神を仲間と確認し合うことに費やされる。

愚かな者は得体のしれない根拠を持ち出す。普通の基準、一般人の基準。こういった基準と違うからと言って、優秀な者をこき下ろす。誹謗中傷するのである。それは、彼らにとって大切な心の充足の儀式である。

誹謗中傷に負けてはいけない。

あなたが異端ではなく、妬み、嫉み、誹謗中傷する側の心の充足のために誹謗中傷は行われている。誹謗中傷は、あなただから起きているのではない。誰にでも起きるし、誹謗中傷するものは誰にでもしたいのである。誹謗中傷は個人に向けられた言葉に見えるが、これは誹謗中傷したい者が自分に都合よくつくった言葉であり、あなたを表していない。あなたを理解したあなた向けの言葉ではない。

誹謗中傷は、される側よりも多く存在する誹謗中傷したい側の身勝手な都合で勝手に他人を巻き込んで行われる自身の傷ついた心への癒やしの行為のため、消えることはない。目的は誹謗中傷ではなくて、自身の傷ついた心への快楽の提供であるため、そこに反省はない。

誹謗中傷に中身はない。相手にするな、我が道を行け。

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