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自由と思考停止について

 今回は殴り書きとなりますが、自由と思考停止について思うところを書き綴っていきます。まず、自由には二つあると考えます。
 一つ目は「〜からの自由」で、制限や束縛・苦痛・抑圧などの、何か封じられているものから解放されるという意味での自由です。これは、今までできなかったことができるようになるという、選択肢が増えるということなので前向きな自由とでも言えるのかと思います。
 二つ目は「何でもいい」という意味の自由です。こちらはどちらかというと、後ろ向きな自由と言えます。確かに、何でもいいというのは、何にも縛られていないということにも捉えられ、良い意味でもあるのかもしれません。しかし、これは日常の会話の中で持ち出されると見方が変わると考えます。文字だけの情報で「何でもいい」というのと、人同士のコミュニケーションでの「何でもいい」というのは意味合いが変わるということを伝えたいです。以下のように意味合いが変わると考えます。

①文字だけの情報で「何でもいい」・・・制限がない、縛りや条件・前提がない
②日常会話での「何でもいい」・・・興味がない、決定からの逃避、思考停止

ここでタイトルの回収ですが、②での「何でもいい」の自由はある種の思考停止にもつながる可能性があると考えます。②での「何でもいい」ということは、対象の物事について、何も興味がないので考えていない、思考するエネルギーがないから自分で考えを持たず決定できないことにつながると考えます。
①の「何でもいい」は良い、②の「何でもいい」は悪いと、分かりやすくするために一刀両断してみました。

では、日常で①の「何でもいい」をどのように使うかというと、言葉の表現を工夫することが一つの方法です。
会話をしている相手に対し、場面によるとは思いますが以下の通りに伝えると良いと考えます。

①「何でもいい」・・・「どれにしても良さそうね」:◎
②「何でもいい」・・・「どれでもいいよ」:△
③「何でもいい」・・・「なんでもいいよ」:×

「どれ」という言葉を用いることで、ある程度範囲が絞られているので相手の話に寄り添っている感じがあると思います。「〜でも」という表現は、相手の言われた通りで良い、選択肢のうちどれか一つに決めるのが難しいけど切り捨てるのは違う、という受け身であり後ろ向きな意味合いを持つと捉えております。

これまで「自由」の種類と「何でもいい」の説明をしてきましたが、このことから私が気をつけている点があります。会話のなかでなるべく「自由」という言葉を出さないことです。もちろん自由が良くないという否定ではなく、表現の工夫として「自由」という言葉を出さないということです。なぜ「自由」という言葉を出さないかというと、「自由」という言葉を言うことで、抽象的な表現となったり、本当に制限がないのかという疑念を沸かせたりするので、思考が整理されにくいという思い込みが私の中にあるのだと思うからです。相手から私に「自由」と言う言葉を聞く分には何も問題ないです。あくまでも、私→相手や周囲の他者のコミュニケーションでの話ですね。

以上、自由という言葉に対して考えていることを述べました。言葉の意味合いについて考えるきっかけになれば幸いです。
それでは、また。




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