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黄色い血のお話

街角でよく見かける献血車。
いつも血液が不足しているという印象しかありませんが・・・(^_^;)
まぁ、確かに血液というのが合成的に作れない以上はそうした献血に頼らざるをえないのでしょうが、今から40年ほど前までは、血液は献血するものではなく売るものでした。

いわゆる売血というもので、血液を常態的に売る人が少なからず存在しました。
常習売血者です。

私が子供の頃、献血というと薄暗い病院でコッソリと行われているそんなイメージでした。
実際、当時の病院というのは薄暗くてそれでいて、赤い電球が余計に不安感を煽るような雰囲気があってとても嫌でした。
元気なものでもそこに来ると生気を抜かれるというか、そんな雰囲気があったものです。
実際中央に廊下を挟んで両側に病室なりを設けた建て方が多いので自然とそうなるのでしょうが・・・。

まして、血液を売りに来るのは、日雇い労働者と言われた人たち、働く代わりに血を売るわけです。
普通に働くよりも高収入となれば、働かずに売血するという、そんな人が居ました。

昭和30年代には結構盛んに行われていたようですね。

今日はそうした歴史を語るつもりはないし、皆さんに献血に行きましょうと強制するつもりもありません。

ただ、私は自分のできるささやかなボランティアとして献血を行っています。
先に記したように、献血というのは売血のイメージが強かったことと、血を抜かれることの恐怖?みたいなものがあって中々踏みきれませんでした。

転機が訪れたのは20歳の時、警察学校で集団献血するということになり、有無も言わさずそのまま献血車に・・・それが初めての経験でした。

太い注射針にちょっとビビりながら、はい男性は400ml限定です・・・有無をいわさずてきぱきと。

気がつけば、献血車のバスの中。
そうしてしばらくすれば、血が抜かれ始めて軽く気が遠くなるような間隔に・・・そのまま意識を失って‥‥・なんてことはないない。
そんなことをぼんやりと考えていたら、お疲れ様でした。

優しい声で看護師が終わりを告げる。
そうして生涯初めての献血は終わったのですが、それから34年、途中で献血から遠ざかっていた時期もありましたが、今から20年ほど前かな郵政局で人間関係に悩んでいたときにふとしたことから献血を再開、献血手帳が紛失していたので最初からの献血となったけど気が付けば献血回数が100回超えていた。笑

つい先日も、献血してきたのですが、いつも何も出来ない自分ではありますが、一人でも貧者でも出来るささやかなボランティアと思って参加しています。

多分今後も、献血可能な年齢までは献血に行くんだろうなと自分ではぼんやりと思っています。

だって、献血することで一人でも多くの命が助かればいいじゃないですか。
もちろん、血液製剤などが相当高額な商品としてやり取りされていることも知っていますが、命の値段はお金ではないですしね、それに何より、「情けは人のためならず」ですから。

あと献血に関して興味のある方は、今も見たら当時の売血に関する記録を書いたwebサイトがありましたので紹介しておきます。

今日は変な内容になってしまいましたね。(^_^;)

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/9043/baiketsu/index.html

佐久友朗 著

売血 若き12人の医学生たちはなぜ闘ったのか

という記事で、現在では電子出版での再販も可能かと思いますが、幸いな事に現在全文をwebで読むことが出来ます。

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