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餘部橋梁物語 第9話 知事 上京編 第1夜

みなさまこんばんは、本日も更新させていただきます。
いよいよ、兵庫県知事が動き出すこととなりました。

国鉄本社に、文書を送ることとなったのです。
さて、さてどんなお話が次に出てくるのでしょうか?

> 秘書課長が作成した、文書を若干訂正した後浄書し、陳情文は国鉄本社に送られることとなりました。
> さて、次回は国鉄本社でのお話となります。
> 乞うご期待?

文書を郵送後、知事の指示で秘書課長は、国鉄本社の秘書課に訪問の日程について伺いを立てていることでした。

当時の国鉄は今以上にお役所的でした。というのも、元々は国鉄は「鐵道省」と呼ばれる役所だったため、戦後運輸省が発足して、形式的には運輸省の管轄下になったとはいえ、元々は同じ組織だったので、力関係では 国鉄>運輸省の図式が成り立っていました。

そんなわけですから、全ては文書文書で動いており、いきなり電話して会えると言った時代ではなかったのです。

さて、そんな紆余曲折を経て知事の陳情の予定も決定しました。

来月の7月11日午前11時ということで時間も決まりました。

当時は、新幹線はありませんから、東京への旅は夜行列車で行くか一日かけて昼間の特急で行くかしか方法はありませんでした。

現在であれば、朝8時の新幹線乗れば11時までには東京に着けるわけでそう考えると当時の旅は大変だったと言えます。

訪問日程が決まったこともあり、秘書は状況のための切符の手配を始めたのでした。

時刻表を調べてみると、上手い具合に急行銀河が神戸始発であり、2等寝台車【現在のA寝台車】が連結されていました。

知事は早速、書生に命じて切符を買いに行かせると幸いなことに、個室上段下段の二つを確保することが出来ました。

これで出発の準備は整ったのです。

さて、この日記を見ていただいている方にはつまらない話と思いますが、ここで少し脱線して「マロネ40」と言う寝台車のお話を少しだけさせていただきたいと思います。

この車両は実は、1等寝台車として昭和23年に製作された車両で、当時では珍しい冷房装置を備え、かつ二人用個室が三部屋、開放式寝台【急行銀河に最後まで連結されていたA寝台車と言えば判ってもらえるかな?】が設けられた豪華な寝台車でした。

桜の木を使ったニス塗り仕上げの車内は豪華で、その内装は現在の車両と比べるべくもない豪華なものでした。

さて、出発当日、大きな責任を胸に感じながら知事一行は銀河の乗客となるのですが、このお話は明日以降にさせていただきたいと思います。

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