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餘部橋梁物語 第16話

昨日は、駅の設置が決まったところで終わっていたと思います。

> 餘部駅は、停留所(列車行き違いのための交換設備を持たず、かつ駅員の配置がない駅として設置が認められ。これからは事務レベルでの話合いとなりました。
> 兵庫県知事は、話がこれほどスムーズに進んでいるとは思いもしていませんでした。
> しかし、「好事魔多し」と昔から言いますが、駅設置に際して思わぬ問題が出てきたのです。

本社では、総裁の鶴の一声と言ってよい形で設置が決まった餘部駅ですが、設置に際して困難な問題が生じてきました。

それは、実際に工事を行う際の見積もりを取るべく福知山鉄道管理局に調査を依頼していた内容が送られてきたからでした。

その内容は、以下のようになっていました。

①当該地域は、三方を山、一方を海に囲まれており、線路の傍まで山の斜面が迫っていること。

②山が線路の傍まで来ているため、駅のホーム設置は困難であること

③仮に設置できたとしても、大型の機材を搬入することは困難であること。

④実際に、この地域では餘部橋梁を渡って鎧駅まで行く旅客があることは鎧駅の 駅員から確認しているので事実であること。

報告を受けた本社でも、これには頭を悩ませてしまいました。

大型の機械等を搬入できなければ、たとえ小さな駅であっても作業員の数を増やさなくてはならず結果的に高い工事費が跳ね上がってしまいます。

しかし、餘部駅の設置は決まったことですので、これは止むを得ないこととして進められることとなりました。

 文書による餘部駅設置伺いと平行して、駅設置のための設計書が作成されました。

計画によると、列車2両分が停車できるためのホームを設置【余裕を見込んで45m】とし、ホーム中間付近に雨露を凌ぐための待合室を設置することが決定しました。

なお、ホームは当時の基本的な手法である石と盛り土によるホームであり、客車の停車を想定していないので、線路面から1010mmの高さを持つ汎用ホームの高さが選択されました。

また、兵庫県知事宛には、以下のような文書が準備されました。

兵庫県知事殿
                   日本国有鉄道
                    総務課長

     山陰本線餘部駅設置について【通知】

             記

標記について下記のとおり決定したのでお知らせします。

工事名   餘部駅新設工事

期間    昭和33年11月1日~34年3月予定

完成予想図 別添図面による

この文書は、餘部駅設計図などの文書とは別に作成されて、即日発送されたのでした。

季節は、すでに秋の声が聞こえる9月になっていました、さて、この文書を受け取った兵庫県知事は、ちょっと粋な計らいをすることになりますが、この続きはまた明日の夜にでもさせていただきます。

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