最低な場所にいること

毎日が土砂降りでぬかるんだ泥の中で、足をもたつかせて凍えながら過ごしているのが当たり前になると、晴れの日の存在を知ってはいても、多少の雨や水溜まりの中で過ごすぐらいのことは土砂降りの中よりもマシってなるんだろうな。
目の前に存在しない太陽より、今自分が少しでも濡れない方がいいって思うんだなぁと。

数年前。
その時わたしは対して嫌なわけでもきついわけでもないけど、ちょっと辞めたいなぁって思う仕事をしていた。正直しんどかった。
しんどくて、なんとなくぼんやり、滝行や座禅や写経とかをしてみたいって思った。
思ったので、一週間の休みを取って京都の寺に座禅修行に行った。
その一週間はひたすら寺の中に引きこもるように過ごした。
私が行ったお寺には毎日昼食後から夕方まで、たっぷりと休憩時間があって、大抵の人は観光に行ったり、町に出たり、買い物に行ったり、近場のコンビニに行ったりしていたらしい。
大抵の人は二泊三日の修行だったので、ほとんど毎日入れ替わりで人が入ってきた。一日を過ごすごとに出会いと別れがあった。
中でも一週間、二週間、一か月以上の人、若い長期修行者兼スタッフも多くいた。
幾人かと話をしたが、スタッフは用や買い出しも込みだろうが、みんな休憩中は外に出るようだった。
私は出る必要がなかったので一歩も寺院からは出なかったし、それを苦だとも思わなかった。
「よく平気だね」
「ストイック」
という言葉をもらって、そういうもんなのかと思っていた。
一週間の滞在を終え、下山した時は帰るのが本当に嫌だった。
でも、それなりにきつい修行をしたと感じていたし、また新しい気持ちで仕事を頑張れると思った。その時は。
翌日、一週間ぶりに仕事に行ってみたら、全然そんなことはなかった。
お寺の方が楽しかった。修行の方がつらくなかった。
また修行に行きたいと感じるばかりだった。
結局、そのまま仕事は辞めることにした。

辞めるまでの間もずっとお寺での修行の日々を思い出しては自分には向いているのかもしれないなんて思った。スタッフになれる気はしなかったけど。

でも、仕事を辞めて数年。働くのを辞めた私はお寺の修行のことを思い出すことはあっても、再び行きたいとは思わない。また修行をしたいという風に考えることもない。

現在私は生温いぬかるみの中にいる。

そのぬかるみが心地いいので、ゆったり浸かっていたいと思っている。
とても甘えた、生温い温度の中でゆるく生きていることに気づいたけど、その甘えた環境に感謝しながら許されるその日まで生きていたいなぁ。

よくわからないんですけど美味しいもの食べます!!