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物書きは皆、人に読まれたい…という話。

建前や弁護は置いておいて率直にまず言いたい。

私は感想が欲しい。

記事のタイトルは主語が大きかったと思う。
あくまでも一般的にというか、そう言う人が多いと思う。という話であり、個人的にどうかはその物書き個人によるでしょう。

ただ私の知っている人の大半の創作者は、大抵誰かの反応を求めている。
創作者じゃなくてもそう。
ネットで個々を開示する人の多くは、他者承認を求めているんじゃないかと思う。積極的に求めてはいなくても、人から褒められたり、認めてもらえることは嬉しいことだし、有難いことだ。珍しいことでもある。
珍しくない人には何てことないことなのかもしれない。
だから珍しくて嬉しくない人には、喜んでいる人にとってはそういうことが珍しく、嬉しいことなのだということを知って理解してもらえたらいい。

他者欲求を求める人には、『自分語り』と呼ばれることを多くする人間も多い。私もその部類だ。
同時に、『自分語り』をする奴は嫌われやすいという話もある。
私も他人の『自分語り』を聞くのは得意じゃない。一つ前の記事でも書いた気がするが、私は人のする自分が興味のない話を聞くのは苦痛に感じるからだ。
この感情は矛盾する。
ただ矛盾しているとしても、私にとって〈そう〉なのだから仕方がない。
どちらも私の中にある感情なので、私にできることは自分語りを控えるか、吐き出して嫌われるかだ。
私は、ツイッターの呟きやここの記事を見られて嫌われるのは本音でしかないので仕方がないけれど、通話や対面で相手につまらない顔や空気を出されるのは嫌なので出来れば避けたいと思っている。失敗することは多い。失敗して嫌われたならまぁそれはそれでそれも仕方がないと思うしかない。
なんにせよ嫌われるのは嫌だが、嫌われるときは嫌われる。ただ腹が立たないとは言わない。

私は創作文も、このようなわりとどうでもいい私の思ったことも、ツイッターも、おそらく『自分』を知ってもらいたいという欲求によって行っているのだと思う。
ただこれは、「自分と言う存在を遺したい」と思っているのとは多分違う。
仮に私が死んだとしたら、私の存在のことや創作物のことは忘れて欲しい。絶対に残さないでもらいたいし、できれば死ぬ前にデータごと部屋を焼き切りたい。ネットの海に流れた物も自動消去されるようなシステムも欲しい。私が死ぬまでに研究開発をよろしく頼みたい。

はい、ここまで自分語り。関係のない話になりましたね。こういうことですよ。

戻します。戻しても自分語りなので、文体は引き続きですますです。

最初に私は感想が欲しいと書きました。でかい字で。目立つように。
そう書きましたがそれは 感想をくれ と言いたいのではないのです。
頼んで、強制して、もらった感想も嬉しいです。多分、おそらく、かなり。結構。相当。

この辺の「感想欲しい」の感覚はだいぶ人によると思うので、感想を送りたいなと思う人がもしいたら、もしかすると注意がいるかもしれません。
私は注意がいる方のタイプで、私なら私には感想を送りたくないと思います。

私は感想も欲しいし、反応も欲しいし、閲覧数も気にする方です。
気にしたくないと思ってはいますし、気にしてもしなくても同じではありますし、気にしないふりはしたいけど、めっちゃ気にしています。
ただめっちゃ気にしてると言った後に反応が一気に来たりすると「慰めならいらないよ」と思うめんどくさいタイプなんです。ほんとうに。
創作家やオタクは似た者同士で集まることも多いのですが、それはニッチな趣味や趣向の感覚を共有したいからだと思うんですね。

交流の一番の近道って「自分から声をかけること」じゃないですか。
だから、感想も反応も自分からすれば返してもらえる場合が多いんですよね。お返し文化というんですかね(言わない)
めっちゃ性格悪いこと言うんですけど、私はもともと性格が悪いので、失礼だなって思ったらどうぞ黙って立ち去って下さいね。

noteでもらえる反応でもそうですけど、

小説投稿サイトもnoteでも(特に後者)、反応をくれた人の大半は自分の記事を見てもらいたいからなんだろうなって思う。

自分がそうやって思うから、自分が人の作品や記事に反応して、した後にその書き手から自分の記事や創作文に反応が【返礼】されるとちょっとだけ悲しい気持ちになる。
そんなつもりじゃなかったのにって思う。
相手の気持ちは知らないけれど、知らないから読んだのか読んでないのか、いいと思ったのかとりあえずあったからなのかもわからないけど、わからないから、なんだかがっかりしてしまう。
これは私の個人的に「そう感じることがある。」というだけの話なので、する側は委縮しないで欲しいし、私のに反応したくなくなったというならそれはそれで当然の感情だと思うから構わない。

ただ返礼が嬉しくないわけではない。
有難い気持ちも大きい。本当に。返礼しなきゃって思う気持ちはとても嬉しい。律儀な方だなって思う。
同時に申し訳なくもなる。手間をかけてしまった気になるからだ。
ただ、私ももらったら返してしまうので殆ど習性だよねとも思う。
自分にとって習性だから、他人からもらうものも習性なんじゃないかと疑ってるのかもしれない。今後自分の感情を観察して、わかったらまた書きたい。

えっと、さっき私は「創作も雑談も自分を知って欲しいから書く」と書いた。
それに嘘はないのだけれど、もしかしたら矛盾するのかもしれないが、私は私の『自分語り』と『創作』は別のものとして見て欲しいと願っている。
『自分語り』とはツイートやnoteの今書いているような『雑談』に設定してるマガジンの記事のようなことだ。

自分と創作は絶対に切り離せない。
創作の中には自分の思考や思想、趣向が必ず入る。それはどうにもできない。できる人もいるとは思うが私はできない。やってみようとも思わない。
だからこそ、私の『発言』と『創作』は別に見てもらいたいと思っている。
言い方をなんだか意識高く言うと、別で評価されたいのだ。
借りた言葉で言うと、「私の性格は嫌いでも私の創作は嫌わないで下さい」だ。
いや、でも私のことを嫌いから入ったのならもう私の創作のことも嫌いでいいですけどね。うん。しょうがないよね。私も嫌いな人の創作好きになれないし。
でも作者嫌いだけど作品は好きってこともあるからさ……わかんないですよねその辺はね……。

戻す。
私は『創作(文章)で評価されたい』
どっちも好きって言ってもらえるのが理想だけどね!!!!!
でも、自分の感情交えた垂れ流しのまとまった考えもなくダラダラ書いてる文章なんてどこで地雷踏むかわからないから作品好きだよって思ってくれてる人がいるのなら読まないでくれって思う。居ないと思ってるから書いてるみたいなところはあるんだけども。
いないと思ってるからマガジン分けただけで書いてるのか、やっぱり自分語りも好きになってもらいたいから書いてるのか、普通に考えたら後者だと思う。だって同じとこに書いて公開してんだから。
ただこれには別の理由もある。
分けるのがめんどくさい。
これだ。
まぁまぁ全部ということでもいいです。思った理由にしといてください。

でも私がnoteで創作文を公開するのは、「小説投稿サイトを覗かない層の目にも留まったらいいな。」という打算です。

あと、これは今さっきこの記事を書いててアップデートされた情報なんですけど、私が呟いたり、noteの雑談マガジンにこういう話をするのは、「私を知ってもらいたい」もあるんですけど、『「私が私を知りたい」もあるんだな』です。

書きながら、私は「私がした反応に反応を返してもらう」ことや「私がもらった反応に返しに行く」ことはあっても、わざわざ返礼をもらうために反応を残したり、読まないのに反応したりすることはないので、あんまり気にしなくてもいいのかもしれない。と思いました。作文!!

何が言いたかったのかわかんなくなってきた。
違う人もいるのかもしれないけど体感と体験で
「反応」「感想」「読者」「閲覧数」
って欲しい人が多い。
多いから余計に欲しがってる人も、「読みます」「感想書きます」「反応します」「繋がりたい」が増えるのも致し方なしだし、そういう気持ちになることもある。
あるけど、欲しがってもらった感想より、何気なくもらった感想の方が嬉しいから、「お返し」に負担を感じるならやらなくていいよって、言いたかった…………???

違うな…負担を感じることがあるからしたくないって言いたいのかも。だから、私が何気なく感想言ったり、反応したりしたことにも「お返ししなきゃ」って思わないでくれたら嬉しいなぁと思う。
そのうえで、何気なく誰かが「反応」をくれたら嬉しいし、そうだと思えたら嬉しい。って言いたかった。


無条件で褒めて欲しいとか、褒めるから褒めて欲しいとか、みんなで褒め合いましょうとか、見かけるし良い文化だとも思うけど、少しだけむなしくて心が苦しくなる。
参加したい気持ちと、「本当に嬉しいか?」という気持ちでしんどくなる。

理想は高いしハードルも高いし、おそらくきっと私には無理なんだろうとは思っていても、できれば「気に入った」と思ってもらえる人に見つけてもらって、「反応したい」「感想を書きたい」と思ってもらいたい。
誰かの目にふと留まって「いいな」と思ってもらえる。あわよくば「よかった」って言いたくなるものを、書けるように頑張りたいなー。


追記

よく見たら省略されてるところでスキ押せるからやっぱ読まない人もいるんだろうな。

よくわからないんですけど美味しいもの食べます!!