プリキュアを語るためには、どこから語ればいいのか―『HUGっと!プリキュア』―月野うさぎとは、何ぞや?

はぐプリ~ひろプリ~以降、初代から順に投稿していきます。
文体・分量がバラバラなのは悪しからず。

18年『HUGっと!プリキュア』
シリーズ屈指の傑作、と自分は思っている。
(時間軸の設定の矛盾など、諸々言われてるらしいが)
プリキュア版ターミネーター?
あるいは『セーラームーンR』?
敵キャラがわかりやすく古い。明確に旧態依然と対峙してる感。
ミスを隠すために報連相を怠るチャラリート、わかる。

10話「ありえな〜い!ウエイトレスさんは大忙し!」
11話「私がなりたいプリキュア!響け!メロディソード!」
15年目にして、センターキュアの定義が図られたような。
使命の重さや大きな壁に悩んだりすることはあったものの、”自分とは何か” すなわち ”「月野うさぎ」型とは何か” といった、ヒロイン作品のセンターポジションのキャラクター内省については、あまり行われてこなかった(?)
”学芸やスポーツに優れるわけではないが、とにかくポジティブなコミュ力(りょく)オバケ” をなんとなくまかり通しつつ、プリキュアシリーズにおいては、作品ごとのテーマに沿って段々と成長していくキャラクターとして描かれてきた。
それでも上記エピソードほど ”自分” について悩んだことはなかったかも(?)
「何もできねぇってことは、これから何でもできる可能性があるってこった。なぜそう言ってやれねぇんだ、俺ってのは……」
たこ焼き屋さんのおじさんの台詞が「月野うさぎ」型の定義を端的に表している。
古くを辿れば、記紀神話におけるアマテラス(スサノオや大国主のように国造りに関わる具体的な功績がない点で)、中国三大演義における劉備・宋江・三蔵など、特に秀でた才能や功績はないが、なぜか人徳に富む、といった ”無の人” を中心人物に据える構造自体は、東アジアを中心に、神話・伝承などにおいて語られてきている。
説明しにくいけど、なぜかこいつがいないと始まらない。
「何でもできる、何でもなれる」と自覚した野乃はな=キュアエールが手にしたのは、戦うための ”剣” ではなく、調和のための ”楽器” 。
「月野うさぎ」型=無限の可能性は、世界平和と自己実現の両立の可能性の
象徴的な表現・人物像であるといえる、なんてことを思ってしまった回。

15話「迷コンビ...?えみるとルールーのとある一日」
19話「ワクワク!憧れのランウェイデビュー!?」
20話「キュアマシェリとキュアアムール!フレフレ!愛のプリキュア」
明確に ”ヒーロー” を標榜していて、一方で ”男らしさ” ”女らしさ” の偏見にも言及していて、15年目って、色々やってたんだ。
追加メンバーは、小学生とアンドロイドの『ふたりはプリキュア』。
ニチアサアニメの革命を起こしてきたシリーズにおいて、明確に内省と風刺に言及し、シリーズの再定義を図っているといえる本作品。
どのシリーズにおいても特定の価値観を ”押し付けない” ”縛られない” を標榜し続けてきたといえるが、本作は明確に言語化してきてる。
そして ”自分らしさ” を象徴しているのが若宮アンリ(のちの男子プリキュア1号・42話)。
”女児向け” ではなく、”普遍” 作品としてのポジショニングを明確に取りに来ているといえる。

22話「ふたりの愛の歌!届け!ツインラブギター!」
初代キターーッ!!やっぱり最強!!


23話「最大のピンチ!プレジデント・クライあらわる!」
31話「時よ、すすめ!メモリアルキュアクロック誕生!」
センターキュアがセンターたる所以を描いている(?)
良かれと思った行動が孤立を招き、不登校(?)になり、転校・イメチェンをして……。
月野うさぎ型キャラの背景まで掘り下げて描いてるのも、本作が初めて(?)
初期レギュラー3人以上で構成されるプリキュアシリーズで、必ずセンターに立つのは、『セーラームーン』から引き継がれる月野うさぎタイプの、特技はなくてもポジティブで、敵味方問わず調和してしまうスーパーコミュ力お化け。
”こんな奴”、ホントにいるか? なんて解釈に真向から向き合い、内省的に ”こんな奴” が出来上がっていく過程を描いたといえるのが、 『HUGっと!プリキュア』の野乃はな=キュアエール。
”こんな奴” の立ち振る舞いは、幼児~低学年、社会人から見たら立派だし、尊敬に値すると思える。
ただ高学年~中学・高校においては、タイミングによっては、いわゆる ”浮いてる” ように映って、孤立やいじめなどにつながってしまうかもしれない。
月野うさぎ型を自己批判的に描き、”転校” ”イメチェン” の選択肢を与え、キャラを醸成させている。
数年前だったら、”逃げずに立ち向かう” だとか ”一人でも味方がいるなら” とその場所で耐えることがまかり通ってたかもしれない。
”場所を替えてもいい” という選択肢があることで、内省・自己批判はしつつも、自己否定や周囲への不信にまでは至らないようにしている。
月野うさぎ型を内省的に、丁寧に描くことで、周囲からの批判は受け止めつつ、それでも自己を失わない、”自分を大切に” という、シリーズを通して描かれてきたことを、より具体的に深堀して描いたのが上記エピソードなのではないか、なんてことを思ってしまった回。

36話「フレフレ!伝説のプリキュア大集合!!」
37話「未来へ!プリキュア・オール・フォー・ユー!」
『HUGっと!プリキュア♡ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ』
プリキュアシリーズの敵側の概念として、
”闇” ”悪” ”恐怖”  ”絶望” ”不幸” のワードがよく出てくるけども、全般的に共通してるのは、”虚無” なのではないか。
前作の『プリアラ』の終盤でも ”大好き” ”大嫌い” もなくせばいい、と明言してたし、『はぐプリ』での、 ”時間を止めてしまえばいい”、もそこから派生しているといえる(?)
初代の助け方はやっぱり徒手空拳。肉弾戦の描写そのものも、”虚無” との対立概念なのかも?
劇場版含むオールスター回は、”虚無” との闘い、そこからまた始めるための方法の提示、を明確に表している回ともいえるかもしれない。
絶望から自暴自棄になったり、無力感に泣き崩れたり、敵味方それぞれの苦悩が描かれている。
それでも、自分を、互いを鼓舞して何度でも動き出す。
「私は知ってる。何も持たない自分でも変われる、って。だから、大丈夫」
夢原のぞみ=キュアドリームの台詞の説得力たるやいなや。

48話「なんでもできる!なんでもなれる!フレフレわたし!」
ターミネーター? アトム……?
諸々、ありすぎて……。知ってる作品の数だけ、観え方が十人十色で違ってきそう。
初の男子プリキュアどころか、町の人たちが全員……!?
ジョージ・クライ=こじれすぎたタキシード仮面、といったところか?
2030年時点までだと、ハッピーエンドに見えるけど、その先は……、明確には描いていないが、シリーズ中でもかなり捻ってきた感じ。
”プリキュアとは何か?”
”センターキュアたる所以とは?”
それぞれの人物やシリーズのテーマについてここまで深く内省したものは、ないのではないか(?)
今まで、なんとなく初代と『5』が双璧かと思ってきたけど、越えてきたかも……(?)

#プリキュア #HUGっとプリキュア #ターミネーター #セーラームーンR #アトム #月野うさぎ

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