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悲しみと絶望の先で人は優しくなれるというお話

自分で言うのは何なのだが、私はよく「優しい人だ」と言われる。

来年から勤める会社に採用して頂いた理由も、

「誰かの為にとことん行動できる、人一倍の優しさを持っているから」だった。

普段は口も悪い方だし、そこまで言って頂ける自覚はないのだけど...

でも確かに、困っている人を見かけたら放って置けないし、自分の為にすることよりも人の為にすることの方が頑張れる。

そんな考え方が面接で伝わったらしい。


でも、私は元々こんな人だった訳ではない。

9年前の経験が自分を優しくしてくれた。


2011年12月19日。晩ご飯を食べ終えた私は母と歌番組を観ていた。

父は東京に出張中だった。

そんな時、いきなり電話が掛かってきた。

こんな夜に電話なんて誰だろうね、と笑いながら母は電話をとった。

私はテレビを観続けていた。だけど、母の声がどんどん焦ってきた。「はい、〇〇病院ですね...新幹線ですぐに向かいます、はい...」

只事では無いことは母の焦りの声と会話からすぐに分かった。

「お父さんが今救急車で運ばれたんだって...らむ、すぐに行くよ」

慌ただしく着替えて、タクシーで駅に行き、新幹線に飛び乗った。

乗っている間に何回も母の携帯に病院から電話が掛かってきた。

その度に母の焦りは増していった。私に構う余裕も無くなった母を見て、私の心も焦りと不安で張り裂けそうだった。

そして病院に到着。すぐに医師が迎えてくれた。

「ひどい脳出血を起こしています」「このままでは死んでしまいます」「後遺症は重いと思います」「とにかく命は取り留めますが覚悟してください」

信じられない、信じたく無い言葉が次から次へと耳に入ってくる。

父の身に何か大変なことが起こっているのは分かっていたつもりだが、想像以上だった。中学一年生の私には受け止めきれなかった。

あまりのショックで気絶しそうだった。何とか現実を遠ざけたくて、泣いて泣いて、手術が終わる朝を待った。

8時間の手術の末、父は一命を取り留めた。


だけどここからが地獄だった。

手術の麻酔から目覚めた父は、変わり果てていた。

頭の痛みで大声で喚く父。排泄も食事も一人でできず、介助される父。呂律が回らず、何を言っているのか分からない父。自分の家の住所も言えなくなった父。1桁の足し算もできなくなった父。

穏やかで、車の運転が好きで、何でもできて、数学が得意だった、私の自慢の父はもう居なかった。

父は目の前で生きているけれど、父を失った感覚がした。

言葉にならないほどの喪失感に襲われた。

何で私のお父さんがこんな目に遭うんだ。

大好きなお父さんを返してくれ。

悲しみなんて通り越して、毎日現実に絶望していた。悪い夢であって欲しかった。でも夢は覚めなかった。

毎日毎日、泣き疲れるまで泣いて寝ていた。



現実は死ぬ程恨んだ。でも不思議と他人を恨むことはなかった。

痛みが分かるから、前よりも誰かの痛みを想像して気遣えるようになった。

人を気遣う余裕はなかったはずなのに、何故か人に優しくなれた。


これは私だけではないみたいだった。

病院に行くと、様々な病気と闘う人がいた。支える家族がいた。その人たちはみんな優しかった。

父のお見舞いに行った時、現実に耐えきれずに一人で待合室で泣くことがあった。

そうすると必ず見知らぬ誰かが声をかけてくれた。

「お父さん大変だね、でもお姉ちゃんも頑張ってるね。偉いよ!!」

「辛いだろうけど、飴あげるから元気出して!」

自分も病気で、看病で、辛い思いを抱えているはずなのに。みんな私に優しくしてくれた。

あの人たちはきっと、辛い思いをしているからこそ私の痛みを想像して声をかけてくれたんだと思う。

あの人たちだって自分のことで精一杯だったはず。だけどとても優しかった。


9年前、私は経験したくもない絶望を味わった。涙が枯れるほど泣いた。

だけどその打ち拉がれるほどの経験が、私を優しくしてくれた。


悲しみと絶望の先で人は優しくなれる。


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この記事の最後に、紹介したい曲がある。

浜田省吾の『悲しみは雪のように』だ。

実はこの曲、私とほぼ同じ経験を元に作られたことをご存知だろうか。

浜田の母親が脳閉塞(脳梗塞の一種)という病に倒れて意識不明の重体になった際、深い悲しみと絶望に暮れながらも、ふと人に対して優しい気持ちになれた、というエピソードを基にして書かれている。
(Wikipediaから引用)


この制作秘話を読んだ上で、ぜひ歌詞を読んでみて欲しい。

君の肩に悲しみが
雪のように積もる夜には
心の底から 誰かを
愛することが出来るはず

孤独で 君のからっぽの
そのグラスを満たさないで

※誰もが 泣いてる(I'm crying for you)
涙を人には見せずに(You're crying for him)
誰もが 愛する人の前を(He's crying for her)
気付かずに通り過ぎてく(She's crying for me)※

君は怒りの中で
子供の頃を生きてきたね
でも時には 誰かを
許すことも覚えて欲しい

泣いてもいい 恥ることなく
俺も独り 泣いたよ

(※くり返し)

君の幻想 時の中で
壊れるまで 抱きしめるがいい

(※くり返し)

悲しみが雪のように つもる夜に…

人は痛みを知ると、何故か誰かの為に泣けるほどの優しさを持つ。

でもそのおかげで、回り回って自分の為に泣いてくれる人が現れる。

誰かの為に泣ける優しさを持つことが、結果自分を支える事になるのだ。

サビのコーラス部分が、非常に上手く言い表している。

浜省もきっと、絶望の先でこのことに気が付いたのだろう。


悲しみと絶望の先で優しさを持つのは、支え合って生きる人間の本能なのかもしれない。


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