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愛してくれなきゃ冗談も言えないというお話

ご無沙汰です。らむです。

今日は私の恋愛観とASKA詞のお話。

それではどうぞ。

恋愛の始まりはいつも、楽しいけれど大変だ。

毎日の連絡も、デートをするのも、本当にドキドキする。

もちろんそれは胸の高鳴りでもあるが、信頼関係を築いている途中の、不安定な関係を綱渡りするような緊張でもある。

お互いに自分を少しずつ相手に見せていくのが、恋愛の始まり。

連絡やデートを重ねるたびに、好きな人のことを知っていくのは楽しいし、好きな人に自分を知ってもらうのはとても幸せだ。

そしてどんどん相手の好きを増やしていく。

だから恋愛の始まりは楽しい。

でも、信頼関係がまだ完璧でない状態で、新たに見せる自分を絶対に相手が受け入れてくれるという保証はない。逆に新たに知る相手を絶対に自分が受け入れられるという自信もない。

常に不安と緊張がある中で、お互いを知っていかなきゃならない。

だから恋愛の始まりは大変だ。

私は今、この最後の段階で躓いている。

彼とは今年の3月に知り合った。

初めて出会った時から彼は本当に真面目な人だった。付き合い始めてからもこの印象は全く変わらない。

私は彼のその真面目さにとても惹かれている。誠実な彼が好きだ。

でもそれと同時に、彼の真面目さに合わせてしまっている自分もいる。

私はどちらかというと、人を笑わせることが好きなお調子者タイプだ。気心知れた人には冗談とか言うこともある。だけど、彼にその一面だけ、まだあまり見せられていない。

真面目すぎる彼がそんな自分を受け入れてくれるか、不安なのだ。

彼は気持ちをあまり言葉にしてくれない。

今、彼がどれくらい好きでいてくれているのか分からない。それで躊躇ってしまう。

受け止めてくれる自信が持てないのだ。

いつも彼に合わせて、無難に振舞ってしまう。

彼と過ごすのはとても幸せなのに、どこかもどかしい。


こんな悩みを抱えている私は、最近よく「僕」に会いに行く。

『僕はすっかり』(1997年)の「僕」だ。

愛してくれなきゃ 意地悪もできないよ
今僕はすっかり キリンの首になって
君の言葉の焦れるだけだよ
愛してくれなきゃ バランスが取れないよ
今僕はすっかり 磁石の針になって
君の合図に振れるだけだよ

僕の彼女は、言葉でも態度でも、あまり気持ちを見せてくれない。

僕は彼女の「愛してる」という言葉を待っている。

愛してくれなきゃ意地悪だってできないし、僕の気持ちとのバランスも取れないよ。だから「愛してる」って言ってよ。

そんな僕の想いと言葉も虚しく、結局彼女は言わず仕舞い。

本当に彼女が愛してくれているのか分からなくて自信が持てない僕は、彼女の一挙一動に振り回されている。

多分、僕と彼女に比べると、私と彼の関係はまだ浅い。

言葉を言わない彼女には何か企みがありそうだが、彼はおそらく言わない性格なだけ。

そんな違いはあるが、僕と私はとても似ている。

相手からの「愛してる」って言葉がないから、僕は意地悪が、私は冗談を言うことができなくて、相手に合わせることしかできなくなっている。

しかも言ってくれないから、自分の気持ちとの比較もできなくて、不安にもなる。自分の気持ちの方が大きくて、アンバランスになっている気がする。

だから「愛してる」って言って欲しいのに、全然言ってくれない。

辛いよね、僕、、、私も一緒だよ、、、(泣)

ところで、私が冗談を言ってみたいと思うのはもちろん性格もあるのだが、彼と冗談を言い合える関係になりたいと思っているから、という理由も大きい。

意地悪ができたり、冗談が言える関係は、信頼関係の完成形だと思う。

この2つは一歩間違えれば誤解されたり、相手を傷つけてしまう行為だ。相手との関係に修復できない亀裂を入れてしまう恐れもある。

信頼関係がちょっとでも中途半端な相手にするのは、あまりにリスキーだ。

だからこそ逆にそれができたら、本当に信頼し合えている、愛し合えている証拠だと思うのだ。

こんな考えを持っているが故に、私は彼にほんのちょっとの意地悪や冗談を言えるようになりたいなと思ってしまう。

相手を傷つける可能性もなくはないことをしたいというこの考えが、周りに理解されるかどうかは怪しいが、少なくとも今の私の同士である「僕」を作り出してくれたASKA本人も、意地悪ができる=愛と考えているようだ。

『僕はすっかり』はASKAソロの楽曲だが、CHAGE and ASKAの楽曲でも、こんなことを言っている。

愛し合えば合うほど意地悪になっていく
愛と言えばそれも愛だね
『NATURAL』(1994年)

意地悪と愛は一見反対にあるものに感じるけれど、愛という信頼関係があるから意地悪ができてしまう。逆に意地悪をするのは、愛という信頼関係の保証があるから。

確固たる愛じゃ無ければ、一回の意地悪で二人の関係は崩れてしまうはず。

だから「愛してくれなきゃ意地悪もできない」のだ。

意地悪とかはしないに越したことは無いのだろうが、こう考えれば意地悪は大きな愛情表現だ。深く愛しているから、できちゃう。しちゃう。

絶対に相手を嫌がらせたくは無いけれど、私もこの感覚あるな。

「僕」と状況が似ていたり、ASKAの感覚が分かる私は、男っぽい恋愛観なのかな、、、(昔からよく言われる)

明日は久しぶりのデートの日。

会えるだけ、一緒に出かけるだけで幸せだけど、やっぱり言葉も欲しいな。愛してくれなきゃ、言ってみたい冗談だって言えないしね。

「『愛してる』って言いなよ。」


いや、こんなこと絶対言えないな、、、

他愛も無い話をしながら、二人でお酒を飲みながら、鍋をハフハフしてこよう。

痛風鍋楽しみだなぁ。


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