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「聞いてもいい?」が世界をちょっと優しくするかも。

特別養子縁組で次男を迎えたことを
友人たちに伝えた時、
2人くらいから

「 聞いてもいい? 」

と聞かれました。



そのあと、
「なぜ養子縁組したの?」だったり、
「お兄ちゃん(長男)はどんな様子?」
だったり
いくつか、聞かれたのですが


この「 聞いてもいい? 」って聞くって、
あ、素敵なやりとりだな、と思いました。









わが家は、次男を迎える前から、
養子の子を迎えるということ、
オープンにしてきました。

それが、
将来、次男にとっても
生きやすい環境をつくるだろう
と私たちは考えているので、
とてもポジティブに、オープンしています。



なので、

「 (養子のこと)聞いてもいい? 」

と聞かれた時、

「 うん、聞いて聞いて! 」

と答えました。



もちろん、この前置きが無くたって
いろいろ聞いてくれる友人もいて

私たちの場合は
全然聞いてもらって大丈夫、
むしろ、知ってもらえて嬉しいなぁと
思っていたので、
「聞いてもいい?」があってもなくても、
変わらず嬉しく、次男について話しました。



ただ、後から気づきましたが、
「 聞いても良い? 」と
聞いてもらった時に、
1つだけ違ったことがありました。



それは、

「 団体さんとの約束で、
  言えないこともあるけど、
  私たちは何でも聞いてもらえて嬉しい! 」

と、最初に私から伝えられたこと。



聞いてくれた人も、
答える私も、
話す内容の共通認識が
雰囲気よく共有できたことで、
その後、お互いに変な遠慮がなく
この、日本ではまだまだ珍しい話題を
話せたように思います。









言いにくいことや聞きにくいことは、
当然、誰でもあって


私も、今はあまり自分のこと話したくないかも…
と思うこともあるし、

相手に対しては、
特に自分の知らない領域に関して
深いプライベートだったり
センシティブな内容を含むものは、
「聞かない方が良いよね…」と
自分で判断して、言葉をのみこむことが
あります。



だけど、
それが単なる
ゴシップ的な好奇心を満たすための
知りたい欲ではなく、

相手をもっとよく理解して、
良い関係を続けたいなという気持ちでの
「知りたい」は、
もう少し、大切にしても良いのではないかなと
思うようになりました。


自分が知っておくことで、
その人や、社会に対して
より良い心配りができるかもしれないからです。




そういう時に

勝手な遠慮で言葉を飲み込むのではなく

「 聞いてもいい? 」

と最初に聞けると、
すこし、結果が変わるかも…



聞かれた相手も、
このワンクッションで
話そうor話さないのジャッジができるし、
もし、話せなかったとしても、
「ごめんね…話せなくて」が
すこし、言いやすい気がします。


聞いた方の、
聞いてしまってごめんねの気まずさも、
すこし、少ない気がします。



「聞いても良い?」のひと言は、
まろやかだけど、
逃げてなくて、
コミニュケーションを深くしてくれる、
そんな可能性があるかも〜〜
なんて、実感として、思いました。









「話す」のと同じくらい
「聞く」ことも、きっと
勇気がいることだけど、

勇気を持って、私に養子縁組のことを
つっこんで聞いてくれた友人たちには、
伝えられて本当によかったなぁ
有難いなぁと思っています。


そして聞かれた側は、
話す勇気と、話さない勇気、
その時の自分の気持ちのとおりに
どちらも大切にできたら良いなぁと
思います。




気遣いは素敵だけど
遠慮はたぶん、すくない方が良い。

遠慮が無くても
良い関係でいられる
やさしい世界が広がれば良いな・・・


「聞いてもいい?」には
ちょびっと、そんな可能性を感じました。




#特別養子縁組 
#多様性

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